どうも、ぼーのです。
昨日からの新ドラマ「嫌われる勇気」見ましたか?
僕は以前から、この嫌われる勇気(ダイヤモンド社)を読んでアドラー心理学を知っていたので、その復習のような感覚で見ました。
あと久しぶりに香里奈を見たかったというのもあります。
相変わらず美人でした。言うまでもありませんがね。感動した!笑
一時のブームを経て
アドラー心理学は、僕が確か大学生の頃にブームとなりました。書店のビジネス書のコーナーは、アドラーの本とそのPOPで溢れかえっていました。
そんな中、僕も社会に流されるように本を購入し、読んでみたわけです。
すると、驚くほどナチュラルに理解することができました。僕はアドラーの生まれ変わりなんじゃないかと思えるほど。
それはこの哲学(と呼ばせていただきます)の根底にある「個人主義」や「主観しかない世界」といった感覚を、僕は元々備えていたからです。
きっかけは高校時代の挫折
僕は高校時代に挫折しました。勉強についていけなくなったのです。
分からない部分がどんどん蓄積されていき、勉強しても追い付けないと思い、諦めてしまいました。テストでは赤点を連発。勉強で挫折するのは初めての経験で、最初受けたショックの大きさは計り知れません。
毎日辛かったです、正直。
(だったら勉強しろ、と言われればそれまでの状況でしたが。)
ここで冷静かつ馬鹿だったのは、なぜ毎日が辛かったのかを考えたことです。しかしこの考察が、今の僕に大きく影響することとなりました。
考えた結果、辛さの原因は、自分への「客観」だと分かりました。勉強ができないヤツと、周囲から認識されることが辛かったのだという答えにたどり着きました。
その客観が無ければ辛くない、すなわち主観で生きれば良いと思いました。
他人が思い描く自分なんてどうでもいい、自分が描く自分がすべてだ、と。
(今思うと本当に清々しいほどの諦めであり開き直りである)
周囲からもうどう見られてもいいという結論に至った時、世界が拓けました。決して大袈裟な表現ではありません。
僕は、アドラーになりました。笑
それぞれの正義を信じること
人にはそれぞれの主観があり、その中でそれぞれの正義があります。昨日のドラマでは「善」と表現されていました。
誰もが持っている、自分はこう在りたい、こう在るべきだという気持ち。そういった気持ちを正義と呼んでいいと思います。
その正義に対して素直になれるか。いや、なれるなれないではなく、素直であることを大前提とするのがアドラー心理学。
他人の目なんて気にしない。だから周りからは嫌われがち。
「私は自分の思ったことを、ただ素直に口に出しているだけです。」
昨日の香里奈さん、だいぶエッジ効いてましたね〜。笑
ドラマだから仕方ありませんが。あ、あと香里奈さんじゃなくて役として。
僕は、ナチュラルボーンアドラーでした。
香里奈さん演じる主人公は、アドラー心理学を学んでその哲学を身につけたわけではなく、それまでの人生経験から自然とアドラー心理学を身に付けていました。僕も同じパターンです。
そういった人間を、「ナチュラルボーンアドラー」と呼ぶそうです。僕はいわゆる、「ナチュラルボーンアドラー」だったらしいです。笑
今後は、ナチュラルボーンアドラーとして、ドラマを楽しんでいきます。
みなさんも是非、今後アドって(?)みてください。
もちろん向き不向きはあるでしょうが、肩の力が抜けますよ。