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多拠点生活を目論む28歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#8】ラブレターを書いたことはありますか?

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

金曜日になりました。週刊エッセイの時間です。

僕が毎日noteで書いているエッセイを、ここでまとめてしまおうという魂胆です。

よかったら楽しんでってください。

ポジション癖。【9月18日(金)】

僕はずっと、野球とサッカーが好きです。小学校から高校まで野球をしていたし(高校ではソフトボール部だったけど)、それと並行して中学からは『ウイニングイレブン』をきっかけにサッカーの魅力にも取り憑かれました。今でもプロ野球やJリーグ、また海外サッカーの結果は毎試合チェックしています。気づけば人生の大半を、彼らと共に歩んでいます。



野球とサッカーの共通点のひとつは「ポジション」があるということです。まあほとんどの団体競技で言えることかもしれませんが、試合においてはそれぞれの選手に役割が設けられ、チームとしての機能をより良いものにしようとします。またそのポジションはたいてい、ひとつにつき1人です。例えばピッチャーが同時に2人いることはありませんし、ゴールキーパーだって1人。それぞれがちがった役割を遂行してこそ、チームは勝利に近づきます。

そしてこのポジションを考えることは、スポーツの楽しみのひとつと言えることでしょう。誰のどんな特性を踏まえて、どこに配置するのか。もちろん決断するのは監督やコーチですが、そのチームを応援する者ならば、それぞれの持論があるのだと思います。少なくとも、僕はあります。フォーメーション図を広げてポジションを考えることは、もはや好きです。



そんな僕は気がつけば、実生活でもポジションが気になるようになっていました。たとえば仕事で“被っている”ポジションを見かけると「なんであんなに人がいるんだ…?」と思ってしまいますし、プライベートな酒の席でも聞き手と話し手、ボケとツッコミなどを自然と考えてしまいます。大人数の飲み会ならば、盛り上がっていない人へ話しかけに行くこともあります(まあ最近はそもそも、そんな大規模な場に行ってもないんだけれども)。



他人に気を遣っているというよりかは、ポジションがアンバランスなことが気になるのです。どうせなら、みんなキレイに配置したい。それぞれの役割を想像して、そして自分の役割も全うしたい。そう考える癖(へき)がついているわけです。

おそらく今後も、たとえスポーツの場じゃなくても、僕の頭の中にはフォーメーション図が広がっているのだろうと思います。そんな感じでよろしくお願いします(?)。

思わぬところでカギが。思わぬかたちでトビラが。【9月19日(土)】

オンラインで行われた地元・宮城県の「移住フェア」に参加した。県が主宰となり、各自治体の代表者が、それぞれの市町村をアピールしてくれるタイプのやつである。

僕はいま東京に住んでいるが、近い将来に宮城への復帰を考えている。昔からの知り合いがいることや実家の近くで暮らせること、また何よりその街並み(おもに仙台)に惹かれていることなどが理由である。さらに東京ではありふれた自分のライティング技術も、きっと地方ならば希少価値を持たせることができるだろう。

そんなこんなで何か今後へのヒントを掴めないかと、イベントへの参加を決めたわけである。



今回のイベントは割とフランクなもので、僕は参加者として質疑応答だけでなく自己紹介や雑談などで頻繁に発言できた。そして「いま僕はライターやってて…」と現状を伝えると「え、ライターほしい…!」「うちも!」などといったありがたい反応をもらい「田舎で仕事を取るにはまず社長とかに会いに行ったほうがいいよ」「うん」「そうだね」となり、あれよあれよと来月宮城へ視察(?)に行くことになった。今はスケジュールの調整中だ。



なんだか思わぬところにカギは落ちていて、思わぬかたちでトビラは開いていくのだなと思った。そして何より、自分で行動していくことが重要なのだと思った。結局じぶんをワクワクさせられるのは、じぶんしかいないのだ。

そんな感じでちょっとした感動を覚えた日だった。楽しみだなあ。

「愛」。【9月20日(日)】

僕の小学校の卒業文集。「卒業おめでとう」や「中学校でもがんばってね」などといった先生方のメッセージの中に、一文字だけデカデカと「愛」と書いた先生がいました。僕が6年生の時の担任でチョビ髭がトレードマークだった彼は、常日頃から「好きな言葉は『愛』だ」などと言っていたので、文集を初めて見た時に驚きはありませんでした。また言ってらあ、といった感じでした。

