僕は、小学校中学校と野球をやってきた。
その少年野球について気づいたことがあるため、キーボードを叩いている。
声を出せ
少年野球をやっていると、指導してくれる周りの大人たちから「声を出せ」とよく言われた。
その”空気”は監督やコーチだけでなく、僕らを応援してくれる親たちからも放たれていた。
当時の僕は、言われるがまま。その”空気”に、流されるがまま。
声を出し、なぜ声を出すのか、その本質を深く考えるようなことはなかった。
強いて言うなら、少年野球は元気を出すものなんだといった決定事項的なことを感じながらプレーしていた。
声を出せ≠元気を出せ
しかし、その「声を出せ」は、「元気を出せ」ではなかったということに、大人になってから気が付いた。
いま思うとつまり、「コミュニケーションを取れ」という意味だったのだ。
スポーツにおいて、声による味方同士でのコミュニケーションはめちゃくちゃ重要。
先日のサッカー日本代表試合後のインタビューでは、DFの吉田麻也選手が声を枯らしていたが、それほど試合中、声でコミュニケーションを取り合っていたということだ。
もちろん競技によって試合のテンポや、それによる声の出し方は変わってくるが、あの時僕らが大人たちに求められていたのは、元気ではなくコミュニケーションだったのである。
野球におけるコミュニケーション
では野球においては、どのようにコミュニケーションを取るべきだったのか。
ひとことで言えば、「準備」だったと思う。
「準備」とは
当時の僕らは、「さぁ来い!」「センター行くぞ!」「ショート行くぞ!」と、ただただ元気に、いや多分それすら頭にもなく、声を出していた。
しかし必要だったのは、その時に起こりうる状況を想定し、味方と意識を共有するコミュニケーション。
例えば自分たちの守備時、ノーアウトで一塁にランナーがいた時は、「バントあるぞ」「盗塁あるぞ」「バスターあるぞ」と声を出し、考えうるあらゆる状況を想定する。
このコミュニケーションによって、味方と意識を共有、これからすべきプレーの準備をする。つまり、隙のない守備を可能にできるよう努めるのである。
攻撃時だったら、味方のランナーやランナーコーチに対して、相手守備のポジショニングや打球によっての判断をコミュニケーションできるだろう。
これが「声を出す」ということの本質だったのだ。
元気も大事だが
僕が少年時代の当時に考えていた「元気を出す」という側面も、間違いだったわけではないと思う。
元気を出せばチームが盛り上がり、チームに勢いが出るかもしれない。個人個人、思い切ったプレーができるようになるかもしれない。相手を圧倒することができるかもしれない。
しかし少年時代、まわりの大人たちにこっぴどく言われたあの「声を出せ」の本質は、僕の中では元気ではなくコミュニケーションだった。
今後、もし僕が少年野球を指導する立場になった時は、「声を出せ」ではなく、「コミュニケーションを取れ」や「声を掛け合え」と指導しようと考えている。