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「個人で生きる」を諦めきれない28歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#4】“ココロの童貞”がしんどい。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

金曜日恒例にしている「週刊エッセイ」。

正直夕方まですっかり忘れていましたが、なんとか更新できました(まあ、コピペするだけなんですけどね)。


ということで、今回もよろしくお願いします。

抜け殻みたいな日。【8月21日(金)】

今日は、割とオフめな日だった。お昼前に起きて、Amazonから届いていた新しいテレビ台を組み立てる。掃除をしながら模様替えをしていたらランチの時間が過ぎていて、そこからグダグダとYouTubeを見ながら身なりを整える。ずっと家にいても昼寝かYouTubeの二択しか浮かばないような気がしたから、近所のガストで超遅めのブランチ。あ、今日のまともな食事はこの一食だけだったな。


ガストでは事務作業をちょっとやって、ブログを更新したり、本を読んだり。日が暮れたら近所のスーパーで発泡酒とポテチを買って、YouTubeやテレビを見ながら今に至る。甚だ「生産性」とは程遠い1日を過ごした。


こういう時は「休むのも仕事のうちなんだ」とか言って自分を正当化する。落胆するのが目に見えてるから、なるべく内容の薄さには目を向けないようにするのだ。

でもでもこれは本当に、休息も大事なのかなあとも思う。なんだか抜け殻みたいな日だったけど、明日からまた頑張ろうと思えている。今後はさらに取材の予定も増えそうだし、気を引き締めなおして生きていこう。


ってことで今日はもっと抜け殻にしよう。もう1本、発泡酒飲むわ。

ドタキャン恐怖症。【8月22日(土)】

友人にオンラインでの飲み会をドタキャンされてしまった。今朝のLINEによると、体調を崩してしまったらしい。

その報告をにわかに信じられない自分がいる。いや、信じたい気持ちはあるし、信じるべきだとは思っているのだけれど。なんというか「僕と飲むのが嫌だったのかなあ」と、どちらかというと申し訳ない気持ちになる。「わかった!お大事にね〜」と応じるのが精一杯で、リスケの提案なんてこちらからはできない。



いっとき、同じ女性から何度もドタキャンを食らった経験がある。その当時は察しが悪く気がつかなかったが(だからダメだったんだけど)、今なら何を伝えたかったのか理解できる。

だから今は、ドタキャンがとても怖い。自分が相手に「ドタキャンをさせてしまっている」ことに、申し訳なさを覚えるのだ。相手に少しでも罪悪感を芽生えさせているのだとしたら、なおさら申し訳ない。



まあ今回は、ただほんとうに体調が悪くなっただけなのかもしれない。余計なことを考えすぎなのかもしれない。ただ、気がつくとドタキャンを怖がる自分がいたのである。


“ココロの童貞”がしんどい。【8月23日(日)】

童貞あるいは処女。若いころはある種のステータスを意味する言葉だったように思う。好奇心や焦燥感が作用し、そこにひとつのゴールテープを引いた人も少なくないのではなかろうか。まあ単純に僕がそうだっただけ、か。



僕には今、恋人がいない。大学時代の彼女を最後にまともな恋愛をしておらず、社会人になってからは誰とも付き合っていない。

そしてこの社会人生活は、とにかく自分と向き合って生きてきた。新卒で入った会社を1年半でやめて、コピーライターになるために上京。決して誰にも相談することはなく、親にも友だちにも事後報告で、とにかく自分の気持ちを大事にしてきた。



ただ、自分の気持ちを重んじるあまり、ふと気がつくと「他人と向き合うことをしんどく感じる人間」になっていた。仕事でもプライベートでも、自分の心にすこしでも“異常”を察知するとその人との関係を絶つことで対応する。自分の気持ちを伝えたり相手の気持ちを聞いたりするのではなく、その関係ごと失くしてしまうのである。

最近、この自分の生き方に疑問符が浮かんできた。フリーランスとはいえ、仕事をやるには他人とのコミュニケーションは不可欠。規模が大きくなれば、なおさら連携が問われることも分かってきた。恋愛においても、いつかは結婚したいと思っている。というか今、友だちみたいな彼女が欲しい。コロナとはいえ、とてもデートがしたい。

