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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#39】読まれないnote。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

週刊エッセイ、先週はサボってしまいました。

まあ誰も気にしていないと思いますが、僕が僕自身との約束を破ってしまったことを反省しています。

今回からまた、しっかり更新していきたいと思います。ただnoteからコピペするだけ、なんでね。

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消去法の地元愛。【6月6日(金)】

ここ最近、ずっと地元の宮城県のために活動したいと考えています。まずはライティングか、はたまた新境地のコミュニティ形成か。今は東京在住ですが、月一のペースで宮城に通いとにかく環境や人に触れ、より可能性を広げてからUターンしたいと考えています。地方で暮らすなら特に、知り合いは多い方がいいですからね。

そんな思いを僕が話すと「地元愛がすごいですね」と言ってくれる方がいます。僕と同じく宮城に特別な想いを抱きながらも、かといって宮城出身というわけではない方々です。僕の知り合いだけでも関東や関西、九州など、その出身地はさまざま。彼らは震災ボランティアや大学の授業などをきっかけに、自身と縁もゆかりもない宮城を好きになっているのです。

僕にとっては、そんな方々のほうが羨ましく思えます。僕は学生時代から社会人2年目まで宮城に“篭りっぱなし”で、上京してようやく宮城以外の世界に気づいた人間です。だから率先して視野を広く持ち、生まれてから自分とまったく関係のなかった地域を好きになれることが、とてもすてきなストーリーだと思うのです。そんな、なかば消去法的に地元で活動しようとしている男とはワケが違います。

とはいえ、今の僕に地元愛と呼ばれるものがあるのは確かです。ここまでグタグタ書きましたが、これまで歩んできた道のりを他人と比べたところで仕方ありません。大事なのは、今ですね。しっかり自分と向き合って、やるべきことに取り組んでいきたいと思っています。

僕にとっての特別な地域は。【6月7日(土)】

今月も宮城に行くことになりました。僕は最近東京からのUターンを考えておりまして、月イチのペースで宮城へ通っています。まあこんなご時世ではありますが、こんなご時世でも会ってくれる人のもとへ足を運んで、各地を案内してもらっているわけです。

今回はひとり旅ではなく、東京で働きながら宮城に関わりを持つ「宮城フレンズ(?)」といっしょに行くことになりました。今はその計画をぼんやりと練っているわけでなのですが、どこに行きましょうかねえって感じになっています。意外と、なかなか行き先が決まりません。

ここで気がついたのは、僕にとっての「行きたい場所」ってのは「会いたい人がいるところ」なのだということです。宮城フレンズと共通の知り合いがいないわけでもないのですが、今回はその人に会う感じではありません。だから宮城の面白そうな場所に行きたいよね〜って感じでリサーチしつつ連絡を取り合っていますが、僕にとっての特別な地域は、僕にとって特別な人が暮らしている場所でした。

もちろん、僕はその宮城フレンズのことが好きですし、いっしょに旅をすることになんら苦悩を感じません。むしろ、このような感覚に気づけたのも、今回の旅を計画しているからこそです。感謝しています。そして、もし今後自分が“地方側”の人間として活動するならば、より大切にしておきたい感覚だとも思いました。まあ全員が全員当てはまるというわけではないと承知してはいますが、結局「人」が重要なコンテンツになるのだと思います。

考えず、感じる。【6月6日(日)】

「考えるな、感じろ」という言葉、一度は耳にしたことがある人が多いと思います。ちゃっかり口にしたことがある人も少なくないことでしょう。正直に白状しますと、僕がそのひとりですから。

調べてみたらブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』に登場したセリフだそうですね。公開は1973年。半世紀近く前に生まれていたなんて、まったく知りませんでした。

今日はふと、この「考えるな、感じろ」が自分のnoteを継続する指針にもなるなあと感じました。それこそ、ただそう感じたわけです。



僕はこのnoteを、自分のために書くことにしています。文章力の向上もテーマとしてありますが、メインは内省。普段の仕事では自分以外のために文字を書きますから、その鬱憤を晴らしている、というようなイメージでしょうか。いや、ただ単純に書くことが好き、という話でもあると思います。

