0→1(ゼロカライチ)

多拠点生活を目論む28歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#20】言葉と体現。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

クリスマスも終わりまして、いよいよ年末感がグググっと押し寄せてきていますね。

ことし2020年から始めた「週刊エッセイ」も、もう年内ラストとなりました🙄

いろいろ大変だった年ですが、ひとまずどうもありがとうございました🙇‍♂️また来年もよろしくお願いします。

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noteの連続更新が350日を迎えてしまいました。【12月18日(金)】

昨日でnoteの連続更新が「349日」となりました。つまりこの記事で350日になります。どんどんどんどん、ひとつの目標にしていた365日へ近づいていきますが、今の僕には“何とも言えない感情”が芽生えていたりします。どちらかというと、ネガティブな話かもしれません。

というのも、あまり環境的に大きな変化を感じられていないからです。もっとフォロワーが増えるなり(現在のフォロワーの方にはいつも感謝しています)記事が拡散されるなり、何なら仕事のオファーが来るなり。あえて羞恥心を放り投げて言うなれば、noteを書き始めたころはそんな妄想を思い描いていました。しかし、いずれも実現できていません。大きな変化がなく、もうすぐ1年が経とうとしているのです。

とはいえ、その原因は分かっているつもりです。これまではとにかく「自分のため」に書いていました。このアカウントでは、その日に感じたことや考えたことを綴る、いわゆるエッセイを書いています。ふだんの仕事では叶わない「好き勝手に書く」という、そんなコンセプトだったからこそ、ここまで続いたのだとも思います。ただ、一部の天才を除き、それだけでは拡散もオファーもありません。そんな世の中の仕組みが、ようやく理解できてきました。

だから今後は、徐々に「他人」を意識したエッセイを書くことを目標にしたいと思います。具体的にはTwitterで拡散されたり、「note編集部のおすすめ」に載ることが当分のハードルになることでしょう。けれども続かなければ意味がないとも思うので、もともとのコンセプトも忘れずに、書くことを楽しんでいければとも思います。

あーもうすぐ1年かあ。意外とあっという間だった。でも改めて思うけど、やっぱり結局「書くこと」が好きなんだなあ。

いかに自分を“ふつう”にできるか。【12月19日(土)】

最近になって僕はようやく、自分と他人の間に「価値」が生まれるということが分かってきた。自分が良いと思っているだけでなく、いやというか自分の価値観なんてさておき、まずは他人に対して意味のあるものを提供すること。それこそが価値、ひいてはビジネス。あるいはお金。28歳にしてようやく、そんな世の中の仕組みを理解することができている。

「ようやく」という言葉を使っているのは他でもない。自分の学びの“遅さ”を自覚しているからだ。ただしこの“遅さ”は、一般的な社会と比べた時に生じるスピード感である。社会と比べるから、生じるもの。つまり僕1人だけで考えたら、“ふつう”のスピード感である。

僕は、この社会を自分らしく生き抜くためには、いかに自分を“ふつう”にできるかが重要だと思っている。学校や会社、今やSNSでも他人を認識できるようになり、否が応でも自分と比べてしまう。時に優越感に浸ってしまうこともあるが、僕にとっては劣等感を覚える時間の方が長い。この焦りを生み出す劣等感こそが、自分らしさを奪っていくような気がする。自分のペースで走れなくなってしまい、すると当然、生きるのがしんどくなっていく。

今日のバラエティ番組で、嵐の大野智さんが自身の人生について話していた。大野さんには、数学の2点のテストを額縁に飾り、高校を3日で辞めることを許してくれた母親がいた。結果、彼は中卒だったようだが、今や国民的アイドルだ。その歌や踊りは、ジャニーズの中でも随一のものであると思う。

大野さんはあまりにも大物すぎるかもしれないが、やはり自分を“ふつう”にできたから、あそこまで登り詰められたのだろう。番組ではそれを許した母親に「すごい」と言うメンバーの姿もあり、他人も含めた環境も絡んでくる。それでも僕1人のレベルでは、自分を“ふつう”にすることを貫いていきたい。自分が“ふつう”で生きれる環境を、いつまでも探し続けていたい。

言葉と体現。【12月20日(日)】

プロ野球の選手は、しばしば「応援よろしくお願いします」という言葉を使います。試合後のヒーローインタビューやニュース番組の取材、そういえば新人時代の入団会見から、選手たちはその言葉を使っているような気がします。

