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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#35】オンリーワンが、大好きです。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

今週はちゃんと金曜日に更新できました。

ひとつ、よしなに〜。

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『みさと大学』妄想。【4月23日(金)】

3日前、宮城県気仙沼市を舞台として20〜30代を対象とした『ぬま大学』の第7期オンライン説明会に参加しました。さまざまな人との「対話」を通じて、自分の夢や地域の課題解決を実現させる実践型コミュニティです。説明会ではOBOGとコーディネーターのトークセッションや、ぷちワークショップとして「対話」の体験会が行われました。

その翌日、ふとこんなことを思ったのです。

自分の「好き」や「興味」をもとに考えを深め、不安や葛藤とも向き合いながら行動を起こし、そして最終的には豪華な審査員(気仙沼や東北で活躍する起業家など)を招いてのプレゼン報告会。周りにはアドバイスをくれるコーディネーターやOBOGがいて、気仙沼や自分を変えるために、想いを持った人が活動している。

そんな『ぬま大学』には、とにかく魅力的な人が集まっているように思えました。大人がみんなキラキラと、生き生きしている印象。その雰囲気はYouTubeでも伝えられています。実際、今年が第7期ということで、どんどん類が友を呼んでいるわけです。



気づけば僕は「あんなコミュニティ、地元にもつくりたい…!」と考えていました。『ぬま大学』に入るかどうかの説明会へ参加したのに、です(笑)。しかしなんだか、妄想が止まりません。我が地元は美里町だから『みさと大学』となるでしょうか。うちには幸い大学がないので、このネーミングでも大丈夫そうです。

以前、元保育士の知り合いが「良い子育てのためには、まず大人が育たないといけない」と話していました。まさにその通りだと思います。大人が学び、考え、行動する姿こそ、子どもたちにとって何よりの教材となるはずです。そしてキラキラと生きる大人たちを見れば、子どもたちは地元をより好きになってくれることでしょう。将来は自分もココであんな大人になりたい、なんて思ってくれるかもしれません。その「地元愛」が、未来のまちづくりにも繋がるような気がします。



ということで、今後Uターンしてやりたいことがひとつ、見つかりました。夢はでっかく『みさと大学』。コミュニティや教育、あるいはまちづくりという分野へ進むため、それこそまずは僕がしっかり考え、行動していきたいと思います。

やっとピッチに立てたのかな。【4月24日(土)】

このツイートをしてから、自分の中で何かがカチッとはまったような感覚があります。なんというか、ひとつのゴールが定まった感じ。今はこの「学びの場をつくること」から逆算して、これから何をすべきかを考えられています。

思えばこれまでは、このゴールがありませんでした。例えば、ゴールのないサッカーをイメージしてみてください。ただボールを脚で転がすだけですね。まあたしかに、多少はボールの扱いが上手くなるかもしれませんが、ゴールを奪う動きは、それとはまた微妙に違ってきます。ほら、試合でリフティングしてる人なんて、そういないじゃないですか。あんなイメージです。

だから僕はようやく、ゴールのある試合のピッチに立てたのだと思います。これまでは壁に向かってボールを蹴ったり、それこそリフティングしていたり。一応サッカーグラウンドには立っているようで、でも競技としてのピッチには立てていませんでした。

これからはゴールを目指して、行動していきます。対峙する“敵”も増えて、そう簡単な話ではないでしょう。でもだからこそ、喜びも大きくなるのだと信じています。

地元に学びの場、つくります。

映画よりも、映画館がすき。【4月25日(日)】

ということで、タイトルにもあるように、映画よりも映画館がすきです。どうも、ぼーのです。

いやあ、ここ1年ほどステイホームブーム(?)じゃないですか。そこでなんかまあ、当初はアマプラとかで映画を観ようと思ったわけなんですけれども、気づいちゃったんですよね。僕、そこまで映画を好きじゃないんだなって。映画館を好きだったんだなって。

