0→1(ゼロカライチ)

多拠点生活を目論む28歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#25】笑いたがる人にはキスを。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

2021年もあっという間に2月となりまして「今月こそはブログを頑張るぞ」と、果たして何度目か分からない決意を固めています。

まあ、あんまり期待せずに参りましょう。

ただ相変わらず、今週もエッセイ書いております。

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ポケモンが教えてくれるもの。【1月29日(金)】

僕がYouTubeでチャンネル登録しているアカウントのひとつに、ポケモンの対戦実況を上げている方がいます。僕にとってポケモンは、生まれて初めて遊んだ特別なゲームです。当時幼稚園児だった『ポケットモンスター 赤』から、つい最近(2017年11月発売)の『ポケットモンスター ウルトラムーン』まで、“各世代”欠かさずプレーしてきました。ただ、今の『ポケモン剣盾』シリーズから、ちょっと現役を退いてしまった感じです。まあでも全然、YouTubeで観戦しているだけでも楽しいです。

ポケモンの魅力は数多くありますが、そのひとつは「チーム感」なのではないかと気がつきました。というのも、1匹のポケモンは4つまでしか技を覚えることができません。もう数え切れないほどある技の中で、わずか4つです。すると、対峙したポケモンに対応できないというシーンも数多く存在します。具体的に言えば、「でんき」タイプの技は「じめん」タイプのポケモンに効果がありません。

ではどうすればいいのかというと、チームとして対戦するわけです。いわゆる“対人戦”は基本的に6匹同士のポケモンで勝負するのですが、各プレイヤーはどんな相手にも対応できるように、6匹のポケモンとそれぞれ4つの技を構成します。前述の例に倣えば、「じめん」タイプのポケモンには「くさ」タイプを出すことで、チームとして相手を打ち負かしていくのです。逆に「くさ」タイプが苦手とする「ひこう」タイプには、「でんき」タイプが強かったりするのです。

このポケモンの魅力に気がついてから、なんだか僕もチームの一員として、力になれる場所を見出したいと思うようになりました。いくらすごい人でも、きっと持てる技には限界があって、得意でない部分もあるのだと思います。そして僕にとっては、もはや得意でない部分の方が大きいですが、得意と思える部分もきっとあります。そうしてお互いをカバーし合って、チーム全体として輝ける関係性こそ、今の僕にとって必要と思えるものだと思っています。

震災から10年、僕にできることは。【1月30日(土)】

きょう、東北楽天ゴールデンイーグルスに帰ってきた田中将大が入団会見を行なった。僕は埼玉西武ライオンズのファンだが、プロ野球ファンとして、あるいは宮城県出身の小僧として、彼の8年ぶりの“帰還”をとても嬉しく思う。

入団会見で、田中選手は「震災から10年という年で初めて自分がフリーエージェントとなって、チームを選べる立場にあったが、この『10』という数字は、やはり自分にとって意味のあるタイミングなんじゃないか」とも語っていた。言うまでもなく、2011年3月11日の東日本大地震から、今年2021年で10年を迎えるということだ。



当時、高校3年生だった僕は、宮城県の内陸平野部に位置する美里町の実家で被災した。もう家の中はめちゃくちゃで、当然ライフラインも全てストップ。ただ、家も街もちゃんと存在していた。家族も知り合いも、みんな無事に生きていた。

だからこれまで、沿岸部の“惨状”に上手く触れられずにいた。自分は被災者だけれども、被災者ではない気もしていた。結局僕は、ボランティアに行くこともなければ募金に参加することもなく、海沿いの街へそっぽを向いてしまった。見て見ぬ振り、という答えを出したのだ。



しかし昨年の10月に参加した「お試し移住ツアー」で、東松島市と南三陸町、そして気仙沼市へ、否応なしに連れて行ってもらった。各市町の震災伝承館にも足を運び、改めてその絶望と、そこから立ち上がり今なお復興へ向かう希望を学んだ。自分が“空白”としていた部分に、少し“色”がついたような気がした。そしてこれから、もっと細かな“線”を描いていくべきなのではないか、なんてことも感じた。



