0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#38】noteを500日連続で更新して。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

今週はブログのタイトルの通り、noteの連続更新が500日を超えました。

これからも文章や自分自身と向き合い、投稿を続けていきたいと思います。

▼noteではエッセイを毎日更新中▼
note.com

僕が地方へ何度も行く理由。【5月14日(金)】

宮城県栗原市へのお試し移住から、東京のアパートへと戻ってきました。もともと白石市にも行く予定だったんですけれども、コロナの関係で早めに帰ってくることに。ただ、栗原で手厚くもてなしていただき充実した時間を送れたことで、もう“お腹いっぱい”といったところです。

地方に足を運びさまざまな生き方を実践する人に触れるたび、自分自身の今後の人生を見つめ直します。これから地方で生きていく上で、どんなことを軸に据えるべきか。またそのために、今は何をすべきなのか。まるで各地域にまだ見ぬ自分自身が散らばっているようで、そいつと対話できることも、僕が地方へ何度も行く理由なのかもしれません。

今回の旅によって、ここまで積み上げられていた軸がまた崩れつつあります。本当に今の考えのままでいいのかと、不安が押し寄せてきているのです。あるいは、新たな出会いによって新たな知見を授かり、希望を抱いている部分もあります。これらを踏まえて、軸を再構築しなければなりません。

ただ一方で、どの地方に行っても、むしろ行ったからこそ余計に、自分の変わらない信念が固まっていたりもします。旅を重ねるごとに、研磨されていくような感覚です。この記事でハッキリ書くことは控えますが、これこそが「軸」なのだろうなと感じられています。しっかり大事にしたいです。

僕は正式にUターンするまで、もう少し地方と東京を行き来することでしょう。それまでより多くの人と出会い、すなわちより多くの自分と出会い、今後の生き方をじっくり定めていくつもりです。


「もうやれてるよ感」が危うい。【5月15日(土)】

昨日の夕方ごろ、宮城県へのお試し移住から上野駅へ帰ってきたその足で、町屋の小さなBarでのイベントに行ってきました。青森にまつわるコミュニティで、もちろんアルコールはなく20時にイベントは終了。この主催者は青森と東京を拠点に地域のコミュニティを動かす事業を広げており、地方での活動に興味津々な僕は、彼に会うべくスーツケースを転がしながら向かったのでした。ちなみに彼は、宮城県の気仙沼市でも活動を展開しています。

僕は緊張しつつカウンターの向こうに立つ主催者とあいさつを交わし、今はライターとして活動していることや、近い将来にUターンを考えていることを話しました。すると「発信を編集すること」と「すでに地方で活躍している人と繋がって入っていくこと」という、今後へのヒントをもらいました。

まず「発信を編集すること」とは、地方の魅力の発信を考えるということです。僕自身も感じていることですが、やはり発信の仕方が“ヘタクソ”だと主催者の彼はおっしゃっていました。ライターとしての可能性を、いま一度見直そうと思います。

そして「すでに地方で活躍している人と繋がって入っていくこと」は、今まさに僕がやっていることかもしれないと思ってしまいました。いろんな地域へ足を運びいろんな人と出会うことは、僕がここ半年間で継続できていることです。とはいえ、この「もうやれてるよ感」が危ういのだろうなとも思います。自分で伸びしろを消してしまっている気もしますから。今後、自分がどのように地方へ入っていきたいのか、入っていくべきなのか、これまた見直していきます。

ところで、人と話し知り合うことは良いものですね。思えばかなり久しぶりにオフラインのイベントに行けたような気がします。皆さん青森や東北にゆかりの人ばかりで、中には宮城出身の方もいました。なんというかやはり、“動いたもん勝ち”だと思いましたね。今後もなるたけ、新たなコミュニティに顔を出していきたいと思います。

たとえ雨に濡れてでも。【5月16日(日)】

天気予報によれば 夕方からの
降水確率は上がっている
でも 雨に濡れぬ場所を探すより
星空を信じ出かけよう

Mr.Childrenの『エソラ』という曲の2番のAメロなんですけれども、僕はこの部分がめちゃくちゃ好きです。イントロでもサビでもなく、エソラはここを聴くために再生します。…と言っても決して過言ではありません。



