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多拠点生活を目論む28歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#10】チームが変われば、個性も変わる。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

今週も金曜日がやってきました。「週刊エッセイ」のお時間です。

アフィリエイトで生活費を稼ぐぞ!と立ち上げたこのブログですが、すっかりエッセイストになってしまいました。笑

まあ、これもまた人生ですね。人生ということにしましょう。

今後あらためて、普通の記事も増やしていきたい所存です。

創作のためのマストマインド。【10月2日(金)】

「#創作のマストアイテム」というお題企画が始まったようだ。僕の場合はなんだろう。毎日このnoteを更新する際、かならず携えているもの。たとえばMacBook。たとえばiPhone。まあたしかに間違いではない。でも彼らだけでは、ここまで創作を続けられていないような気がする。

創作には、もうちょい深めのマインドの部分が重要なのではないかと思っている。言うなれば「自己理解しようとする気持ち」だ。

自分が何を好きで、何が嫌いか。どんなことを面白いと思い、どんなことを疑問に感じるのか。あるいは自分が更新を継続できる人間なのか、できない人間なのか。そこで反省して次に活かそうとするのか、毎日更新“しない”人間だと解釈するのか。

創作したものは、いわば自分自身だ。だから僕の場合は、「自己理解しようとする気持ち」がなければならないと思っている。


会話の即興性。【10月3日(土)】

たとえば、音楽家が即興で演奏を見せるとする。それは楽譜にない、予定調和とは対をなす、おそらく本人にとっても予想だにしない旋律。ぼくは所詮『関ジャム』で見た程度だが、相当なスキルを必要とするのではないかと思う。またたとえば、俳優が見せる即興の演技。エチュードなんて言われ方もするようだが、これまたきっと並大抵のスキルでは破綻してしまうだろう。



近ごろ、やっぱりどうしても人として生きていると「会話の即興性」が問われるなあと感じている。

たとえば今日。少なくとも週に一度はかならず行くスタバで会計を待っているとき、何度か見たことあるような女性店員さんに「髪の毛のクルクル、似合ってますね(ニコッ)」と言われた(あ、ぼく最近パーマかけたんです)。ピッとバーコードで決済をして、レジからレシートが出るのを待つあのわずかな時間に、だ。予想だにしない、かつ正直うれしい一言に面食らったぼくは「え、あ…ありがとうございます…いつもお邪魔しちゃってすみません…」とオロオロした。店員さんは「いやこちらこそ、いつもありがとうございます(ニコッ)」と返してくれたが、コーヒーと共に席についてから、とりあえずなんだか猛省した。



また先日は、そのパーマをかけた美容院で、こんなことがあった。

(ああつまり、ぼくは4日間で2度もオロオロしたのか…)





ふだんの会話は当然だれも脚本なんて書いていないのだが、人はいつだってある程度の予想を持って生きているだろう。その時のシチュエーションや過去の経験をもとに、なんとなく会話の流れを予想する。しかし時に、その“ある程度の予想”の外側から、発言を求められる。会話の即興性が問われる。そしてその即興性に上手に応えるには、やはりそれなりのスキルが必要なのだ。



つまりそう結局、会話のスキル磨かんとなあって思った話でした。もっとだれかと会話しよっと。。


愛のかたち。【10月4日(日)】

この世の中にはさまざまな「愛のかたち」があるようです。

たとえば、目の前に自分勝手なワガママで嘆いている男の子がいたとして、ただ「そうだねツラいよね〜よしよし」と慰めるのも愛。「キミのそれはワガママだ、将来のために省みたほうがいい」と声をかけるのも愛。「とりあえず腹減ったろ」とサンドイッチを手渡すのも愛だし、何も言わずに家に泊めてあげるのも愛です。そして言うまでもなく、まだまだまだまだ、愛のかたちはあるのでしょうね。

まるで種類が無限にあるカードゲームのようです。もちろん環境や時代によって自分が持てるカードは限られるのでしょうが、持ててしまえたカードは全部使えます。とても難しいゲームです。しかし、正しくカードを切り勝利をつかめたときは、この上ない達成感を得ることができます。