しかし500日連続更新を経過した今、だんだん自分に“色気”が出てきました。つまり、もっと多くの人に読まれたいという気持ちです。だからここ最近は、夕方ぐらいになると「今日は何を書こうかな…」とずっと考える日々でした。ただ、グーっと頭を捻るのですが、なかなか思うように上手に文章を書くことができていません。個人的に“不調”を感じています。

でも、そもそも何を書こうかと考えるのが目的ではありませんでした。自分が感じたことを、自分のために書ける場所。それがこのnoteでした。だからこそ、一応500日以上も継続できているわけです。なんだかふと、さっき近所のコンビニに歩きながら原点に帰ることができました。



今後もあまり考えすぎず、感じることをベースとして瞬間的な感覚を記していきたいと思っています。それが今の僕にとって、生きている証のような気もします。まあ、それはちょっと大げさかもしれませんが。ひとまずこれからも相変わらず、書くことを楽しんでいければと思います。

癖をなおすには。【6月7日(月)】

人間誰しも「癖」を持っていると思う。いつのまにか自分に身についたもの。たまに映像に収められた自分を客観視すると、訳のわからん動作を繰り返していたりする。

癖の特徴は、たいてい無意識のうちにやってしまうことだ。なんというか、潜在的なイメージ。「クセがすごい!」という芸人の言葉があるが、あれはその言動の滑稽さだけでなく、個性や生き方自体をもイジる言葉であると思う。ちなみに「クセが強い!」という人もいるが、僕は厳密に「クセがすごい!」と言いたいタイプだ。

そんでこの癖ってのは、何も身体的なものだけではない。きっと精神的な癖もあると僕は思っていて、まあいわゆる「考え方」だ。夏休みの宿題を計画的に終わらせるタイプか、ギリギリになって急ぐタイプか、みたいな。有名で極端な二択だけれど、結構このベースって大人になっても変わっていないような気がする。あれ、僕だけだろうか。



僕は今、自分の精神的な癖に嫌気が差している。無意識のうちに身についた癖を、なおそうとしている。そのためにはまず何をすべきか、さっき近所のコンビニまで歩きながら考えてみた。するとそれは、「その癖を意識すること」だった。無意識のものを、意識する。潜在的なものを、顕在的にする。輪郭を描く。ぐっと掴めるようにする。そうしてようやく、始まるような気がしている。



とまあ、今日はそんなところである。癖を意識して対策を練って、新たな自分に出会えることを楽しみにしながら。そんなこんなで今日も夜は更けていくのである。

読まれないnote。【6月8日(火)】

きのうnoteに「スキ」がひとつも付いていない。まあ僕にとっては、めずらしくないことだ。とくに昨日なんて日付が変わるギリギリに書き上げたもんだから、僕自身が読み直してもあんまり面白くない。笑

結構前にnoteを書いているクリエイター同士の交流会があったんだけど、そこでとある人が「読まれないと書く気がなくなる」と言っていた。そうなんですね〜なんて相槌を打ちつつ僕は、自分と感覚がちがって面白いなあと思った。よいとかわるいとか、そういう話じゃなく、自分とはちがうんだなあって。

読まれる喜びがあるのは、書くものとして理解できる。僕にもたしかに、ある。でも僕にとっては、書き記す喜びのほうが割合的に大きいのかもしれない。もちろん読まれて反応をもらえるのは嬉しいけれど、それらがなくたって僕は、きっとずっと1人で勝手に書いているのだと思う。ちょっと大げさに言えば、いのちあるかぎり、ね。

最近ではなんだか、きのうのような「スキ」がひとつもつかないことに興奮を覚えるようになってきた。いや、これはちょっと気持ちわるいだろうか(笑)。でもねなんというか、ああ僕は今“孤島”にいるんだなあって、誰も僕に付いてきてないんだなあ、僕は1人なんだなあって、ちょっとワクワクゾクゾクしてしまうんだよね。一般的にはあんまりよくないような気もするけれど、そんな自分に出会えるのも、このnoteを書いているからこそなんだろうなあ。