しかし結局、他人と上手に向き合えない。まあ自分が他人の目からどう映っているのかはさておき、たしかな“負い目”が僕の心にはある。



僕はこの「他人と向き合うことをしんどく感じること」や「他人と上手く向き合えないこと」を、“ココロの童貞”と呼ぶことにした。だから僕は、ココロの童貞だ。他人と真正面で向き合うことを怠ってきたから、上手にコミュニケーションを取れないのだ。自分で言うのは情けないけれども、事実だから仕方ない。



恋愛においてキスやセックスも重要なファクターだと思う。カラダの相性なんて言葉もあるくらいだ。しかし僕にとって恋愛は「他人の心と正面から向き合う」ことを養うものだった。今までそれに気づかず、すっかり怠ってきた自分を呪っている。ただ、もう過ぎてしまった時間は仕方なくて、これからどうするのかが大事である。さあ、今後の戦略はいかがなものか。



ああ、ココロの童貞がしんどい。。

細かなニュアンスを、ていねいに。【8月24日(月)】

サッカー元日本代表のDF内田篤人さんが現役を引退した。

常勝軍団・鹿島アントラーズで高卒1年目からレギュラーを掴み、ヨーロッパの大舞台でも活躍。日本代表としても2大会連続でW杯のメンバーに選出されるなど通算74試合に出場。甘いマスクも相まって、人気と実力を兼ね備えた選手だった。



サッカーファンの僕個人としても、やはり傑出した能力を持つサイドバックだったと思う。1対1の守備の強さは標準装備で、ドリブルやパスの攻撃センスも抜群。何より、ポジショニングやフリーランのタイミングの良さなどからは、知性を感じた。

また、僕は彼の人間性にも惹かれた。もちろんテレビやネットでしか感じる手立てはないのだが、なんというか、その語り口はいつも「飄々としていて」「自然体」なのだ。いつからか“内田節”や“ウッチー節”と呼ばれる振る舞いは、彼のつよい内面を感じさせた。つまり、芯が通っていて余裕があるのだ。



昨日の試合から一夜明けて、今日はオンラインで引退会見が行われたようだ。記者から「今後どのような道を進むのか?」という問いに、彼らしさが垣間みえた気がする。

そうですね、YouTuberにはならないですね。長友さんとかやってますけど、僕はならないです。(中略)具体的にはまだ決まっていないですけど、サッカーしかないというよりは、サッカー以外のことでやれる自信がないので、何かできればなと思います。
引用元:内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part1「裏切り者と言われましたが…」(Football ZONE web) - Yahoo!ニュース

「サッカーしかないというよりは、サッカー以外のことでやれる自信がない」。この正直なワードチョイスこそ、内田篤人である。いや、これが彼なのかはさておき、僕が惹かれる部分である。

イチローさんにも感じたが、言葉の細かなニュアンスに触覚をのばし、ていねいに発言する人はすてきだ。すきだ。僕もそう在りたい。そのためにも、このnoteなどで訓練するんだ。継続するんだ。

そんなことを思いながら、今後の内田さんにも注目していこうと思う。まずはスポーツニュースでのインタビューかなあ。はて、応じてくれるのかなあ。


タトゥーとは、覚悟である。おそらく。【8月25日(火)】

今日、電車でこんなことを想った。

僕の身体にタトゥーはないため、残念ながら「タトゥーをしている人の気持ち」は分からない。ただ分からないからこそ、あらゆる想像が広がってしまった。

自分と別モノとしてヨシヨシと龍を可愛がるのか、あくまで自分ベースで龍がプラスされるのか、はたまたもう自分も龍になってしまうのか。あ、どれもマインドの話です。ふくらはぎに龍がいて、ここぞとばかりに半ズボンを履いてアピールするわけだからね。うん、きっとあの半ズボンは偶然じゃない。彼は相当な思い入れを持っていることでしょう。タトゥーを入れるということは、相当な思い入れも肌に刻むことになるのでしょう。



あ、なるほど、つまりタトゥーは「覚悟」なのかもしれませんね。書きながら考えがまとまってきました。大切な人の名前であったり、自分の生き様であったり。肌に刻まれたそれは、きっと当人の人生において欠かせないもので、そして今後も欠かさない。そういった「覚悟」なのかもしれません。





