写経にハマってしまっている。
題材にしているおもなコンテンツは、言わずと知れたコピーライター糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞。そして、アドラー心理学が日本に広まったきっかけ『嫌われる勇気』も手がけたライター、古賀文健さんのnote。
ぼくは、彼らのような文章を書きたくて、彼らのようになりたくて、無印良品のシャープペンを走らせている。
それは幼いころによくしていた、ウルトラマンや仮面ライダーの「ごっこ遊び」に近くて。26歳のぼくは今、糸井ごっこ、古賀ごっこに夢中だ。
写経のいいところは、その文章を身体でより感じられること。ただ読むのに比べたら、手がうごき、口がうごき、耳がうごく。ことばの言い回しやひらがなと漢字の使い分け、文章のリズム感などを、より深く味わうことができる。
さらに言えば、じぶんの中に、あこがれの糸井さんや古賀さんを落としこむことができる。写経をしているときのぼくは、もはやぼくではない。
糸井さんや古賀さんが、ながい時間あたまを抱えてなんとか紡いだものか、一筆書きでちょちょいのちょいと生み出したものなのか、そこは定かではない。しかし、ぼくの前にある文字たちはたしかに彼らから生まれたものだ。それは確かだ。と、おもう。
だから、その文字たちをなぞっているとき、ぼくは糸井重里だ。あるいは、古賀文健だ。なんて、幸せなやつなんだ。ぼくは。
いくつになっても、あこがれの存在になれる「ごっこ遊び」はすばらしい。
今日のこのブログだって、いちおう、彼らになりきって書いている。写経でインプットし、ブログでアウトプットする。このサイクルを習慣化できるよう、しっかり継続していこう。
よし。シュークリームを買いに行こう。