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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#33】書かないことも、ライターの仕事。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

毎週金曜日に設定している「週刊エッセイ」。今回はちゃんと金曜日に投稿できました。

淡々とやってまいりやしょう。ひとつよしなに。

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地方には、「情報の加工技術」が必要だ。【4月9日(金)】

つい先日SNSで、宮城県沿岸部の地域おこし協力隊のアカウントがLive配信を行なっていました。震災の被害を受けたまちが、これまでどのように復興してきたのか。また、これからどのように復興していくのか。それらを行政の「課長」が、新年度を迎えて新たに着任した隊員たちに説明していました。

昨年の秋ごろ、震災後初めて沿岸部の複数の街へ足を運んだ僕は、その復興のチカラをまざまざと感じました。受けたダメージをエネルギーにして、ゼロから街を起こしていたのです。もともとそこで暮らしていた地元の人、都会から帰郷したUターンの人、そして震災ボランティアなどをきっかけに移住したIターンの人など、街を想うそれぞれの価値観やストーリーは、いずれも立派なものでした。現地で聞いていたら、いちいち感動してしまいました。

つい先日の「課長」のLive配信でも、良い話を聞けたと思います。行政の人間として、あるいはイチ被災者としてお話しされていた内容は、新たな隊員たちにとっても価値のあるものになっていることでしょう。

しかし、いま東京在住の人間として東京で見ていたら、情報がイマイチ入ってこないと感じる部分もありました。いやなんというか、立派で逞しいことを言っていることは理解できます。たとえば現地で聞いていたり被災地の情報を知っていたりすれば、スッと入ってきたことでしょう。でもいざ離れて見てみると、なかなか“自分ゴト”として捉えづらいことに気がついたのです。

だから地方には、情報を“加工”する技術が必要だと感じています。街の外の人にも伝わるよう、工夫すること。釣り上げた魚をそのまま出荷するのではなく、食べやすいように切り身や練り物にして市場に出していくイメージです。どのプラットフォームを利用して発信していくのか。いやいやそれ以前に、どういう風にイメージを変換して、新たな価値をどう作っていくのか。そういった「情報の加工技術」が必要だと思いましたし、僕自身がチカラになれそうな部分だも感じています。

ひとまず、ここに備忘録として記しました。これから宮城を中心とした地方での活動を見据えるものとして、今後に活かしていきたいと思います。

内輪という価値。【4月10日(土)】

先日、僕の地元の友達10人が所属しているグループLINEで、リーダー的存在のA(仮)が「今度みんなでYouTubeやろうぜ!」と提案してきました。さらに「久しぶりにみんなで青春しよう!」とも記されており、僕はけっこう乗り気で既読マークを付けました。たとえば、僕たちの地元をテーマとした発信をして、いわゆる“まちおこし”につながるような、社会的な活動ができれば素敵だと思ったからです。

しかし、Aからは「みんなでしか見えないから大丈夫!」とも記されていたのです。それはつまりYouTubeの限定公開であり、よくよく聞くとそれぞれの近況を共有するため、YouTubeというプラットフォームを利用したいとのことでした。Aの提案に至るまでには他にも2人ほどが考察に関わっており、地方での活動に興味ありまくりで社会的な活動を考えていた僕は、勝手に盛り上がり、勝手に肩を落としました。

僕の地元の友だちは「内輪」が好きなようです。まあ薄々感じていましたし、分からんでもありません。そのメンバーでしか醸し出せない雰囲気、みたいな概念は、世界中に存在すると思います。思えば、地元の友だちの結婚式でグループLINEのメンバーが集まったとき、誰も同じテーブルを離れようとしませんでした。僕ひとりを除いては。

上京してから僕は、いろんなコミュニティに顔を出すことが好きになっていました。コミュニティごとにいろんな人に出会えるし、いろんな自分に気づかされるからです。だから結婚式でも、友人の友人に声をかけるチャンスを伺います。だってほら、高いご祝儀も払っているわけだし。笑

だから改めて、内輪に価値を置いている地元の友人たちが新鮮に思えました。ああ、そういうYouTubeの使い方もあるんだって。ひょっとしたらそれ、近い将来に流行るようなプラットフォームのヒントにもなるんじゃないの、って。だから結局、僕が今、そんな排他的なコミュニティに入れていることはわるいことではないのかもしれません。たしかに、ガッカリはしたんだけれども。

noteに書くは、製本である。【4月11日(日)】

本棚、ってご存知ですか。すみませんご存知ですよね。そうです、本をしまうアレです。きっと多くの人が家に備えているものだと思います。ほら、そこのあなたのそばにも、ありますでしょ。

