SNSを利用していると、どうしても目についてしまうフォロワー数。
フォロワー数が多いアカウントの発信が、やたら”正義”のように思えてくる。気がついたら「自分もフォロワー数を増やさなければ」という思いに駆られている。
これが世に言うフォロワーヒエラルキーの恐ろしさだ。
クリスマスが過ぎ、いよいよ年末ムード。
新しい年への意欲を燃やす前に、自分の今後の生き方について、すこし立ち止まり考えてみる。
フォロワー増は、”乗り物”。
「フォロワーヒエラルキー」という言葉は、たった今ぼくが造ったものとして。
まず、フォロワーを増やすということは、”方法”のひとつに過ぎないということを忘れてはならない。
旅行でたとえると、”乗り物”だ。
ほとんどの人は、乗り物に乗るために旅行に行くわけではないだろう。その目的地で、”何かをするため”に旅行へ行く。乗り物は、そこへたどり着くための方法だ。
だから、フォロワー数を増やしてどんな生き方を実現したいのか、いわゆる”目的”がなければ、無闇矢鱈にフォロワー数を増やしたいと思っても仕方がない。
ひょっとしたら、自分が実現したい生き方はフォロワー数を必要としないかもしれない。
というか、フォロワー数を必要とする生き方ってなんだ。
自分の生き方を掲げたときに、フォロワー数がついてくるのだ。それこそが、きっと正しい。ぼくは、そう解釈している(※現在Twitterフォロワー291人)。
生き方を掲げる→フォロワーがつく、という「順番」が狂ってしまう。それが、恐るべきフォロワーヒエラルキー。
ぼーのが求める生き方
では、肝心のぼくが実現したい生き方は、というと。
好きなことを発信し、「じぶん」を職業とした生き方、である。
じぶんを職業にするとは、自分でしか成り立たない価値を消費してもらうこと。誰にも縛られることなく、自分のルールで生きること。
思えば、このブログを立ち上げた3年前から一貫している考えだった。
もちろん、好きなことはひとつじゃなくて。そして、それらを全部仕事にできればいいなと思っていて。それぞれのSNSで、それぞれの好きなことについて発信している。
大切なのは、生き方を見据えること。
フォロワーが増えることは、たしかに嬉しい。ちょっとした自信をもたらしてくれる。
しかし、それは生きることの”本質”ではない。フォロワー数に踊らされるのは、ほどほどにしなければならない。
まずは、自分が実現したい生き方を見据えること。
逆に言うと、理想の生き方をしっかりと見据えられれば、フォロワー数は自然と増えていくはずだ。(※現在Twitterフォロワー291人)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
向き合うべきは、自分自身。いつだってそうなんだ、きっと。