僕が抱いている、タトゥーに対する日本人の感覚は「痛い」とか「消せない」とか、わりと消極的なものが多く感じられます。気づけば僕自身にも、そんな感覚が芽生えていました。いわば保守的、といったところでしょうか。

一方、欧米の人間はめちゃくちゃタトゥーを入れているイメージがあります。僕が好きなサッカー選手を見ていても、もうタトゥーが普通です。むしろノータトゥー(?)の方が浮いているように思えます。まあ革新的、という言葉はイマイチふさわしくない感じがしますが、それだけ自分の人生に覚悟を持って生きているのかもしれません。単純に日本人と比べるのは難しいかもしれませんが、肌に刻み「示す」ことができるのは確かです。



そう考えると、なんだかタトゥーがかっこよく思えてきました。いや、まだ正直ちょっとこわいけど、きっと「実直に生きている証」なのでしょう。まあ自分自身の肌に刻む「覚悟」は、現段階じゃいつまでも固まりそうにないんですけどね。

「不味い」と言える関係性。【8月26日(水)】

僕が作ったモノが誰かの口に合わなければ、僕は「不味い」と言われたいです。もちろん、こっちは美味しいと思って作ってますから、それなりにショックは受けることでしょう。ただ、より美味しいモノを作るためには、自分以外の声も重要なのだと思います。



そして、自分が誰かのモノを味わう側になったら、今度はしっかり「不味い」と言いたいです。何がどう良くないと思うのか、どうすれば良くなるのか、作り手に対して責任ある言葉を送りたいと思っています。

しかし、そのためにはある程度の信頼関係も不可欠です。いちおう僕だって、知らない誰からでも「不味い」と言われたいわけではありません。より美味しいモノを作るためのヒントが欲しいのです。だから、それまでの関係性も含めて、僕は「不味い」と言えるようになりたいと思います。



提供した側として一番しんどいパターンは、黙って箸を置かれることです。諦められること。次の可能性が失くなってしまうこと。それを避けるために、というマインドはあまり良くないかもしれませんが、僕はまず誰かとの関係性を念頭に、今後も何かを作っていきたいと思います。そして機を見て、誰かのモノに対しても責任のある言葉をかけたいです。

700文字を走り書き。【8月27日(木)】

ついさっきまで「差別と区別」というテーマでnoteを書いていたんですが、なんだか思ってたより大きなテーマになってしまったので消しました。今は23:42です。まったくネタがないので、ネタがないことをネタにしつつ、最近のことを書いていきます。

noteの連続更新を始めて230日が経過した最近は、期限(その日の23:59)ギリギリになっても浮かばずに、なんとかネタを振り絞ってなんとかカタチにするという記事が続いています。その影響もあってか「スキ」の数が減少傾向にありまして、まああまりそのへんは気にしていないのですが、ああやっぱり結果に反映されるんだなあと感じています。今後はもっとちゃんとした文章を書きたいですね、そのためにももっとちゃんと生きます。とりあえず、もっと人に会わなきゃなあ。



毎週チェックしている『セブンルール』を今週も見ました。個人的にまったく知らなかった江戸切子の職人さん(あ、これを今日のネタにすべきだったな)。とても綺麗な方だと思ったのですが、やはり自分の好きなことを追求する人の姿は、美しいです。セブンルールに“気づいたら出てしまう”ような方と、お付き合いがしたい。そんなことを思いました。そのためには、僕自身がそういう類の人間になるしかありませんね。がんばります。あ、今週もねるちゃん可愛かったですね、メイク変わりましたよね。



明日は久しぶりにいつものスタバで作業をしようと考えています。最近タイミングがわるく、僕が気になっている店員さんに接客してもらえていないので。ちょっとドキドキしながらスタバに行くのがたのしいです。会いたいのに、実際カウンターに居なかったら安心したりするんですよね。なんでしょうね、恋ですかね。



まあこんな感じで気づけば700文字を超していました。今日はこれで許してください。あんまり長くても、しんどいっすよね。ひとのぶんしょうなんて。


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