震災から10年を迎えようとしている今、マーくんは帰ってきた。では、僕にできることはなんだろう。東京から宮城へのUターンに将来の可能性を見出し、一部自治体の移住担当者とも関係性を築けている今、僕には何ができるんだろう。あと1ヶ月ちょっとで、ちょうど10年だ。これまでこんなに「3.11」を意識したことはなかったっけな。

宮城まちおこしライターとして、いや一人の人間として、今後できることを考え実践していきたい。僕に何かを、やらせてください。

フォロワー数というステータス。【1月31日(日)】

クラブハウスというプラットフォームが話題となっている。「音声特化型のSNS」としてTwitterでは連日トレンド入りを果たしており、僕も招待してもらうことができた。やってみるとたしかに、新鮮で楽しい。

今週は各人が試行錯誤を繰り返しているように見え、「ミュート部屋」や「相互フォロー部屋」なんてのもあったような気がする。そしてその中に「フォロワーを増やすアドバイス部屋」みたいなものがあった。

もはやクラブハウスに限った話ではないのだが、SNSにおいてフォロワー数はステータスになりうる。メジャーどころならYouTubeでは収益化の基準になっているし、自分の数字と比べてその人の“チカラ”みたいなものを計っている人もいるだろう。少なくとも、僕はそうである。

しかしフォロワー数というのは、やや大げさに言えば、人生の本質ではない。僕は、その人の生き方が反映されたひとつの数字でしかないと思う。現代においてはたしかにステータスだが、それはつまりステータスでしかないのだ。

だからフォロワー数を増やすことを目的とすることは、たとえば高級な腕時計を手に入れるために努力するようなもので。つまり「ステキな腕時計してるね〜。で、あなたは何をされているの?」と本末転倒な事態にもなりかねないと、僕は思っている(もちろんそこに価値を感じられるのなら否定はしないが)。

とはいえ、僕もフォロワー数は多い方が嬉しい。だからあくまで、“結果として”仲間が増えていましたと思えるよう、まずは自分の生き方をしっかり確立し、そしてしっかりその姿勢を発信していきたいと思っている。

すべてのクリエイターに必要なもの。【2月1日(月)】

『なるほどデザイン』というデザイナーのバイブル的存在を、僕もいっちょ前に持っている。知り合いのデザイナーさんは「とりあえずこれを見てマネすれば大丈夫」と言っていたほどで、たしかに素人の僕が見ても十分楽しめる内容となっている。

その中に「デザイナーの7つ道具」という項目がある。よりダイジなものを考える「ダイジ度天秤」や、主役を際立たせる「スポットライト」、伝えるモノを人に置き換える「擬人化力」など、デザインを構成する7つの要素をアイテムに擬えて紹介しているのだ。そしてその7つ目が、これだ。

「愛」である。まず伝える「内容」に愛を持って接し、そしてその情報を「届ける相手」にも愛を抱くのだ。そんな人としての思いやりの気持ちこそ、デザイナーとして本当に必要なものだという。



ライターも同じだと思った。いくら言葉やレトリックが頭に入っていても、取材する対象や記事の読み手への愛がなければ、良い文章は生み出せない。今となってはそんな愛が土台となって、文章の構成やテクニックが成り立っているとさえ思える。もうこうなってくると、愛はデザイナーやライターに限らず、すべてのクリエイターに必要な要素なのだ。

アートとメディアは決してちがう。自己愛に溺れることなく、他者への愛を持って、クリエイターを務めていきたいと思っている。

早く打席に立たなければ。【2月2日(火)】

僕は今、東京に住んでいます。しかし最近は、地元の宮城県を中心とした「地方での活動」に興味が湧いてきました。社会人6年目を迎えてようやく、自分のやりたいこととできること、そしてやるべきことが徐々に噛み合ってきたような感覚があります。

昨年の10月あたりから本格的に目覚めだし、まずは情報を集めるべく全国のオンラインイベントや現地ツアーに参加しまくっています。そんな中で宮城県の各移住・定住担当者とは関係性を深められており、今年の年始には市役所へ遊びに行ったりもしました。そして今日も、地方の移住に関するとあるMTGに呼んでもらえました。さっきも話題のclubhouseで、地方に関する話を聴くことができました。また新たな縁も増えて、とても嬉しい限りです。