本棚のメリットは「本を整頓できる」ということもありますが、「本を利用しやすくなる」という側面もひとつあるのだと思います。タイトルが一目瞭然となり、まとめられた情報をサッと取り出せるようになるのです。

ふと、noteに文章を記すことは、本棚の本を増やすことなのではないかと思いました。「自分の考え」を本として、こうして文章にしていくことは、いわば製本作業。公開ボタンは本の出版であり、それぞれのアーカイブが、まさに本棚なのです。

noteを書く習慣を持っていると、日常の会話の中でその本棚に触れるときがやって来ます。そういえば僕はあのときあんなことがあって、こういう風に感じたんだよね〜って、芸人さんのエピソードトークまではいきませんが、さっと話を取り出せる瞬間がきます。そのときは、驚くほどスムーズに話せます。そりゃそうですよね、一度感じて考えて、文章にまでしているんですから。

この本棚から本を取り出せたときは、僕がnoteをやっていてよかったなあと思える瞬間のひとつです。なんだか、比較的まとまった意見を示せるからです。ということで今後も自分の本棚の冊数を増やせるよう、noteを継続して来たいと思います。


書かないことも、ライターの仕事。【4月12日(月)】

数あるライターの仕事のなかには、「文字単価」が定められたものもあります。1文字〇円といった感じでして、そうなると当然、文字数が多いほど報酬も高くなるわけです。あ、これはWebライティングにおけるお話だと思ってください。

まあもちろん記事の内容やテーマによっては多くの情報があるべきなのかもしれませんが、僕は基本的に、この考え方がニガテです。ライティングの目的は「しっかり読者に伝わること」であり、その読者の視点から考えると、必ずしも文字数が多ければいい、というわけではないと思うからです。むしろ僕はイチ読者として、文字数が少ないほうがスッと頭に入ってくるような気がします。また、より少ない文字数で詳しく分かりやすく書くことこそ、評価されるべきひとつの技術ではないか、なんてことも思うのです。

だから僕は、書かないことを決めるのも、ライターの大切な仕事ではないかと考えています。たとえば、A〜Jの10種類の見出しを必要とされているのなら、いやいやここはA〜Cの3種類に絞りましょうと。D以降の話題は今回は書きません、また別の記事にしましょうと。これは極端な例ですが、構成についてこのような提案をするのも、ライターの仕事だと思います。あくまで目的は「しっかり読者に伝わること」としたいです。

クラウドソーシングなどを見ていると、特に細かい構成もなく【2000文字以上】や【5000文字以上】と、文字数だけが前面に出ている募集も見られます。もちろん全然その考えも否定しませんが、僕はニガテだなあと、横目で見ながら通り過ぎています。逆に「僕は文字数がより少ない方が伝わると思っています」と構成を提案できれば、他の応募者との差別化もできてチャンスになるような気がしますが、そこまでの労力が湧いてこないのが現実です。

…あ、でも今度やってみてもいいかもですね。そもそもの価値観が合わなそうでちょっと怖さもありますが、一度その労力を使ってみる価値はあるのかもしれません。

動機こそ、仕事となる。【4月13日(火)】

毎日拝読している糸井重里さんのエッセイ『今日のダーリン』。本日の内容を引用させてもらいます。

若いときから、ずっと思ってることなんですけれど、「仕事がない」っていうことは、ありえないんです。ぼくはフリーで仕事している期間がたっぷりあったけど、「仕事がない」ということは、ありませんでした。「売れっ子自慢かよ、おうおう」とか言わないでね。いやいや、だれからも相手にされないということは、まぁなかったけれど、そういう意味じゃないんで。仕事というのは、絶対にあるんですよ。
まず、「仕事はつくればある」。たとえば、羽生結弦さんがインタビューで、「4回転アクセルを強い動機にした」と語っていました。たくさんの時間を費やして、まだ成功してない、とも。4回転アクセルは、仕事として依頼されたものではない。羽生さんが、その仕事をつくったのです。たとえば、商いをやっている人が店先の掃除をする。雪かきなんかが必要なこともある。雪かきで売上はあがらないし、人手もかかる。でも、雪かきという「仕事をつくった」わけです。ともだちの手伝いでなにかじぶんを役立てる仕事。依頼されてないけど、マンガを描いている人。ぼく自身も、タダに近い仕事やタダの仕事は、ギャラをもらう仕事以上の本気でやってきました。「仕事をつくった」から仕事があるのです。
「ほぼ日」は、いつも仕事があるのですが、それは、「仕事はつくればある」ので、つくっているからです。じゃ、損とか得とかは考えなくていいのか?考える分だけは考えたらいいと思うのですが、「損か得か?」よりも、「よろこぶ人がいるか?」なら、ずいぶん、仕事はつくりやすくなります。