ただあのイチロー選手は、現役時代の移籍会見でファンへのメッセージを求められた際、こんなことをいいました。

新しい場所に行って、新しいユニフォームを着てプレーすることに決まりましたが…「これからも応援よろしくお願いします」とは、僕は絶対に言いません。


まさかの言葉に記者たちから笑い声が聞こえる中、このように続けます。

応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはいけないことを続けていく。ということをお約束して、それをメッセージとさせていただいてもよろしいでしょうか。


僕は、この考え方が大好きです。人にお願いするならば、まずは自分の態度で見せていくのです。たとえば「フォローしてください」「チャンネル登録お願いします」などと言う前に、いやもうそんなことは言わず、応援してもらえるように体現していくこと。まあかつての野球少年としてイチロー補正はありますが、僕はそういった人間でありたいと思っています。


ヒトへの愛。【12月21日(月)】

広くクリエイティブと呼ばれる仕事をする人は、常日頃のインプットが重要だと言います。例えば広告を作る人ならば、街中の広告を見た時に「自分ならコピーやデザインをどうするか」と頭を動かします。SNSのマーケターならば、きっとバズった投稿などを研究することでしょう。良質なアウトプットのためには、良質なインプットが必要なのです。まあもはや、クリエイティブに限った話でもないかもしれません。

最近の僕はそれに加え、「ヒトへの愛」も重要なのではないかと感じています。コンテンツの受け手となるヒトという生物と、日頃から向き合うこと。つまり、人々の言動や感情に敏感であるということです。どんなことに笑い、どんなことに悲しみ、どんなことに怒るのか。自分も含めたこの時代のヒトが、どんなことに心を揺さぶられ、どんな行動を実行しているのか。

これまでの僕は、はっきり言って「ヒトへの愛」が欠如していました。自分が信じるものこそが正義だという勢いで生きていました。でもそれは、もはやアーティスト。社会の課題を解決するクリエイターではないわけですね。

今はありがたいことに、クリエイターの先輩方と「創ること」に取り組んでいます。一応、僕が提案しました。ただひとりの時間が長い僕にとっては、ハッキリ言って難しく感じられることが多いです。それでも、この難しさはきっとプラスになってくれるとも感じられています。時間を分けてくれる先輩方に感謝しつつ、今はとにかく愛を携えて生きようと思えています。

年始に宮城へ帰省したらやりたいこと。【12月22日(火)】

今年の年末年始、まあいろいろ迷うところはありますが、宮城へ帰省することにしました。PCR検査を受診して陰性を確認したのち、丸1年ぶりに実家へお邪魔する予定です。そこで今回は、まあタイトルのとおりなんですが、現時点で帰省したらやりたいことを記しておこうと思います。



①ジョイフル宮城小牛田店へ行く

はい、まずはコレ。我が地元唯一のファミレス『ジョイフル』は僕が小学生の頃に誕生し、それから個人的には遊び場や作業場として、ずっと利用し続けてきました。社会人になり一人暮らしを始めてからも、これまで帰省した時には必ず足を運んでいた、いわば“第二の実家”。今回も「ただいま」を言いに行きたいと思います。

②東松島や気仙沼など沿岸部へ行く

今年10月に参加した「みやぎ行脚」という一大イベントで、それまで知らなかった宮城の沿岸部の人々と知り合うことができました。彼らとは今もMessengerで連絡を取り合っていまして、今後も何か面白いことを生み出していけそうな気がしています。だから今回は直接あいさつに行こうかなと。ほんでその足でちゃっかり海鮮食ってこようかなと。そんな魂胆です。

③大崎や栗原など山間部も攻める

また「みやぎ行脚」では、山間部でも新たな出会いに恵まれました。もちろん今も繋がっており、特に大崎市さんとは、今後の発信活動やコミュニティスペースの運営などでもご相談いただけています。だからこちらも、直接あいさつに行きたいと思っています。そしていっしょに杯を傾けられたらなあ、なんてことも企んでいます。

