どうも、ぼーの(@nobo0630)です。
金曜日恒例の『週刊エッセイ』の時間がやってきました🙄
僕はnoteで毎日エッセイを書いていまして(連続更新は310日を突破)、そのコンテンツをリユースしようとしたのがこの企画です。
ということで、どうかよしなにお付き合いください。
▼noteではエッセイを毎日更新中▼
- 地方に身を置くべきか、否か。【11月6日(金)】
- 山手線での感情移入。【11月7日(土)】
- セブンのたこ焼きの魅力を伝えたい。【11月8日(日)】
- パーマをかけて僕が得たもの。【11月9日(月)】
- 最近見つけたコピーの書き方。【11月10日(火)】
- 裏は表があってこそ。【11月11日(水)】
- 心の容量制限。【11月12日(木)】
地方に身を置くべきか、否か。【11月6日(金)】
先ほどまで、宮城の自治体の方3名とオンラインで飲んでいました。先月の「移住フェア」というオンラインイベントをきっかけに知り合った方々です。このnoteではしつこいほど書いていますが、僕は最近、宮城へのUターンを考えています。
地方での活動に興味を持った当初は、まあ今はオンラインもあるし、東京に住んでるのもわるくないし(てか引越すカネないし)、話題の“多拠点生活”を送れればいいのかなと思っていました。僕が力になれそうなライティングは、実際に東京の仕事もリモートで行えてますからね。
しかしやはり地方に関する仕事をするなら、地方に身を置くべきなのかもしれません。というか、今日はそのようなアドバイスをいただきました。なぜなら地方の文化は「人」としての付き合いが主だから。ただのビジネス上の関係で終わらせることは少なく、いわば生活面にも“干渉”し合って生きていくことが地方のようです。むしろ地方で住んでいるから感じられることをまた仕事にしていけばいいんじゃない、とも言われました。
イイ感じの仕事だけをさせてもらおう、なんて姑息な考えをしていたつもりはありませんが、なんだか自分を省みています。まあ地方イベントへの参加を重ねるつれて、「(いろんな意味で)結局“人”なんだな」って薄々感じてはいましたが。今回で確信に変わったような気がします。
宮城へのUターン、近づいているのかもしれません。でもすべてを信じ込むんじゃなくて、良い塩梅で疑って、自分を貫く部分も探っていきたいと思っています。
山手線での感情移入。【11月7日(土)】
昼下がりの山手線。座席はまあまあ埋まっていて、ちょこちょこ空席が見えるような状況だった。僕はドア横のスペースにもたれかかっていた。
とある駅で停車すると、ベビーカーを押した女性が乗車してきた。すると、近くの座席の“端”に腰掛けていた20代(たぶん)の男性が、即座に席を離れた。そう、彼は席を譲ったのだ。しかし彼は、ベビーと共に乗ってきた女性に声をかけることはなく、ただ席の遠くへ離れただけだった。そして彼女はというと、その優しさで満たされた空席に座ることはなく、ずっとドア付近に立っていた(結局2つ隣の駅で降りたのだが)。
僕は、そそくさと席を離れた彼に感情移入し、勝手に共感してしまった。きっと「どうぞ」と声をかけるのが恥ずかしかったのだろう。ひょっとしたら僕と同じように、もはや声をかけて譲ることをダサいと感じている可能性もある。もしあの状況で僕が座っていたら、停車するやいなや降車するフリをして隣の車両に移っていただろう。
ああ、あの彼、このnote見てないかな。俺は見てたぞ、って伝えたい。お前のその優しさ、そして行動に移せる強さ。あるいは主張しない奥ゆかしさ。とにかく素敵だった。ずっと大事にするんだぞ。達者でな。
セブンのたこ焼きの魅力を伝えたい。【11月8日(日)】
セブンイレブンで売っている「たこ焼き」を食べたことがありますか?冷凍食品で235円(税込)。これ、じつはめちゃくちゃ美味しいんですよ。僕はハマりすぎて、ここ半年間ずっと食べてます(週3〜4ぐらいのペースで)。