しかし最近、その「愛」の重要性が分かってきたような気がします。彼があれだけアイアイ言っていた理由が、今はまだなんとなくですが、理解できてきました。



僕にとって愛とは「思いやり」で、つまりは「人間関係」です。ここ最近つよく実感していてこのnoteでも何度も言っていますが、結局なにもかも人間関係の上に成り立つのが、この世の中ってもんでした。仕事も遊びも、もうぜんぶ。もちろん自給自足をして1人で生きている方もいるとは思いますが、僕にとってはもうぜんぶといっても過言ではありません。



卒業文集に「愛」と記した彼は、僕たち生徒に、愛であふれた人間になってほしかったのかもしれません。その願いも込めて、とにかく人間関係を大事にせよと。だからずっと口癖のように「愛」と言っていたのでしょう。きっと小学6年生では理解できない内容だと、覚悟していた可能性もあります。そんなふうに想像を広げると、今さらですが感慨深くて仕方がありません(いや、今さらだからか)。



僕は正直、今まで愛を蔑ろにして生きてきました。自分を守ることがエスカレートして、もう自分さえ良ければいいという考えになってしまっていたんです。すると最近、なんだか人生が歪んでいるような気がしてきていて。ふと、当時の卒業文集を思い出しました。もう蔑ろにしてきたことは仕方ないので、僕はこれから、愛を大事にしていきたいと思っています。





ところで。小学校の卒業文集にある大人たちのメッセージって、初めて受け取った瞬間はなんとも思わないんだけど、月日が経つとグッとくるものになるよね。ずるいよね

個人が仕事を獲得するための、2つのきっかけ。【9月21日(月)】

個人として仕事を獲得するための“きっかけ”は、おもに2つあるなあと感じています。

ひとつは、スキルが評価されること。「信頼と実績」なんて言われ方もありますが、この人に頼んでおけば間違いなく良い結果が見込めると信じられたとき、仕事は発注されます。会社という仕組みは、この「信頼と実績」を多くの人が扱えるようになる、素晴らしいものだと思います。まあそのぶん、リスクもあるんでしょうけれども。

そしてもうひとつは、人柄が評価されること。まずは仕事とは無関係の知り合いとなり、その後「そういえばキミは○○できるんだっけ?ちょうど困ってたからお願いしようかな」などと、関係性が先行して仕事が発注されるパターンです。



もちろんその他にもきっかけはあると思いますが、なんのコネもなく独立した僕は、後者のパターンが得意な人間だと最近気がつきました。自分で言うのもアレですが「なんかおもろいやつ」になるのが、ちょっと得意なのかもしれません。

今後はこの“ちょっと得意”を活かすべく、より多くの人に接触を試みたいと思います。具体的な方法は、イベントへの出席とSNSでの発信です。

先日は地元である宮城県の「移住フェア」に参加しましたが、わりと雑談が盛り上がり来月宮城へ視察に行くことになりました。ライターを募集しているという声も散見され、何かの仕事に繋がる予感がしています。また、SNSでの発信でも「なんかおもろいやつ」を意識していきます。ついこないだは、ラジオ配信もはじめてみました。より裾野を広げて楽しみながら、取り組んでいければと思っています。

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やっぱり結局、人間関係なんだよなあ。愛なんだよなあ。

愛することは、戦うこと。【9月22日(火)】

タモリさん曰く、この世から戦争がなくならない理由は「人に愛があるから」だそうです。何かを好きになり大切にしたいと思う気持ちが、他者への攻撃につながるのです。僕はたまたまチラッと、キングコング西野さんの著書で知っただけなのですが、なんだか分かるような気がします。例えば「『たけのこの里』が好き!」と言えばいいものを「『きのこの山』なんて要らねぇ!」と言ってしまうのが人間なのです(ちなみに僕はたけのこ派です)。

つまり愛することは、戦うことなのです。リングに上がるということです。



ドラマとかでよく「何があってもお前を守る」などというセリフが聞かれます。ちょっと古いですかね。まあ、男性が愛する女性に向かってキザに言うやつです。つい最近まで、僕は「守るって具体的になんだよ」「な〜に決めてくれてんだか」と理解を寄せられませんでした。