省く箇所を見出せずもうほとんど丸々なんですけれども、今の僕にガン刺さりな内容でした。

最近の僕は、仕事をつくるための「動機」がめちゃくちゃ弱いことに気づかされたのです。ネットの求人情報を見て「なんか面白そうな仕事ないかな〜」とか、地方のポータルサイトで「なんか面白そうなイベントないかな〜」って考えるだけ。恥ずかしいほど、他力本願な時間を送っています。反省です。

自分が何をしたいのか、どう生きたいのか。SNSの発信によって、その動機をカタチにしやすくなった恵まれた時代において、とても勿体ない生活をしていると気づかされました。まずは改めて、自分の動機と向き合い、そしてしっかり手を動かしたいと思います。

編集長のおれ。【4月14日(水)】

今日は久々にブログを書いたんですけどね、やっぱり書くことは難しいですね。個人的に「noteは内、ブログは外」という意識で使い分けているつもりなんですが、改めてメディアをつくるってのは大変だなって。毎日更新しているこのnoteは特に何も考えず自分のために書いてるだけだから、全然苦しくないんだぜ〜。

ふだんライターとして仕事をする僕には、編集者として仕事をしてくれている人がいます。僕が誤った方向性や言い回しで表現していたら、「ちょっと待ってここ違うよ」と、軌道修正してくれるのです。僕と文章をいわば第三者として指摘してくれる、ほんとうにありがたい存在です。僕はなんだか、盲目的に書き進んでしまうことが少ないので、ね。

ただ、個人のメディアは、よくもわるくも全責任が自分にあります。自分はライターであり、編集者でもあるのです。自分で書いた文章を、今度は自分が第三者のフリをして、その軌道を確認しなくてはなりません。これがなかなか簡単なことではなくてですね、僕がブログで収益を得られていない大きな原因のひとつと思われます。笑

思えばコピーライターとして師匠のもとで働いていた時も、「自分が書いたものをまっさらな状態で読み返せ」としばしば注意されていました。主観的な感覚を捨てて、客観的に考えろってことですね。客観へ主観を切り替えるわけです。哲学的な話にもなりかけていますが、クリエイターには重要な能力なんですね。

「編集者のおれ」を育てることは、今年度のひとつの目標にしても良さそうです。ブログだけでなくTwitter、またこっそりYouTubeやInstagramもやっていますし、メディアに関する客観的な視点を養っていきたいと思います。あとはひとまず、それぞれをしっかり更新して、昨日ここに綴ったように“動機”をカタチにしていきます。


風向きは「教育」か。【4月15日(木)】

先ほどTwitterのタイムラインに、学生向けのイベントを告知するツイートが流れてきました。

最近、僕は地方での活動に興味が湧いているのですが、学生向けのコミュニティづくりにヒントがあるような気がしました。自分の「書く」や「伝える」スキルで役に立ちたい気持ちもありますが、「教える」や「いっしょに考える」などといった、教育の部分に携わりたいです。

それは自分自身の学生時代にルーツがあるような気がしていて。公務員の父親のもとで育った僕は、公務員や大企業の社員になることこそ正義だという教育を受けてきました。もちろん自分から前のめりに学びにいかなかった僕もわるいのですが、気がついたら「社長・勤め人・プロ野球選手」という3種類の生き方しか知らなかったのです。それ以外の生き方を知ったのは社会人になってからで、今はその反動もあってフリーランスとして生きているのだと思います。

より早い段階で、より多くの生き方を知れていたら。そんな僕の後悔を、今の学生たちにしてほしくありません。教育という分野に、風が吹いています。

来週は宮城県の気仙沼市の『ぬま大学』のオンライン説明会にも参加する予定です。”自分を知ること”と”地域とつながること”をテーマに、さまざまな人と対話し自分で考えを深め、アクションを起こしていくというプログラムです。将来的にこんな素敵なコミュニティを作っていけるよう、そのエッセンスを吸収してこようと思います。

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