その個人的に感じている魅力を考えてみると、以下の3つのポイントが思い浮かびました。
①低価格・高クオリティ
②ソース&かつお節付のホスピタリティ
③お皿いらずで洗いものゼロ
ということで、ちょっと紹介させてください。
まず「①低価格・高クオリティ」。まあそのまんまなんだけれども、とにかく安くて美味い。パッケージにもあるように生地が“とろ〜り”としていて、付属のソースとの相性がバツグン。もちろんタコもちゃんと歯応えがあって美味しいです(サイズはまちまちでたまに信じられないほど小さいものもあるけど、それもまたよし笑)。あと6個入りってのもまたイイんですよね。僕はおやつやおつまみに食べることが多いんだけど、4個じゃ物足りないし8個じゃちょっと多い。1個ずつパクッと食べていく、そのスピード感もちょうどいいんですわ。
そして「②ソース&かつお節付のホスピタリティ」。ちょこっと前述しましたが、ソースとかつお節が標準搭載。当然、たこ焼きとの相性は最高な味わいとなっています。個人的にはソース→かつお節の順でかけて、最後にマヨネーズをまんべんなくかけちゃいます。その相性はやっぱり間違いないですし、風で飛んでいこうとするかつお節の“フタ”にもなります。ライフハックです
最後に「③お皿いらずで洗いものゼロ」。このたこ焼きは開けると紙トレーに乗っていて、そのままレンジでチンしてテーブルにオンできるんですよね。そんで僕はいっつも爪楊枝で食べるので、食べ終わったらそのままポイです。洗いものが増えません。またお酒を飲んでいた場合は、空になった“たこ焼き皿”にポテチを盛ることもあります。めちゃくちゃ気の利くヤツなんです
ということでこのnoteをここまで読んでしまったあなたには、ぜひ食べてほしいです。まあでもやっぱり、食べなくても全然イイです。そのぶん、僕が食べちゃいますからね。
最近セブンイレブンをたこ焼き屋さんだと思っています
— ぼーの (@nobo0630) 2020年10月21日
ちなみに、最近はすっかり、こんな感覚に陥っています。
パーマをかけて僕が得たもの。【11月9日(月)】
今週金曜日に髪を切ることにした。約2ヶ月前に受けたパーマ&カットから、かなり伸びまくっている。まあそりゃそうか
その前回のパーマは、約2年ぶりにかけたものでもあった。直軟毛で猫っ毛の僕にとっては、久々に「楽チンな朝」が訪れてくれた。それまでヘアアイロンまで使ってなんとかかんとかセットしていたが、今はなんとなく乾かしてなんとなく整髪料を付ければ、なんとなくカタチになるのだ。僕は「楽チンな朝」を過ごしたくてパーマをかけたんだなあ、とも思った。
つまり今週カットをするということは、「楽チンな朝」も切り離してしまうことにも繋がる。多少のクセは残ってくれると信じたいが、今の僕は「楽チンでない朝」と再会することに怯えているのだ。
高確率でハゲると思しき父方のDNAにも怯えながらも、また次の次の美容院あたりで、パーマをかけてやろうかと企んでいる。朝の時間を増やしてやりたいと考えている。
最近見つけたコピーの書き方。【11月10日(火)】
よくコピーを書いている。いやいやお前はコピーライターを名乗っているのだからそりゃそうだろ、と鼻先で笑われてしまいそうだが、書いているのだから仕方ない。今は地方自治体への企画書や、あとは公募コンテストのコピーをせっせと書いている。
かつて約1年間、都内の制作会社へコピーライターとして勤めていた僕は、その当時の師匠にコピーの書き方を教わった。それは、往年の名作や近年の傑作が集められた「コピー本」を見ながら書くというもの。いま自分が書くべき企業や商品を思い浮かべながらペラペラと本をめくり、次々と目に飛び込んでくる言葉たちの切り口や言い回しを参考に、コピーを考えるのだ。