昨年、けっこう久々に映画館に行って『TENET テネット』を観まして(そのあと『浅田家!』も観たけど)、うぉーやっぱ映画おもろいなあ、クリストファー・ノーラン監督やばいなあ、となったんです。そんで同監督の2014年公開作品『インターステラー』をね、たしかあの時はお正月の帰省中の新幹線で観ていたんですよ。スマホで。

でも全っ然集中できなくて、いや映画の内容自体はノーラン感(?)あって面白いなあとは思えてたんですが、途中で観るのやめちゃったんです。初めてです、映画を途中で断念したのは。ちなみにインターステラー、未だに途中のまんまです。もうストーリー覚えてないから、観るなら最初っからになります。観るならね。(たぶん観ない)

そんでここらで、あー僕は映画じゃなくって、映画館のおっきなスクリーンやスピーカーがくれる“非日常感”がすきだったんだなあってことに気がついたわけです。それこそ流行りの「モノよりコト」的な発想ですかね。あ、いや、これはちょっとちがうのかな。どうだろ。

とりあえず僕は、映画も良いということを前提に、映画館をとくに愛していきたいと思います。ああ、なんだか、また映画館に行きたくなってきたなあ。

コミュニティに興味ありがち。【4月26日(月)】

Wantedlyでお声がけいただいた、いわゆる地方創生に取り組む企業とオンラインで面談しました。いや失礼、人事のかたは地方“共創”とおっしゃっていましたね。最近、都会を離れての活動に興味があると発信していたら、メッセージをいただいたのがきっかけです。

いま現在、新潟のとある地方で活動しているという人事のかたと対話を重ねた結果、僕はやっぱり「コミュニティの形成や運営」に深い関心があるようです。どっちかというと、プレーヤーとして現場で手を動かすというよりかは、少し視点を高くするイメージでしょうか。いわゆる教育というか、“ひとづくり”に携わりたい気持ちを確かめられました。

そして人事のかたには「話聞いてるとぼーのくん(仮)はウチよりこっちかな」と、他の会社を紹介してもらっちゃいました。なんてすてきな振る舞いなんだと感動しつつ、明日はさっそく、その会社のオンライン説明会に参加してみようと思います。東京の学生を指導するボランティア活動を行っているそうで、自分の価値観と合わさるような部分があれば、ちゃっかり申し込むつもりです。

仕事まではいけずとも、ボランティアとして現場に立つという選択肢。自分の将来に向けた、今日の新たな発見でした。そして最近見つけた「コミュニティの形成や運営」という軸を手に、今後も思考と行動を重ねていきたいと思います。なんだか最近、人生楽しいです。

オンリーワンが、大好きです。【4月27日(火)】

もともと特別なオンリーワン、なんていうあまりにも有名なフレーズがありますが、僕はこの「オンリーワン」ってのが好きなんだなあって気づきました。あらためてきょう、とある人との対話を通じてね。

たとえばじゃあ、「給食」についてのイメージや、何か印象的なエピソードを思い浮かべてください。なんで給食なのかはさておき(“なんとなく”だから笑)、みんなそれぞれの想いや記憶があるでしょう。これから小学校に入るちびっこたちは、未来への期待や不安を抱くかもしれません。



僕は小学6年生のとき、お昼の校内放送のとあるタイミングで、女子十二楽坊の『自由』って曲がかかって(時代ですね笑)、斜め向かいに座っていた男友達が食べ終わったお皿とお箸で“演奏”を始めました。もちろん音は鳴っていません、彼は演奏するフリをしたってだけ。でもその動きや表情、あとは発想自体がやたらおかしくて、真正面に座っていた女子に、食べていたうどんを「ブー!!!」って思いきり吹き出しちゃったんです。あのときの教室が騒然とした感じとか、驚きのあまり目をまん丸くした真正面の女子の表情とか、きっと一生忘れません。どうしても、忘れられません。笑

