0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

【Sponsored Links】

【週刊エッセイ#16】心の「元どおり」。

f:id:nobo0630:20201127012728j:plain


どうも、ぼーの(@nobo0630)です。こんにちは。

毎週金曜日恒例の「週刊エッセイ」です。

エッセイの連続更新は320日を超えました。よかったらnoteにも遊びに来てください🙄

▼noteではエッセイを毎日更新中▼

note.com

セカンドの7番。【11月20日(金)】

オードリーの若林正恭さんが、とあるバラエティ番組で「セカンドの7番」と自身を評していた。そこには「おもに芸能界における」という枕詞が付くと僕は認識している。が、ひょっとしたら若林さんの人生全体の話なのだろうか。そしてふと思った。いったい僕は何番で、どこを守っているのだろう。

スポーツをまったく知らない方には恐縮だが、これはコミュニティにおける立ち位置を野球になぞらえた“喩え話”である。攻守でもっとも重要な役割を担う「4番ピッチャー」を中心的存在として、打順や守備位置を当てはめるのである。

自分がクリーンナップや1番バッターでないことは承知している。センターやショートでもないこともしかりだ。僕もひょっとしたら、「セカンドの7番」なのかかあ。いやいや、そう思いたいだけなのかなあ。

基本的な堅実な守備を求められ、注目を浴びるのはエラーをしたとき。タイムリーを打とうがファインプレーをしようが、お立ち台には上がれない。そんな「セカンドの7番」。いやでもこうして考えてみると、不思議と嫌いじゃないんだよなあ。

タダより高いもの。【11月21日(土)】

ここ1ヶ月ほど地方での活動に興味が湧きまくっており、オンラインのイベントや現地でのツアーに参加しまくっている。きのうは福島県まで足を運び、再来週は滋賀県へ行くことにした。

そして先月に現地ツアーを案内してもらった宮城の方とは、今も頻繁に連絡を取っている。いっしょに地域のコンテンツについて考えてたり、次のイベントの企画なんかもしている。そしてそしてありがたいことに、ライティングの依頼も徐々に増えている。今は地域のフリーペーパーの編集の話が進んでいる。

しかしここで難しく感じられることがある。ズバリ、お金の話だ。

どうやら予算は多くないようで、正直そこまで大きな収益は見込めない。僕にとって、それは全然いい。お仕事をいただけるだけありがたい。ただ、「タダ」で請けるというのは、なんだかちがうような気がするのだ。仕事を振ってくれた方には、先月のツアーでめちゃくちゃお世話になった。その恩はバリバリある。しかし、“ソレとコレとは”な気がしていて、「よかったら無料で書きますよ」とは言えない自分がいる。

タダより高いものはない、なんて言葉がある。その通りだ。タダには、さまざまな感情や要素がつきまとう。未来へのヘンな布石になってしまうかもしれない。僕はそれらを怖れて、タダで仕事を請けるという選択肢から離れようとしているのだ。

読まれてたまるか。【11月22日(日)】

今日もTwitterのタイムラインには、いつもように有益な情報が流れている。さっきは「読まれる文章へのポイント●選」なんてツイートも目についた。「読み手の気持ちを考える」などが列挙されていた。

この僕のnoteは、そんな「読まれる文章」とは真逆の位置にある。アンチテーゼ、というほどの意識もない。いわば自分のために、自分の気持ちを書いている。大袈裟に言えば、生きている心地がするのだ。

冒頭のツイートを見た瞬間、やっぱり自分の本業に生かすためにも、今後「読まれる文章」を意識して書いていこうかとも思った。“寄せる”べきなのかなって。しかし次の瞬間、やめた。「うるせぇ」って思った。

だったらもう、読まれてたまるかって思った。知らん奴の偉そうなツイートに、この自分の場所を汚されたくない。これはただの意地かもしれない。近いうちに後悔するかもしれない。

でも今は確かに、そんなことを考えている。だから忘れないように、ここに書いている。



僕は今日も、生きている。


足で書け。【11月23日(月)】

僕はこのnote以外に、自分のブログでも文字を書いている。4年前にアドセンスやアフィリエイトなどという言葉を知り、そんな生き方があったのかと衝撃を受け、その勢いのまま独自ドメインまで契約してしまったブログだ。そしてブログで生計を立てることを一瞬でも夢見たが、いわゆるSEOライティングみたいなものをほっぽり、勝手に挫折し、とはいえ解約するような勇気も湧かず。今では抜け殻のようなブログになっている。

いや、厳密に言えば「なっていた」である。ここ1ヶ月ほど、ブログに書きたいことが頭に浮かびまくっている。実際、書きまくっている。その話題はおもに、最近興味が湧いている「地方」での暮らしについてだ。

ここ1ヶ月の僕は、移住や地方での暮らしに関する「オンラインイベント」や「現地のツアー」に参加しまくっている。するとそれに伴い、感想や考察がどんどん心や頭に溜まってきた。こうなってくるともう、書きたくてたまらない。週2〜3のペースで地方イベントに参加している今は、ブログの更新が追いつけていなかったりする。

そして気づいたのは、文章を生み出すためには「いろんな環境に身を置くこと」が重要だということ。いわば「足」を動かすことが(オンラインもあるけどね)インプットとなり、書くというアウトプットに繋げてくれるのだ。