正直、当時はよく分からない感覚だったが、今なら深く理解できる。というかもうその書き方を実践しているし、僕の家の本棚は、かつて通っていた事務所とかなり似ている(というか寄せている)。そして最近では、僕なりの新たな書き方を見つけた。
それは「エッセイ」を読みながら書くというもの。コピー本ではなく、エッセイを開くのだ。まあ例によって、自分が書くべき課題を思い浮かべながらページを進めていくわけだが、エッセイには作者の視点が詰まっており、切り口のアプローチになる。自分にはない視点を持ちながら、コピーを書くことができるというわけだ。
もちろんクライアントの判断が「正解」となるのだが、まずは個人レベルで、今後もしっかりコピーと向き合っていきたいと思っている。
裏は表があってこそ。【11月11日(水)】
僕は、ものごとの「裏」を取るのが好きである。例えば何気ない会話の中でも、あえて“相手が見ていないであろう角度”からの発言をして「あ、そっち?笑」などという反応をもらうことが好きである。例えばスマホのサバイバルゲームでも、味方と撃ち合う敵に対してこっそりと回り込み、気づかれぬ角度から陥れることに快感を覚える。
裏打ちのハイハットに自然と耳が持ってかれてどっちが表か分からんくなりがち
— ぼーの (@nobo0630) 2020年11月11日
気がつくと、ふだん何気なく聴いている音楽でもそうだった。裏のビートや、あとはハモリパートなんかに耳を傾けてしまう。そして仕事でも自然と「裏」を探す自分がいる。どんな戦略でどんな言葉を使えば目立つことができるか。差別化できるか。もう自分のアイデンティティぐらいの勢いで「裏」を愛している。少数派の感じがたまらないのだろうか。
ただ、その「裏」を生み出すためには不可欠なものがある。言うまでもないかもしれないが、「表」である。王道があるから、邪道がある。あるいは主役がいるから、脇役がいる。だから僕が僕らしく在るためには、「表」な存在が必要だと気がついた。たしかに思い返せば学生時代でも、僕のすぐ近くには太陽のような、男女分け隔てない社交的な友だちがいた。あの頃から、彼らの陰でコソコソとボケたりツッコんだりするのが、(良くも悪くも)自分のスタイルだったように思う。
今後も「裏」を愛するため、僕は「表」な存在こそを愛するべきなのかもしれない。じつは「表」にこそ、自分らしさへのヒントが隠されているのかもしれない。雲を掴むような結びになってしまったが、今はそんなことを考えている。
心の容量制限。【11月12日(木)】
おととい、東京の兄さん的存在のテツさんが、以下のようなツイートをしていました。
気付いたら一歩踏み出してた、くらいがちょうど良くて、どうしよか考えてるとひたすらに時が流れてくのよ。
— シミテツ (@tetsu_simisu) 2020年11月10日
まさにその通りだなあと、ハートマークをポチッとしました。特に「どうしよか考えてるとひたすらに時が流れてく」ってところにめちゃくちゃ共感しまして、さっそくきのうとりあえず、ここ1ヶ月ほど気になっていた場所に行ってきました。
心にはデータのような「容量制限」があり、既存の「想い」をさっさと消化しないと、新しい「想い」が入る余地がありません。あ、すみません、これは個人的な感覚の話です(まあだったら早く“気になっていた場所”に行っておけよって話にもなっちゃいますが)。
だからきのうは改めて、行動に移すことの大切さを身をもって実感しました。気になっている場所にはさっさと行くこと。気になっているモノはさっさと買うこと。気になっている人にはさっさと会うこと。今後地方での活動を見据えている僕にとっては、東京に住んでいる時間も“有限”となってきました。東京を離れてからの後悔を少しでも小さくできるよう、「想い」をどんどん消化していきたいと思っています。
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