しかし、愛にめざめた(?)今ならちょっと、分かります。いつでも彼女の立場で考え、彼女の味方であり続けること。そして彼女に差し迫る痛みへ、共に立ち向かうということ。そういった意味を含めて、彼らは「お前を守る」と誓うのです。愛を誓うのです。



これまで長らく愛に無関心だった僕は、ひょっとしたら戦うのが怖かっただけのかもしれません。リング上で戦う人々を眺めて、いい気になっていただけ。するとなんだか、寂しくなってきました。ぶん殴られてもいいから、何かを守りたいです。ヘンな話ですが、戦いたくなっている自分がいるのです。



…そうですねちょっと柔らかく言うと、彼女がほしいです。デートがしたいです。笑

ラブレターを書いたことはありますか?【9月23日(水)】

コピーに関する勉強を進めていると、「ラブレターを書くように」というアドバイスが聞かれます。ひょっとしたら、コピーに限った話ではないかもしれません。相手への思いやりが必要なことビジネスにおいては、かなり汎用性の高い、そしてやたらエモい喩えです。しかしはっきり言って僕は、この表現がしっくりきません。

理由は簡単で、ラブレターを書いたことがないからです。成功体験はおろか、そもそもの経験すらない状況。皆さんはラブレターを書いたことがありますか?ひょっとしたら僕はかなり少数派の人間なのかもしれません。とはいえこの令和の時代に、ラブレターの文化は存続しているのでしょうか、なんという疑問もありながら。そんなこんなで、どうもしっくりこないのです。



さて、コピーにおける「ラブレターを書くように」には、おもに2つのポイントがあると思っています。

1つは、自分ではなく“相手目線”の文を書くということ。筆をとる書き手の目線ではなく、受け手の立場になってモノゴトを考え、言葉を選んでいくのです。そしてもう1つは、結果として相手に喜んでもらうこと。ラブレターで言うなれば、恋が成就するイメージでしょうか。コピーならば「そうそうこういうことが言いたかったのよ!イイね!」とクライアントに感謝されるイメージです。

つまり「ラブレターを書くように」という喩えに心から共感するためには、相手目線でラブレターを書き、恋が実った経験が必要なのです(「好きです!付き合ってください!」などと書き手目線で玉砕したラブレターは、あいにく対象外となります笑)。



これらを踏まえて僕は、新たに「プレゼントを贈るように」という喩えを推奨したいと思っています。ラブレターを書いた経験がない人も、プレゼントならば選んだことがあるのではないでしょうか。

「あの人どんなことに興味があったっけ?」「これなら喜んでくれるかも!」などといった、とにかく“相手目線”のあの感覚です。それは恋仲に限らず友人や先輩後輩、あとは家族にだってあり得た話だと思います。そして特に家族ならば、かなりの高確率で喜んでもらえたはずです。



「コピーを書くときは、プレゼントを贈るように」。

僕がもっと立派なコピーライターになったら、よりオフィシャルな方法で披露したい考えです。それまでもう少し練り直して、温めておくとします。

来月、宮城にお邪魔します。【9月24日(木)】

先日オンラインで参加した「移住フェア」がきっかけで、来月“宮城行脚”にいくことになりました。フェアでプレゼンしてくれた自治体の方々が宿と車を手配してくれ、僕らを宮城県のあちこちに案内してくれるそうです。僕にとって宮城は地元ですが、自分が住んでいる町の近辺しか知らないので今からワクワクしています。

宮城ではとりあえず、知り合いを増やすことを目的にしたいと思っています。今は東京で暮らしている僕ですが、近いうちに仙台にも拠点が欲しいと思っているからです。地域のチラシやパンフレットを書くライターが不足しているとの情報も小耳に挟んだので、ちゃっかり仕事もゲットしてこようと目論んでいます。鼻息ぶんぶんです。

そういえば、昨年の10月には岩手県の八幡平市にお邪魔していました。あれはクラウドソーシングの「ランサーズ」がきっかけでしたが、僕にとって10月は、地方に足を運びがちな時期なのかもしれません。あれからもうすぐ1年か。早いなあ、ほんとうに。

ひとまず、正月以来の宮城、楽しんできます。今日はあっさりめに、そんな感じです。


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