勝てば決勝トーナメント進出。本気のブラジルと“完全アウェイ”で戦うことができる。
そんな、またとない機会がかかった、グループステージのエクアドル戦。
しかし結果は1−1のドロー決着で、日本代表のコパ・アメリカは、0勝2分1敗という成績で幕を閉じた。
批評は得意の「決定力不足」
メディアやSNSでは、いつものように「決定力不足」の文字がならんでいる。まあ確かに、そうかもしれない。
また今大会は決定力だけでなく、ヘディングでの競り合いやドリブルによる1対1の攻防、シンプルなパス精度など、個人として差を感じる場面が多かった。実際、各選手の試合後のコメントを読んでいると、その差を痛感しているように思える。
しかし僕は、この決定力不足を嘆くフェーズをそろそろ脱するべきなのではないかと考えている。
「決定力不足」が生まれるプロセスと、その問題。
長らく日本サッカーにもたれかかっている「決定力不足」という言葉は、以下の流れで生まれる。
ゴールの決定機をむかえた選手が、外す。
↓
あーシュートを外した。
↓
試合終了。けっきょく勝てなかった。
↓
あの決定機でシュートを決めていれば。
↓
決定力不足だった。
ここでの問題は、シュートを外したことだけが取り上げられるということだ。決定機の数や質は、あまり議論にならない。
「決定力不足」は、個人の課題。
そして「決定力不足」という言葉は、チームの課題のようで、おもに個人を指している(と、僕は思う)。ここが、この言葉の恐ろしいところだ。
シンプルに解決策を考えてみると、選手個人のシュート技術が上がること。決定力の高い選手が現われること。
視野を広げれば、育成や環境などを含めた日本サッカー全体の課題と言えるのかもしれない。しかし、W杯に6回出場している国としては、もう少し照準を絞ってもいいのではないだろうか。
なにより「決定力不足」とは、どれほどの付き合いになるだろう。あまりに長すぎやしないだろうか。
「決定機不足」として、チームの課題に。
個人として決定力が足りないのならば、チームとして決定機を増やすべきだ。より決めやすい決定機を作るべきだ。
シンプルに、そう思ってはいけないだろうか。
そして決定機の質や量を高めるために必要なのは、チームとして戦術を担保することだ。
今大会の初戦の相手チリのように、事前に対戦相手をスカウティングし、もちろん自分たちの強みも活かしながら、チームとして丁寧に狙いをもった攻撃をすること。
森保監督は、アーセナルのMFルーカス・トレイラがわからないと苦笑している場合ではない。
日本代表“チーム”として。
たしかに、個人が決定機を決めきれることに越したことはない。強豪と呼ばれるチームには、メッシやロナウドを筆頭に、しっかりと決めきるスペシャルな存在がある。
しかし、日本はどうだろう。1人のスペシャルな存在で勝利をつかむチームだろうか。現時点で、答えは「NO」であるはずだ。
個人が所属チームで成長することも必要なことだが、「日本代表チーム」として課題を捉えなければ、また同じような結果に終わってしまう。
今回のコパ・アメリカを、出場した選手の経験値だけで終わらせるのは、あまりにもったいない話である。