僕はキングコングの西野亮廣さんが好きなのだが、彼がどうしてFacebookでもブログでも、そしてオンラインサロンでも、あれほどのアウトプットができているかが分かった。とにかく足を動かしインプットしているからだ。近ごろ身をもって実感できた。…と感銘を受けていたら、それこそ今日の彼のブログでそんなことが書かれていた。あながち間違っていなかったようで、やたらホッとしている。

ameblo.jp

ちなみに以下が僕のブログ。よかったら遊びに来てください。ブログのタイトル、結構気に入ってるんだよね〜。

素直な情熱で衝動を。【11月24日(火)】

近ごろ「バイブス」という概念を大切にしたいと思っている。ヒップホップに由来を持つこの言葉は『テラスハウス』によって思わぬ脚光を浴びることになった。調べてみると「雰囲気」や「ノリ」という意味が出てくるが、振動を意味する〈vibration〉から派生したこともあり、心を震わせる「ポジティブな衝動」ぐらいのニュアンスで僕は解釈している。

オードリーの若林さんも人のバイブスにアンテナを張っていて、言ってしまえば僕は、彼の「バイブス論」が好きである。僕が近ごろバイブスを大切にしたいと思っているのは、彼からの影響だ。

若林さんはバラエティにしろ歌にしろ、人の“表現”を見るときに「その人のキャラクターに合っているか」や「その人に嘘がないか」という軸を持っている(と思う)。彼のラジオを聴いたりnoteを読んだりすると、そう感じられる。きっとそれがバイブスを生み出す要素だからだ。人の心を動かすために必要なものだからだ。うん、なんとなく共感できる。というか彼に共感したい。笑

だから自分がバイブスを放つためにも、このnoteの表題のような感覚を大切にしたい。きっとそれは「自分らしさ」とか、もっと言えば「しあわせ」とか、そういったポジティブな感覚も引き連れてくれるような気がするからだ。

素直な情熱で、衝動を生み出していこう。

心の「元どおり」。【11月25日(水)】

日常でメガネを使っていると、自然とレンズが汚れていく。知らぬ間にフレームが歪んでいたりもする。ちょっとふらっとメガネ屋さんへ寄りメンテナンスをお願いすると、ピカピカかつ真っ直ぐになって、僕の手元に戻ってくる。驚くほど「元どおり」になる。



つい先日久しぶりに、約15年来の付き合いになる地元の友人と会った。今年の正月ぶりとなる約10ヶ月ぶりの再会。これまで5人ほどのオンライン飲みでは会話をしていたが、久しぶりの居酒屋だった。さらにサシで飲んだのは…記憶にないくらいだ。

彼は、学生時代は学年のマドンナをしっかりと射止め、今は大企業に勤めている。主に人生の軸を「社会」に据えており、「自分」を中心に生きる僕とは正反対な存在である。奇しくも性格や食の好みなども遠く離れており、互いに昔から多くの刺激を与え合ってきた。

そして、つい先日だ。僕は「これまで自分のために生きてきたけど、ヒトやモノとまっすぐ向き合い愛したい」「その一環として地方での活動を見据えてる」という、近ごろの想いを口にしてみた。すると彼は「そうなんだ。まあぼーの(仮)は『まっすぐ見ないところ』が良さでもあったけどね」と言ってくれた。そして「“目の前”に限らず、本質まで見据えている感じがするっていうか」と続けた(自分で書くのはアレだけど)。



ここ半年ほど、自分の感覚や価値観の変化に喜びを感じていたが、なんだかハッとさせられた。アイデンティティを再確認したような感覚だった。もちろん、だからと言って今の「地方を見据えた活動」をゼロにする気はない。ただ、久しぶりに地元の友人と会い、心が「元どおり」になったような気がした。



変化できることは、決して悪いことではないと思う。われわれ動物にとっては「適応」なんて言葉にもなるだろう。今年は大きな変化が強いられたからなおさらだ。でもだからこそ、変わらないものも大切にしていきたいと思う。自分を「元どおり」にできる場所は、本当に尊いものなのだから。

遊び心は本気のしるし。【11月26日(木)】

糸井重里さんの『ほぼ日』で、糸井さんと松岡修造さんの対談企画がスタートしました。

www.1101.com

この対談は2時間半にまで及んだそう。きょう公開されたのは第1弾でして、個人的に明日からの楽しみが増えました。また、ほぼ日のYouTubeチャンネルではダイジェスト動画が公開されています。

youtu.be

この動画内で「糸井重里と松岡修造の共通点」という話題が出てきます。そこで松岡さんは、このように言いました。

僕が糸井さんとの共通点って思ったところは、「すべてのものをPLAYしてる」って感じです。遊んでる感覚なんですよ。(中略)「遊び」って本気になるじゃないですか。(中略)やっぱり錦織圭っていう人は、僕は11歳で見た時に、天才だったんですよ。もううらやましくてしょうがなかった。(中略)彼はコートで遊んでたんですよ。


ハッとしました。そうか遊ぶように働くって、こういうことなのかと。これまで、たとえばタモリさんの「仕事は適当に、遊びは真剣に」みたいな名言はなんとなく記憶していましたが、なぜか今になってようやく、身をもって共感できました。

遊び心が「余裕」を生み「工夫」を生み、「本気」を作ってくれるんですね。むかし小学生の頃、兄とスマブラで対戦したことを思い出しました。ゲームという“遊び中の遊び”なのに、負けた方がベソをかいていたんですよね。コントローラーの操作を妨害したり、リセットボタンに手をかけたりしたこともありました。きっとああいうのが「本気」なんだろうなあ。(?)

そう考えると僕は全然、これまで仕事で遊べていませんでした。結局まじめに、きちっとしてしまう。深みのない、つまらない人間ですね。これを書きながら、省みています。

これを読んでくれているあなたは、日頃遊べていますか? もし首を横に振るようでしたら、これから遊んでいきましょう。本気で遊べる場所を、いっしょに見つけていきましょう。ほら、楽しみですね。


▼noteではエッセイを毎日更新中▼

note.com

【Sponsored Links】