0→1(ゼロカライチ)

多拠点生活を目論む28歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#18】玉ねぎを床にぶちまけて。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

毎週金曜恒例の「週刊エッセイ」です。

直前の記事も週刊エッセイということで、今週はブログを更新できませんでした🙄

いよいよ今年も佳境に入ってきたことですし、やっぱり更新頻度を上げていきたいところです。。

ってまあ、それはそれか!今回もよろしくです🙇‍♂️!

▼noteではエッセイを毎日更新中▼
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バックスペースで消せない言葉。【12月4日(金)】

滋賀に来ている。昨日は、人生初のAirbnbを利用してみた。あらかじめ写真を見て選んだ部屋だが、実際は想像以上にキレイで、ほんとうに居心地の良い空間だった。室内を暖かくして駅まで車で迎えにきてくれた、そんなホストの方の人柄も含めて、今後エアビー利用することが不安になってしまうくらいすばらしい施設だった。

カウンターには「Guest note」が置いてあって、そいつを開いてみると、ゲストとして訪れた人が旅の思い出やホストへの感謝を綴っていた。表紙には「No.5」ともあって、きっと5冊目なのだろう。それなりの歴史と愛を感じる。そしてせっかくだから僕も書いてみようと、さっそくペンを取る。

しかし、なかなか書き出せない自分がいて、なかなか驚いた。言うてライターだしこのnoteに毎日書いているし「書くこと」自体に抵抗はない。いやいやそれどころか、得意ぐらいの心意気まで携えている。ただ油性ペンを持って紙のノートを前にしたとき、「バックスペースで消せない言葉」を放つのが、正直に言うと怖かった。

思えば今の仕事やSNSでは、バックスペースを使いまくっている。つまり、書きまくっては消しまくる「試行錯誤」を繰り返して、なんとかかんとかカタチにしているのだ。それこそ、このnoteを書いている今だって、何度文字を消しているのか分からない。

まあもちろん、わるいことではないとは思う。むしろPCやスマホの特性と肩を組む、そんな見事な現代人を演じられているだろう。しかし、今後は「バックスペースで消せない言葉」も、しっかり使いこなせていきたいとも思った。今回のように紙に書くだけでなく、たとえばスピーチとか、ふだんの何気ない会話だってそう。シンプルに“ことば好き”として、しっかり言葉と向き合っていたいと思う。



ああ、そうなるとやっぱり、もっとライブ配信やラジオ放送を実施して、話す訓練をしないとなあ〜。


アウトプットとインプット。【12月5日(土)】

先日テレビでMr.Childrenの桜井和寿さんが、今年の自粛期間中の過ごし方について話していた。

何かアクションを起こす気にもならず、ひたすら…迷ってました。出口が見えないのに、アウトプットをどこに設定していいのかが分からない、ので。
(中略)
音楽にしろスポーツにしろ、プラスαのあり余った力があるからこそ、動かせるもののような気がするんですよね。だからコロナで経済、生活をこう…回すのが精いっぱいの時に、まあ僕らが動けないのはしょうがないと思うし、その覚悟を持って僕は音楽の道を選んだから。
(2020.11.30『newszero』より)

例えば、昨日まで僕がお邪魔した滋賀県の琵琶湖は、日本一を誇る大きさなのに、出口となる川が1本しかなかったという。そこで後から2〜3本ほど人工的な川を追加し、水の流れを整えたという話を聞いた。

きっと人間の思考や創作も、同じなのだろう。流れ出る場所がなければ、たとえ綺麗なものでも淀んでしまうのだ。

桜井さんはコロナによって、ライブも無くなって音楽活動を続けにくい環境にもなって。だから「何かアクションを起こす気にもならず」だったのだろう。思考が滞留し、心身共に重くなっていたのではないかと推測する。

僕は、このnoteというアウトプットの場所があるおかげで、毎日のふとした瞬間が尊く思えたりする。つまりインプットできている。そう、アウトプットがあるから、インプットできるのだ。そしてそのインプットが、またアウトプットを生み出してくれる。桜井さんと話を並べるのは恐縮にもほどがあるが、そんな実感が、たしかにある。

だから今後も、自分の思考を淀ませないように、また枯渇もさせないように、良いバランスで生きていたい。noteの毎日更新は、今日で337日目。とりあえず365を一つの目標に、インプットもアウトプットも続けていこう。