多くの人にとっては当たり前なことかもしれませんが、最近「愛」の尊さを覚えた僕にとっては、改めて確かめるべきことです。そうかだからこそ人間は、愛や恋愛の虜になるのかもしれません。そうですね今日は、そういうことにしておきましょう。


ワイヤレスの世界。【10月5日(月)】

今年、AirPods Proを緊急事態宣言が発令される直前に買った。僕が人生で初めてワイヤレスイヤホンを携えてから、もうすぐ半年が経とうとしている。

使い心地は、とても良い。たまに充電を忘れて目を丸くすることはあるが、ワイヤレスってこんなにも使い心地が良いのか。首や身体を動かしまくれるそ。もう僕の身体は、イヤホンの線に縛られない。じつに快適だ。そしてノイズをキャンセルしたりウェルカムしたり、状況や気分によっても使い分けている。ちょっとしたエンタメ性も感じる。街で落としてもいないし、家で失くしてもいない。トイレに落としてもいない。今のところとにかく、とても良好な関係である。

僕ら世代はきっと有線のイヤホンを男女で半分こするのが、青春のアルバムのどこかにある。いちおう、僕にだってある。だからたまにSNSで見かける「今の学生たちはあの“有線の良さ”を分からないんだね〜」なんて哀れむ声も分からなくはない。古き良き文化だ。

しかし正直、もうそんなことはどうだっていい。コロナさんのおかげで、今はマスクの時代でもあるのだ。マスクと有線のイヤホンはすこぶる相性がわるいだろう。外す順番に配慮しなければイヤな絡みかたをする。「あー」ってなる。僕も実際、そうなってきた。

ワイヤレスの世界に来られて、ほんとうに良かったと思っている。その日の朝に急に思い立ち近所の電化製品店へ歩いた半年前の自分に、敬意を表したい。すばらしい。ありがとう。

チームが変われば、個性も変わる。【10月6日(火)】

スペイン人のセスク・ファブレガスというサッカー選手がいる。彼は10年近く前、アーセナルというチームに絶対的な存在として“君臨”していた。イングランドの名門クラブで10代からレギュラーとなり、20代前半にしてチームのキャプテンとなったのだ。ポジションもフィールドの真ん中で、特に攻撃面で存在感を発揮する「王様」だった。

しかし、セスクは同時期に呼ばれたスペイン代表で、控え選手だった。彼のポジションには、バルセロナで輝きを放つシャビ、そしてイニエスタという選手がいたからだ。たとえアーセナルの「王様」でも、チームが変わればベンチを温めることになる。それがサッカーの面白さであり、難しさであると僕は学んだ。



そして今は、ことコミュニケーションにおいても、同じようなことが言えるのではないかと思っている。例えば地元の友人と大学の友人と会社の友人で、どこでも同じように振る舞えるという人はほとんどいないだろう。周りの人のキャラクターによって、自分の役割が変わってくるのだ。そりゃあ、どこでも変わらずいじられる“ストライカー”のような人もいるだろうが、絡んだ時代や年齢によってノリもちがう。ストライカーは、きっと少数派なのだ。

個人的には、これまでどんな場所でも同じように振る舞いたいと思っていた。そこに人間的な強さも感じたから。でも今は、その“チーム”に求められるプレーを遂行していたいと思う。もちろん与えられた役割に不満を感じることもあるだろうが、今は器用に振る舞えることに魅力を感じている。もしそのプレーが難しければ、チームを移籍してしまえばいいのだ。

大切なのはピッチに立ちボールに触ること。つまり、さまざまな人とコミュニケーションを取ること。そういった縁から、自分の可能性も探っていきたいと思っている。

「○」の雰囲気。【10月7日(水)】

昨日の『アメトーーク』で「踊りたくない芸人」が放送されていた。ダンスが苦手な芸人にわずかなレクチャーで踊らせ、その踊れないさまを笑うというもの。僕は正直、この嘲笑的な企画自体にあまり好感を抱いていない。ただ、芸人さんたちの奮闘する姿勢やウィットに富んだ振る舞いに惹かれ、なんだかんだで毎回見ている。