なんて言ってますけど、僕とまったくおんなじイメージやエピソードを思い浮かべた人は、きっといないはずです。まあ僕の例は極端だとして、それぞれの経験や価値観は、絶対にちがいます。僕とあなたも、あなたとあの人も、あの人とその人も、きっと。そんでこの経験と価値観ってのが、僕が好きな「オンリーワン」の主成分だと思っています。



その人が今、何を考えているのか。なぜ、そう感じるのか。その時の感覚は、過去のどんな経験が元になっているのか。さらに、今後は何を目指しているのか。

おもに経験と価値観によって弾き出されるそれらは、基本的に「その人しか持ち得ないもの」です。すなわちこの“オンリーワン”を、僕は「自分に持ち得ないもの」として、いちいち感動してしまいます。そしてベースとして自分と他人は“ちがう”と思っているぶん、おんなじ経験や価値観を持った人にも深く感動してしまうのです。だから雑談できるようなチャンスがあれば(お酒の席だと特に)、いろいろな質問をぶつけてしまいます。どうもすみません。笑



他人の立派な活躍が否応なしに目に入ってくる時代ですが、いやだからこそ、それぞれのオンリーワンを大切にしてほしいと思います。また、今後はそんな社会を作っていきたいですし、僕自身も、自分の想いを信じて歩んでいくつもりです。その花を咲かせることだけに、一生懸命になればいいのだと思いますから。

自分の思考がコミュニティで浮きがち。【4月28日(水)】

ちょっとしたコミュニティでみんなが当たり前のように「良し」とすることを、僕だけが理解できていない、ということがある。その原因はおもにふたつのパターンがあると思っていて、ひとつは単純に、僕がおバカで理解力が追いついていないパターン。そしてもうひとつが、僕がおかしいと感じることに対してそもそもそこまでみんなが気にしていない、というパターンである。まあつまり結局、僕に原因があると思っている。

いずれにせよ、僕の思考がコミュニティで「浮く」ことになる。たとえば新卒で入った会社で、方法が目的となっているような業務があった。でも、そんなことを考えて「これ意味あります?」と上司に確認するのは僕だけで、みんな淡々とその業務をこなしていた。なんというか、長いものに巻かれた方が楽なんだなと思ってしまった。

今まさに、とあるコミュニティで活動させてもらっている。でも結局そこでも、僕は“少数派”のようだ。主要メンバーとは、ちょっと違った思考を抱いてしまっている。これまでフリーとしておもにひとりで仕事をしてきた僕だけど、決して長いものに巻かれるためにコミュニティに属しているわけではない。ここだけはひとつ、確かなものとしたい。

そんでこれを書きながら気が付いたんだけど、今の僕がやることはその主要メンバーとの「差」が、どういったものなのかを分析することなんだな。そんで論理的に合理的な違和感であれば、他のメンバーに共有すべきだろう。それが個人的な想いから来るものであれば、黙っておくべきだろう。そうだ、そういうことか。今回はこの「浮く」思考に、しっかり向き合ってみよう。これまでは逃げてきた部分だけれども、せっかくだしね。

ストーリーテラーを描くこと。【4月29日(木)】

ストーリーを書くことが少なくない。その人や企業が、これまでどんな時間を送ってきたのか。そしてどんな想いを持ってどんなことに取り組んでいて、どんな未来をめざしていくのか。商品のコモディティ化やコンテンツの飽和が顕著な時代において独自のストーリーを示すことは、読者を増やすためにも重要なことだ。

ただ、僕はストーリーテラーの存在も重要だと思っている。すなわち、その企業やサービスのストーリーを伝えているのは誰か、ということ。「誰が話しているのか」と言い換えてもいい。どんな人がどんな想いを持って、ストーリーを伝えようとしているのか。その個性が見えると、読む側の印象も変わってくると思うのだ。

ストーリーを“書く”としたら、ストーリーテラーは“描く”としたい。そしてそれを文章によって示すのも、ライターの仕事となる。構成なのか文体なのか、その表現の仕方はさまざまだと思うが、僕は今後より一層、ストーリーテラーを描くことにも意識を向けて、文章と向き合っていきたいと考えている。


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