ところで。ミスチルのライブ、また行きたいな〜。


馬鹿になることが苦手だ。【12月6日(日)】

いっつも「ほぼ日」で読んでいた糸井重里さんと松岡修造さんの対談企画。『Number』のYouTubeチャンネルで、動画版が挙げられていた。

youtu.be

改めて気になったのは、「馬鹿になる」という話題だ。新たなアイディアを生み出すためには、馬鹿になって考えないといけない。もう修造さんなんかは「サバになる」なんてことを言っている(もちろん流れもあるけどね)。



最近気が付いたのだが、僕はこの「馬鹿になる」という行為が苦手だ。むかし通ったコピーライター養成講座でも「“ばか山”と“おりこう山”を行ったり来たりしてアイディアを生み出すと良い」と言われた。しかし、どうも馬鹿になれない自分がいる。

この場合の「馬鹿」は、言い換えれば「突飛」である。ふつうでは思いがけないことを思いつくこと、発言すること。しかしどうやら僕は「地続き」でないと、上手くアイディアを整理できない。宙へアイディアを飛ばすことができない。悔しいほど、ふつうの人間である。

そしてさらに問題なのが、そんな「馬鹿な自分」を他人に晒すことに抵抗があるということだ。学生時代に優等生キャラとして過ごした時間が長かったからか、“ちゃんとしよう”としてしまう。思えば、前職時代にコピーライターの師匠とブレストした時も、口を閉ざしてしまった。「いやメモってないで何でもいいから言ってよ」とよく言われていた。



馬鹿になることを克服すること。もしくは、馬鹿にならなくても済むように生きること。今の僕には、ふたつの道が広がっているような気がする。

自分と社会の交差点。【12月7日(月)】

「自分」と「社会」が、ちょうどいい塩梅で重なる場所を見つけること。仮にそれを「就活」と呼ぶのだとしたら、僕はいまだに就活の真っ只中である。

28歳。大卒だと社会人6年目。とうの昔に就活を終え、大手企業で順調にキャリアを積み重ねる同級生たちは、もう立派な中堅社員となっているようだ。そんな彼らと自分を比べた時、劣りや焦りをまったく感じないと言ったら嘘になる。しかし次の瞬間には、いやいや劣りや焦りってなんだ?と、首を傾げている。半ば強引に、傾げる時もある。

同年代の友人たちが家族を築いてく
人生観はさまざま そう誰もが知ってる

そしてひょっとしたら知らぬ間に、このMr.Childrenの曲の歌詞に支えられているのかもしれない。好きなんだよね、この曲も。ところでミスチルの曲、サビの前にしれっと良い歌詞ありがちだよね。…まあ、それはいいか。



最近ようやく、自分の価値を少し信じられるようになってきた。他人にはない武器というか、僕が生きるべき道を感じられている。と同時に、なんとなく限界も見えてきている。誇らしくもあり、虚しくもある。

そしてさらにようやく、今は社会と向き合えているような気がする。自分の価値を携えて、今度は社会に対してどう価値を生み出していくべきか。やっとここまで考えられるようになった。これを成長と呼べるかは分からない。ただ昔に比べたら、明らかに思考が変化している。



多くの人は、この「自分と社会の交差点」を見つける作業を、学生時代に済ませていたのか、ということにも気がついた。いやひょっとしたら、全員が全員“済ませた”わけではないかもしれない。でも、たとえ暫定的でもとにかくカタチにして、就職を決めていた人がほとんどだった。

他の人が6年以上前に済ませていた思考に、僕はようやくたどり着きつつある。ペースが遅いことは仕方ないし、これまでそれなりの代償も払っているつもりだ。だからもういっそ、もっと時間をかけてでも、自分が納得する交差点を見つけ出したいと思っている。僕の就活は、まだまだ続きそうである。

地方の魅力的な人たちを。【12月8日(火)】

最近の僕は、地方での暮らしを見据えている。今は東京で暮らしているのだが、田園が広がる宮城県の田舎で育った過去もあり、今後は地方のために生きられないかと考えているのだ。具体的には、発信活動やイベントなどのコミュニケーションの設計に携わりたい。そしてそのイメージの輪郭をあざやかにするため、今はあらゆるオンラインイベントや現地ツアーに参加している。

そこで地方の人たちと触れ合うと、かならず魅力的な生き方を実践している人が見つかる。Uターンで起業した人。急に思い立ってIターンしちゃった人。新風を吹かせる地域おこし協力隊員。たまにいる“変態”な行政職員。などなど、本当に個性的かつ魅力的な人に出会ってきた。