たしかにその場に留まっていれば、安全な人生を送れるかもしれません。たとえば雨具を用意するような、リスクを管理する手間も省けます。しかし反対に、星空のようなきれいな景色を見ることもできません。日が落ちる前なら、虹がかかるかもしれませんよね。

学生時代の僕は、“雨に濡れない”ような教育を受けてきました。もちろんそれもひとつの愛のかたちであり、特に親には感謝しなければならないのだろうと思います。ただ大人になって就職してから、外の世界の広さに気がついたのです。今の僕は、たとえ雨に濡れてでも、星空や虹が一瞬だとしても、自分の足で世界を広げたいと思っています。



冒頭のAメロには、以下のような続きがあります。

雨に降られたら 乾いてた街が
滲んできれいな光を放つ
心さえ乾いていなければ
どんな景色も宝石に変わる

外の世界へ出かけたからこそ、見られる景色があるんですよね。そして、自分の意思で行動できたときに、どんな景色でも輝いて見えてくるのだと思います。心を乾かすことなく、行動を重ねたいと思っています。


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想いが充満する場所。【5月17日(月)】

新型コロナウイルスの影響によって無観客試合が続いていたヨーロッパのサッカースタジアムに、観客が帰ってきました。イングランドの由緒正しい大会「FAカップ」の決勝戦。その舞台は、サッカーの聖地とも呼ばれる『ウェンブリー・スタジアム』です。

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今回は9度目の優勝を狙う世界的強豪「チェルシー」と、初優勝を目指す“中堅クラブ”「レスター」という2チームが対戦。結果は、戦力差的にチェルシー有利かと思われた前評判を覆してレスターが1−0で勝利を収め、初優勝を飾りました。



63分、唯一の得点となったベルギー代表MFユーリ・ティーレマンスのスーパーミドルが決まったとき、観客席にいるレスターサポーターの大歓声がスタジアムに響きます。それはトロフィーに近づく歓喜であり、俺たちは強豪に屈しないんだという意地であり、そしてコロナによってリモート観戦が強いられたこれまでの鬱憤を晴らす、最大級の高揚だったように思います。大の大人たちがまるで子どものように、飛んではしゃいで大喜びしているのです。

僕は改めて、この雰囲気こそがヨーロッパサッカーの魅力だなあと感じました。ひとことで言うなれば、想いが充満する場所。ゴールを決めた直後、胸のクラブエンブレムを叩き忠誠を示しながらサポーターへ駆け寄るティーレマンスも含めて、僕はこのハイライトを見ると目に涙が浮かんできます。

日本のJリーグにはサポーターがスタジアムに入っていますが、それとは異なると僕は思っていて。サッカーに対して、我が国のサポーターが「楽しむ」だとしたら、ヨーロッパの彼らは「戦う」です。歴史や文化、環境などあらゆる要素が生み出す違いなのだと思います。



今回はカップ戦で、未だリーグ戦にはサポーターの姿はありません。そしてイングランド以外の主要国では、無観客での試合開催が続いています。僕は少しでも早く、現地のサポーターたちの「戦う」姿が見られるようになることを願うのです。

「迷惑」の考えかた。【5月18日(火)】

とある俳優が自身のYouTubeチャンネルで「ご迷惑・ご心配をおかけし申し訳ございませんでした」というようなタイトルで、動画を投稿していました。彼は以前、新型コロナウイルスに感染したと報道されており、おそらくそれについての内容だったのだと思います。あ、そうです、僕は動画の内容までは見ていません。

ご迷惑をおかけして申し訳ないという気持ち、もちろん分からなくもありません。もし僕がその俳優の立場だったら、自分が感染した影響で仕事関係者の手を煩わせることになります。同業者の誰かへ、急に代役をお願いすることになるのかもしれません。そして、思えば僕は小さい頃から「他人に迷惑をかけないようにしなさい」という教育されてきたような気もします。

しかし、迷惑をかけあえる関係性こそ良いものではないかと、最近の僕は考えています。某金八先生じゃありませんが、人と人は支え合わないと生きていけません。社会とはそういうものですよね。誰にも迷惑をかけないように生きるのはほぼ不可能であり、つまり僕は今、迷惑をかけてはいけないと考えてしまうこと自体が、マズいのではないかと思うのです。