自分と他人をつなぐもの。【6月9日(水)】

近い将来に宮城へUターンすることを画策しているここ最近は、宮城にグググッと知り合いが増えた。Facebookの友だちは、おそらく100人ほど増えている。そんでちょくちょく、地方の移住に関する企画やコンテンツ制作に携わることが増えてきている。少しでも力になりたいと、今は宮城に限らずあらゆる地方のオンラインイベントに参加している。

そこで気づいたのは、今はもうハード面で地域に大きな差がないということだ。都会に比べたらどこだって、自然は豊かだし空気は美味しい。ネット環境があればテレワークができちゃって、最低限のインフラも揃っている。何か大きなコンテンツがあれば話は別だろうが、地方の差別化がとても難しくなっていると素人ながらに感じているのだ。

でも、その地域にしかないコンテンツも、確かにどこにでもある。そのひとつが「人」である。面白い生き方やキャラクターの人。そうでなくとも、自分と関係性を構築できている人。当然この世に“その人”は1人であり、その人が暮らす地域をも特別なものにしてくれるわけだ。実際に僕も今、宮城の移住イベントをきっかけに知り合った人々と関係性を深められており、これまで行くことのなかった地域にも特別な思いが芽生えている。



じゃあ「人」を発信しようじゃないか、と思い立つ。しかしここでも、また難しい壁が待っていた。“赤の他人”を発信する難しさである。たとえば僕と関係性があって個人的に特別なAさんを発信しようとしても、コンテンツの受け手にとってはただのAさんである。そして、僕も大して有名ではないから、コンテンツの受け手にとっては赤の他人が紹介する赤の他人、という結構しんどい構図になるのだ。



とはいえ、この世界のほとんどの人は、自分にとって他人である。長年思いを馳せる女優さんも、応援しているサッカー選手も、人生を支えてくれているミュージシャンも、みんな他人。でもいつのまにか、自分の中に入ってきている。この自分と他人をつなぐものはいったい何なんだろうと、最近は考えている。するとなんだか、無理にでもカテゴライズしてキャラクターを作り上げるテレビ番組も理解できてくる。素人が出てくる街ブラの番組とかも見ちゃう。ああ、そうやって他人の価値を生み出していたんだなあって、勉強になる。



地方には、魅力で溢れた人が多いと感じる。それはきっと、宮城に限った話ではないだろう。これから彼らを発信するために、自分と他人をつなぐものを紐解いていきてたいと考えている。

『おかえりモネ』にハマって見えてきたもの。【6月10日(木)】

NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』にハマっている。毎日忘れずに録画予約して、夕飯を食べながら見るのが日課だ。TwitterやInstagramの公式アカウントもフォローして、ダイジェストやオフショットもしっかり楽しんでいる。気がつけばいつの間にか、生活の一部になっている。

岩手を舞台にした『あまちゃん』では、劇中の「じぇじぇじぇ」という言葉が流行語大賞のひとつに選ばれた。それだけ社会現象になっていたわけだが、今ならその事態に心の底から納得できる。未だモネにはそんな特徴的なセリフやシーンは出てきていないが、今後“じぇじぇじぇ級”のものが出てくれば、すぐにでもインスパイアされる自信があるのだ。

連続テレビ小説は、15分番組を週に5回。1週間に放送されるのは時間にして1時間15分となるが、もしこれが週イチ放送だったら、きっと話は変わってきただろう。こんなにのめり込んでいる自分はいないと思う。1回の時間は短くとも、触れる回数が多いこと。これこそがNHKの戦略(笑)であり、人気をつくる要因のひとつなのではないかと感じている。また僕ら世代にとってはYouTubeみたいだし、15分なら忙しい日でもダルい日でも、わりと難なく時間を裂けるのだ。何なら最近は「え、もう15分?」なんて思ったりもする。この物足りなさから来る寂しさチックな感覚も、きっと重要なポイントなのだろう。

こうして考えてみると、連続テレビ小説はコンテンツをつくるものとして、学ぶべきヒントが多いような気がする。ここまで本格的に見たのは人生初めてで、単純なストーリーだけでない部分も楽しめている。『おかえりモネ』の舞台が宮城県で、また今の自分が地元の宮城に興味があって、本当によかった。やっぱり人生、タイミングも大切なんだなあ。


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