僕はだんだんその人たちを、取材したくなってきた。記事にしてコンテンツにして、その存在を知らしめたくなってきた。僕だけが話を聞いて「ほ〜」と感心するのはもったいない。もっと地方の面白い人を知ってほしい。もっと地方の面白い人が、有名になってほしい。

そんな感じで近々、勝手に取材・執筆活動をスタートさせようかと考えています。まあ、まだ分からんけどね。とりあえず今は、ワクワクできています。

玉ねぎを床にぶちまけて。【12月9日(水)】

今日はひき肉を安く手に入れられたから、めずらしくボロネーゼを作ろうと思いました。レンジでスパゲティを茹でている間に、ひとくちコンロで調理をします。油を敷きひき肉を炒めている間に、玉ねぎを刻みます。

そして細かくなった玉ねぎをフライパンに移そうとした時、手がすべって床に玉ねぎをぶちまけてしまいました。すでに全体の3/5ほどはフライパンに入っていたことが唯一の幸いといったところでしたが、その惨状に、思わず「あーあ(笑)」と1人でこぼしてしまいました。

ただ、この“玉ねぎ惨状劇”をきっかけに、久しぶりに床をがっつり掃除することができたんですね。「じゃあもういっそのこと、めちゃくちゃキレイにしてまえ〜」と。いわば玉ねぎをぶちまけたおかげで、うちの床はより清潔になりました。

やや大げさになってしまいますが、ネガをポジに変換するって、きっとこういうことだなと思いました。向かい風が吹いたなら、くるっと逆を向いて追い風にしてしまえばいいのです。ひょっとしたら人として、時に悲観することも大事なのかもしれません。ただ、僕はやっぱりポジティブな時間を長くしていきたいと思います。捉え方しだいで、ネガティブもひとつのきっかけやエンタメになってくれますからね。


「じぶんがしたかったこと」を。【12月10日(木)】

糸井重里さんのエッセイ『きょうのダーリン』。今日も面白うございました。

若いころ、「モテねぇモテねぇ」と無駄に嘆いているモテない青年のほとんどは、現実を超越したとんでもない夢を描いている。それは、つまり、「じぶんはなんにもしてないのに、女の子たちがワーだのキャーだのタコの足だの言って、邪魔なくらいに寄ってくる」というようなことだ。バッターボックスに立ってもいないのに、逆転サヨナラ満塁ホームランを打つようなことだ。「おれは、そんなつもりないのに、彼女がさぁ…」だ。
(中略)
もちろん、立候補したらいいことがあるとはかぎらない。選挙なら落選もするし、愛の告白なら振られもする。なんにもしないで相手から口説かれることも、ないわけじゃないのはわかっている。でも、それは「じぶんがしたかったこと」ではなくて、「相手がしたかったこと」に同意しただけことなのだ。それはそれで、じぶんにしたいことがないときには、けっこうたのしく過ごせるかもしれない。でも、ほんとうにやりたいことというのは、「ああ、いいですよ」という受け身の結果ではなく、「しっかり頭を下げてお願いする」ものなのだ。そういうことかもしれない、と気づくのは遅かった。

まさに僕はつい最近まで、糸井さんの言う“「モテねぇモテねぇ」と無駄に嘆いているモテない青年”だった。だから今回のエッセイには、とくに共感できた(今はもうバッターボックスに立てていないことに気づけたから、無駄に嘆くことはない。決してモテているわけではない笑)。結局のところ、真正面から「好きです!」と、フラれる覚悟も持って人と向き合える人がつよい。というか、人としてすてきだと思う。

たとえば学生時代の僕は、真逆の価値観を持っていた。バッターボックスに立つ人を見て、観客席から「うわ、あいついったよ」「なんだフラれてんじゃん」と、肘掛けに体重を乗せポップコーンでも食べながらイイ気になっていたのだ。ただただ、バッターボックスはおろか、スタジアムに足を踏み入れることにすら、ビビっていただけなのに。そんな弱い自分に気がついたのは、ほんとについ最近の話だ。糸井さんじゃないけれど、気づくのは遅かった。



とはいえ、もう過ぎ去ってしまった時間は仕方ない。これからは糸井さんが言うように、「相手がしたかったこと」に同意するのではなく、「じぶんがしたかったこと」を実現できるように努めようと思う。しっかりと真正面から、やるべきことをやろう。逆転ホームランを打ちにいこう。


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