0→1(ゼロカライチ)

ゼロからイチを生み出す、26歳フリーライターのブログ。

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イチローという凡人。

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1992年。ぼくが生まれたとき、彼はちょうどプロ野球の世界へ足を踏み入れていた。


そしてぼくに物心がつくとき、すでに彼は「イチロー」になっていて。ぼくが野球に興味を持ち、地元の少年野球チームへ入るころには、活躍の舞台をアメリカ・シアトルへと移していた。


だから正直、ぼくはオリックス時代の全盛期をしらない。”社会”の授業でつかう参考書によく載っていた、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)の2塁ベース上で、シーズン200安打を祝うボードを掲げている写真。あの姿とパワプロでしか、オリックス時代の彼をしらない。


つまりなんというか。日本球界でプロ野球選手として、もういちどプレーする姿をみたかったなぁ。身体レベル的には、それこそ50歳まで、全然プレーできるようにみえるんだけどなぁ。


なんて、”野暮全開”なことをおもってしまう。

イチローの凡人さ。

引退会見を何度もみた。そこで浮かび上がってきたのは、「イチローの凡人さ」だったのではなかろうか。

人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います。

あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど、でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。

(引用元:【MLB】“イチロー節”全開、85分間の引退会見 一問一答ノーカット「孤独感は全くない」(Full-Count) - Yahoo!ニュース


つねに「天才」と称されてきたイチロー。しかしその才能は、毎日の積み重ねによるものだった(天才というワードは、言う側の人間が”白旗をあげる”ときに使うワードだとぼくは思う)。


イチローの言葉をきいて「俺も地道にがんばろう」と思えた人間が、どれだけいただろうか。

みんなイチローを、持っている。

引退会見の翌日、コピーライターの第一人者として知られる糸井重里さんは、毎日更新している自身のエッセイの最後をこう締めくくった。

男子って、みんな、微量のイチローを持っているんだよね。


イチローが多くのひとを惹きつける理由は、だれもがイチローになり得るから。つまり、凡人だからだ。


ぼくはそんなふうに今回のニュースを受け取り、そんなこんなでやっぱりけっきょく、好きなことを仕事にしていきたいとおもうのだった。




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


今後は、”いい塩梅で”メディアに出演してほしいなぁ。

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