ただ、ふと「僕はいつまでこんな、アイドルで言う“研究生”みたいな立場にいるんだろう」とも思いました。皆さん現場に立って、その苦難や成功を経験として話しているのに、僕は未だに“これから”な立場を装っています。もういい加減、僕も現場に立って、他の皆さんと同じ目線でコミュニケーションできるようにならなければなりません。

いくら素振りでスイングスピードが上がろうと、バッターボックスでピッチャーと対峙するのはまた別の話です。けっきょく重要なのは、試合で結果を出せるかどうか。今の僕は一刻も早く、打席に立たなければならないと思っているのです。

笑いたがる人にはキスを。【2月3日(水)】

僕が愛してやまないMr.Childrenの『I'LL BE』という楽曲に、こんな歌詞がある。

生きてる証を時代に打ち付けろ
貧弱な魂(ソウル)で悪あがきしながら
何度へましたっていいさ
起死回生で毎日がレボリューション
人生はフリースタイル 孤独でも忍耐
笑いたがる人にはキスを

1番のサビの部分なのだが、僕はこの「笑いたがる人にはキスを」という言葉が大好きだ。街で聴いていても、毎回ゾクゾクしニヤニヤしてしまう。マスクが不可欠な時代で、ほんとうに良かったと思っている。



他人の言動に対して、とうてい無謀で理解不能だと、あるいは常軌を逸しているぞと、笑いたがる人がいる。人間それはもう、きっと小学生の時からそう。僕は今でこそ“会社員ではない生き方”を実践できているものの、学生時代は間違いなく“笑う側”の人間だった。とあるクラスメイトに対して「なんだアイツは」と、イキがることも少なくなかったと思う。

今は前述の通り、どちらかというと“笑われる側”の人間になった。だから少しは、ミスチル桜井さんの言う「笑いたがる人」の存在も理解できる。いわゆる保守的で、安全な場所から口だけを動かす存在。僕はこれまで、そんな人を「無視」してきた。決して気にしてはならないと、存在しないものと捉えて、我が道を進んできた。

しかし、桜井さんは「キスを」贈ろうと歌うのだ。ごちゃごちゃと言うだけ言ってくる「笑いたがる人」すら、愛してしまおうと。自分自身の活力にして、もはやファンに取り込んでしまおうと(これは僕の考察ですが)。その見事な発想と器のでかさっぷりに、僕はいつも頬を緩めてしまうのである。



笑いたがる人にはキスを。僕も高らかにそう歌えるような人間でありたいと思っています。ちなみにいつも、シングルバージョンを聴いてます。もちろんアルバムバージョンも好きだけどね。サブスクは最高です。

理想は、特別すぎないもの。【2月4日(木)】

今日はふと、こんなことを思いました。

たとえばこのnoteやTwitterで書く文章にしても、ふだんの何気ない会話の中でも、誰かに「うわそれオレが言いたかったやつや〜」と思わせたいのです。

すなわち、多くの人にとって“特別すぎないもの”です。大部分は普遍的でなんだけれども、ちょっとした一捻りが効いているような。「思い返せばオレにだってその発想できたな」と思ってもらえるような。まったく具体例が浮かんでこないのが恐縮なんですが、そんなイメージです。“高度および難解じゃないもの”と言い換えることもできそうです。

もう少し言い換えてみましょう。じゃあ僕は「もうそんなクオリティ敵わんわ…」と圧倒するより、「いやいやオレでもできそうじゃん笑」と侮られたいのです。それだけカンタン。なのに見落としていて気がつかない。そしてそれは、発想に親しみや共感が宿っているということだと思います。

ひょっとしたらこれは、もう“大谷翔平”にはなれない自分への諦めなのかもしれません。この“特別にはなれない”という運命を大人しく受け入れて、僕は井の中の蛙として、ちっちゃくまとまっていたいのでしょう。ということでそうですね、まずは自分の井でがんばります。


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