誰かに迷惑をかけないように生きるのではなく、誰かに凭(もた)れられる勇気を持つこと。また反対に、手に負えずに困っている誰かを助けてあげること。僕は近い将来、地方で教育をテーマとしたコミュニティ活動をしようと考えているのですが、「迷惑」という言葉は今後のヒントになってくれるような気がしています。


ペットボトルの水とスニーカーの物語。【5月19日(水)】

僕はMr.Childrenが大好きです。特にボーカルの桜井和寿さんが紡ぐ「歌詞の世界観」に惚れています。人のダメなところも許容してくれるような、またいつも見過ごしてしまうような日常の些細なシーンに意味を持たせてくれるような、いわば優しさや愛があると思っています。

そんな桜井さんとB'zの稲葉浩志さんの「Vocalist対談」を見ました。そこで語られた歌詞の書き方が興味深かったので引用させてもらいます。話は制作段階の発音や発声などから始まり、それぞれ歌の中で発声しやすい言葉やそうでない言葉を持っていると言います。そして桜井さんは、その音程やメロディーに沿ったサウンドとしてまず単語を当てはめ、それからストーリーを決めることもあるというのです。

桜井:(サウンドとして)聞こえたのが「ペットボトルの水」と「スニーカー」だとすると、それを結ぶ物語を後から自分で考えるっていう。
稲葉:なるほど。それはほとんどの曲がそういうわけじゃないんですか。
桜井:意外と多いです。
稲葉:そうなんだ。
桜井:はい。そうすると、ものすごく遠くに“ブイ”を浮かべれば浮かべるほど、深いものが手に入るというか。
稲葉:ああ、その道のりがあるわけですね、なるほど。

ペットボトルの水とスニーカーの物語。たまたま対談の現場に落ちていた二つの単語ですが、どんな物語が生まれるのだろうと、とてもワクワクしてしまいます。対談を見ながら、僕もちょっと考えてみたりしてね。それぞれの共通点はなんだろうとか、僕にとってそれぞれどんな存在なんだろうとか。

youtu.be

いやあ、めちゃくちゃ興味深かったですね。そしておごがましい話ではありますが、自分にとって、今後のアイディアの生み出し方のヒントになるような気もしています。一見離れて見える複数のモノを結びつける思考法。歌詞の世界に限らず、たとえばこのnoteなんかでも実践できちゃいそうです。テーマに沿って書く能力は、おそらく役に立たないわけではないのだろうと思います。

note連続更新500日が経過した今、新たなスタイルに挑戦してみるのも良いのかもしれません。

noteを500日連続で更新して。【5月20日(木)】

3日前、noteの連続更新が500日を迎えました。この結果を手にするためには当然500日が必要だったわけで、ふと後ろを振り返りその道のりを眺めてみると、まあそこまでわるくない歩みなのかなあと思います。いや、そう信じたいだけなのかもしれませんけれども。でも500日って、相当な数字であるとも思いますよね。生まれた赤子が1歳の誕生日を迎え、半年近くが経っているわけですからね。

連続更新を続けるテンションは、100日を超えてからは“横ばい”となりました。100を迎えるまでは「うぉー頑張ってやれてるぜ」みたいな、数字と共にプライドみたいなものが大きくなっていく感覚でしたが、100以降はむしろ、毎日更新できたことに安堵して落ち着くような感じ。最近はもう、いちいち数字を確認することすらなくなっています。

とはいえ、やはり100の位の数字が動くことは嬉しいです。前述のようなホッとしている気持ちも含めて、少し誇らしく思ったりもします。あ、思わなかったりもします。

ここまで500日連続で更新して良かったことを考えてみます。するとそれは、「俺は500日連続で更新しているんだぜ、えっへん」と思えることでした。すっかり自己満足の話になりますが、たとえばnoteを知らない人と比べたら僕は、500日も多く文章や自分自身と向き合っていることになります。だから単純にこの感覚を、密かに誇りに思っていたいのです。あれ、ひょっとして、これを自信と呼ぶのでしょうか。うーん、まだよく分かりませんが、とりあえず今のところは、今後も継続して書いていくつもりです。ここをチェックくれているそこの稀有なあなた、どうぞよろしくです。


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