④岩手県陸前高田市へ行く

そして、最近はオンラインのイベントで陸前高田の方々とも知り合いました。これまで知らなかったんですが、陸前高田は気仙沼市のとなりで、宮城と接していたんですね。Zoomで話しただけの印象ではありますが、かなり“変態”が多い街ではないかと思うので(良い意味で!笑)、現地へ遊びに行って関係性を深めていけたらと思います。

⑤岩手県八幡平市へ行く

約2年前にフリーランスの企画でお邪魔した八幡平は、結果的に毎年遊びに行くほどの場所になっていました。現地に知り合いもいて、SNSでもその活動を覗き合う関係です。今は流行りのワーケーションの舞台として展開しており、相変わらず面白い人々が集まっているようですが、2020年は行けずじまいでした。Zoomではおしゃべりできていますが、2021年こそは足を運びたいと考えています。



まあ、ざっとこんなところですかね。他にも現地の冊子の打ち合わせや取材なんかもありますし、「LivingAnywhere Commons石巻」をはじめとするコミュニティスペースにも顔を出してみたいなあと考えています。よしよし、ちゃんとワクワクしてきました。あ、ちなみにご飯や飲みのお誘いはいつでも大歓迎です。密や飛沫を防ぎつつ、たくさんおしゃべりしましょう。

ということで、宮城や東北でお会いできそうな皆さん、共に有意義な時間を過ごしていきましょう。

難しく考えるから、難しくなる。【12月23日(水)】

自分ではとても難しく感じられることを、いとも簡単にこなしてしまう人がいます。ちょっとSNSを覗いただけでも、その数は計り知れません。そんな“いとも簡単”を目の当たりにすると、僕にとってはより難しく感じられたりします。「なんであんなことできるんだろう」「いったいどんな道筋で頭や手を動かしているんだろう」などと興味が湧くと共に、複雑な思考が広がります。

しかし、その“いとも簡単”の当人を直撃してみると、たいてい彼らはシンプルな思考を持っています。僕が「〇〇をしている時は、どんなことを考えているんですか?」と訊くと、「いやあ、そんなことあまり考えたことなかったな…」と無作為に悩ませてしまいます。

たとえばつい先日は、日本の地方を旅しながらさまざまな活動を展開している方とお話できました。そこで僕は「地方で活動するには現地の人との信頼関係を築くことが重要だと思うんですけど、そのためのコミュニケーションで気をつけている部分とかありますか?」と尋ねたんです。すると「え、結構ふつうに接してるかな。あんまりそこは堅くなりすぎず、いつもこんな感じでフランクにやってるよ」と答えられてしまいました。どうやら僕は、考えすぎていたようです。

自分にとってモノゴトが難しく感じられるのではなく、自分がモノゴトを難しく考えるから、結果“難しいもの”になるのかもしれません。これまでの人生で「ああ、考えすぎていたな」と感じることが少なくないので、今後はよりシンプルに力を抜いて、発想かつ行動することを心がけたいと思います。まあ正直、あんまり考えなさすぎても、アイデンティティが崩れるようで抵抗はあるんですけどね。

バカって言う人がバカなんだよ理論。【12月24日(木)】

子どもの頃に些細な言い合いになったとき、「バ〜カ!」と言い放ったヤツに対して「バカって言う人がバカなんだよ〜」と、口を尖らせるヤツがいた。その当時は、よくわからんなあまた屁理屈言ってらあ、ぐらいに思っていたのだが、最近になってその発想は真理なのではないかと感じている。

いま気がついたが、きのう書いた『難しく考えるから、難しくなる』と似たような話になってしまうかもしれない。つまり「もともとAという発想があるから、他人に対してもAと言ってしまう」のである。これを踏まえて僕は、ふだんの振る舞いを気をつけたいと思っている。

たとえばSNSを見ると、他人の行いに対して「つまらない」「くだらない」と言う人がいる。“高い場所”から批評し、悦に浸るエンタメ性も決して否定しない。ただ僕にとってはそんな言葉を放つ本人こそが、つまらなくくだらない存在であると感じる。あんまり言いすぎると僕もそうなってしまうから、とにかく振る舞いを気をつけたい。バカって言う人がバカなのだ。

とはいえ何に対しても「イイねイイね」と、寛容的すぎても味気ない。無関心でもいられない。自分以外を認めつつ、自分らしさを保つバランス。そんなものを今は探していたりする。ああでも結局、これも考えすぎなのかなあ。



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