ダンスが終わるたび、その出来に「○」「△」「×」でちょっとした判定が下される。しかし昨日は、千原ジュニアさんのダンスに「本人が○の雰囲気を出したので…○」という判定がこの企画で初めて出た。前代未聞の事態に、後輩芸人たちは「なんやそれ」「そんなんアリ?」などとツッコミまくり。しかし当のジュニアさんは「なにがあかんねん」「大事なのは“ダンスっぽさ”やから」などとケロッとかわし、とても上手とは言えないものの、とにかく堂々と踊っていた。

僕はその姿勢にちょっとした感動を覚えると同時に、“○の雰囲気”の大切さを感じた。「○」が世の中における正解だとしたら(芸人さん的には「×」が正解なこともあるだろうが)、自分自身が第一に「○」の気持ちで取り組むことが重要なのだ。本気を出していないからと「△」や「×」を覚悟するのはナンセンス。恥じらいを抱くことなんてきっと持ってのほか、なのである。

「○」が欲しけりゃ、まず自分が「○」の判定を下せるように努めること。そこを割り切れるのが、プロという一つの要素にもなるのだと思う。また、もしそれが不可能ならば、きっと別の環境に身を移してもいいのではないだろうか。無理して踊り続ける必要はない。そこまで世界は狭くない。

とにかく自分が率先して「○」を求められる、そんな状況を意識して、今後も活動を続けていきたいと思っている。

「じぶんを飽きさせない」。【10月8日(木)】

糸井重里さんのエッセイ『きょうのダーリン』。今日はとくに好きな話だったなあ。ちょっと引用。

フリーで仕事をしていくために、いちばん大事なことはなんだったろうと思うと、わりとはっきりと言えることがある。「じぶんを飽きさせない」ということだ。
これは、フリーでやっている間も意識していたし、いまになっても、それが大事なことだと思っている。何時に起きて、何時に寝ようが、毎日のようにだらだらしようが、昼寝しようが、遊びまくろうが、なんだったらしばらく休業しようが、まったくかまわないと思うんだよね。おもしろかろうが苦しかろうが、仕事でも私生活でも、とにかくじぶんの「飽き」に気づくこと。
稼ぎがうまくいってても、貧乏していても、それは本質的なことじゃない、どっちでもいい。「飽き」が来ていたら、もうそれまでだ。なだめてでもすかしてでも、火の中に飛び込んでも、過剰に勉強しても、趣味の泥沼のなかに入りこんでも、なんとしてでも飽きないでいること。そのためにいちばんいいのは、じぶんの仕事そのものを飽きないように、おもしろくしていくことだった。

とくに印象的だったのが【稼ぎがうまくいってても、貧乏していても、それは本質的なことじゃない、どっちでもいい】ってところ。フリーになって2年が経過した僕だが、まあ昔ほどじゃないけれど、稼ぎがうまくいっていないと感じる時がある。そしてその都度、もう無意識にアタマのそろばんを弾いちゃう。生活費だいじょうぶかなあって。日によっては求人情報とか見ちゃうこともある。しんどいなあ就職しようかなあって。

まあ結局就職はせずに今も生きているんだけれども、そういえば「コピーライター」とか「ライター」で求人検索していたなあと思ったね。「書くこと」に飽きてないってことだろうね。いろんなクライアントさんが入れ替わり立ち替わり、僕の世話をしてくれているしね。幸か不幸かしらんけど。

【じぶんの仕事そのものを飽きないように、おもしろくしていくこと】かあ。そんな大それたこと考えてなかったな。とにかく「書くこと」で生きていられりゃいいかなって。そのとき出会う人と、縁があったら楽しく続く関係になるし、なかったらそれまでサヨウナラ。ああでもひょっとしたらこの本能に従う的なことが、僕にとっては「じぶんを飽きさせない」につながっているのかもしれないな。本能には飽きるも飽きないもないからね。

そんなこんなで来週は宮城に行ってきます。「移住フェア」ってイベントで知り合った自治体さんに、いろいろ案内してもらうんだ。あっちは寒いんだろうなあ。でもでも僕は、温かい出会いを期待しているよ。なんてね〜。



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