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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#48】自由研究とは、熱中を伝えること。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

修理に出していたMacBookを今日ようやく受け取りまして、今はルンルン気分でスタバにいます。

知人にMacBook Proを借りれたことは本当に感謝しまくっていますが、やはり自分の“相棒”こそ手になじみますね。

おかえり。これからもよろしくな。ともにいっぱい稼ごうぜ。💰

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まずは関係性から。【8月6日(金)】

今日、宮城のとある自治体の方が僕のiPhoneを鳴らしてくれた。いわゆる移住者インタビュー記事の制作依頼。「お仕事もかねて、また遊びに来てください(笑)」なんて言葉で締め括られていて、僕はもちろん快諾させてもらった。

昨年の10月に知り合った自治体の方で、今年のお正月と5月と、これまで3度直接お会いしている。オンラインイベントで顔を合わせることも少なくなかった。その方も僕と同じ宮城の県北の出身だから、波長が合うというか、向こうの人柄の良さもあって関係性を深められている。

そして今回、その方とは初めて仕事へと繋がった。決して出会った当初から今を見越していたわけではない。ただ単に、お互いのコミュニケーションを楽しんでいただけだ。それが結果として、仕事に結びついた。今回のようなケースは初めてではないのだが、僕はこのシンプルな人間関係からビジネスへ発展していくことが好きである。

これからもお仕事をいただけるように…ではなく、まずは人と人の関係性を大切にしていきたいと思います。

ほろ酔いの更新。【8月7日(土)】

今晩はスーパーで安くなったお寿司を食べた。ビールも2本飲んでやった。発泡酒じゃないぞ、れっきとしたビールだ。噂の泡立つジョッキ缶も飲めた。居酒屋が無性に恋しくなった。てことでこれはほろ酔いでスマホで更新している。もうネタもなんも考えられないから、今の気分をほぼノーオーディションで綴ってしまっている。

「毎日何かを続けるってすごいね」と言ってもらった。僕のnoteの更新日数についてだ。一応つい最近580日連続更新となったが、僕としては何もすごくないと思っている。ただただ、続くことを続けているだけ。それがたまたまnoteだったということだけだ。だからみんな、決して自分を卑下することなく、続けられることを続けてほしいと思う。まあ、何を偉そうに言っているんだと自分でも思いつつ。

今日はこんなところで勘弁してもらおう。ほろ酔いで頭が回らんのじゃ、すまん。こういう日があるから、ちゃんと論理立てて書ける日があるってことやんな。まあしらんけど、今日はそういうことにしておこう。

向かい風を追い風に。【8月8日(日)】

どうも乗り気じゃないお誘いを受けた。まあ、あんまりこういうことを書くべきではないのかもしれないけれど、紛れもない事実なのだから仕方ない。きっと僕だけが経験していることでもないだろう。かと言って、自分の中に断る理由も勇気も、無慈悲も見当たらない。どうしよう。

でも、ふと「普段なかなか話さない方とコミュニケーションを取れる」と考えかたを変えて、やっぱりちょっと乗ってみることにした。ビューって向かい風が吹いたんだけれども、ヒョイって自分の向きを変えて、追い風にできた感覚。わるくないんじゃないの、自分。いいね、その調子だ。

キングコングの西野亮廣さんが書いた本の中に、「“無風”がいちばんヤバい」みたいなことが書いてあった。つまり今回の僕で言うと、そもそもお誘いがないという状況だ。たしかにそう言われてみると、それはそれでちょっと寂しいのかもしれない。迷えるというか悩めることは、じつはしあわせなことだったのかもしれない。もちろんそれは、“ふしあわせ”になる可能性も秘めてると思うんだけれども。

とりあえず今回は、なんだか楽しみになってきた。追い風をつくって、ヘンなテンションになってきた(笑)。日本には「せっかくの機会」なんて言葉がある。ちょっと勿体ぶりつつ、この稀な機会を楽しみにしていようと思っている。

自由研究とは、熱中を伝えること。【8月9日(月)】

小学生の頃、森永製菓のスナック菓子「おっとっと」を好きだった僕は、夏休みに『おっとっとの研究』と銘打った自由研究を提出した。もう具体的な内容は覚えていないのだが、“海の生き物”をしたそれぞれのかたちはどれほどの割合で市場に出されているのか、ということは調べた(結果や考察も覚えてない)。それは普段の生活の中で疑問に思っていたことであり、僕はここぞとばかりに研究に励んだのだった。



果たして、今も自由研究という概念があるかは分からない。でも、僕が小学生だった頃にはたしかにあって、夏休み明けにはクラスメイトとの発表会なんかも開かれたはずだ。ただ、今となっては、「宿題として自由研究をしましょう」という風潮はいかがなものかと思う。

自由研究の本質は、自分が(仮説を立てて)実験あるいは実践したその成果や結果を、共有することであると思う。つまりそれは、「熱中を伝えること」ではないだろうか。せっかく時間がある夏休みなのだから、自分が興味のあることにのめり込んでみること。その熱量やいわゆる課題解決力はきっと大人になっても役に立つし、自分の未来を拓くカギが見つかるのかもしれない。だから学校としては「提出しなさい」ではなく「ちょっとだけでもいいから、友達や先生にも教えてよ」みたいなスタンスが望ましく思える。



たとえば「ウチの子はゲームばかりしている」なんていう親の困り顔は簡単に目に浮かぶが、それはすでにゲームに熱中できているということだ。だからそれを宿題として提出・共有できるようにしてあげればいいのではないか、なんて思う。自分はなぜゲームに熱中できているのか。どんなキャラクターやストーリーに惹かれているのか。どんなときに快感を覚えるのか。どんな条件が揃えば、より高い勝率を得られるのか。ほらなんかもうすでに、自由研究っぽくなっていないだろうか。

熱中というベースがあることは素晴らしいことで、ゲームという言葉だけで熱量を不意にしてしまうのはもったいない。もちろん、ゲーム以外の世界を見せる機会、とポジティブに言えるのかもしれないが。



ここまで子育てをしているわけでもなく教育事情もロクに知らない29歳独身男性が好き勝手に書いてきたが、自由研究のテーマを見つけるヒントになれば幸いである。自分の「熱中」つまり「好き」や「興味」を、誰かに伝えてあげればいいのだ。となると、自由研究というネーミングも、いかがなものかと思える。もうすでに、この概念すら存在していないのかもしれないが。。

変わらない安心感。【8月10日(火)】

髪が伸びてきた。おそらく今は、自分史上トップクラスに髪が長い。および厚い。いつもならもうとっくに切ってしまっているだろう。

しかし、未だに切っていない。そして近々切る予定もない。その“いつも”とはちがう理由として、ひとつはパーマをかけたこと。軟直毛の僕は、もう少しこのウネウネを楽しんでいたい。もうひとつは、気分が乗らないこと。髪が長いとなんだか守られている気がして妙に落ち着くし、「変わらない安心感」がある。客観的な意見は置いといて、今の髪の扱いにも慣れてきた。いわゆるヘアセットってやつだ。

とはいえ、いざ気分が乗って散髪に行ってしまえば、短くなった髪の毛も受け入れるのだろう。これまで、僕はそうやって生きてきた。というか切ってしまったら、もう前を向いて歩むしかない。髪の扱いに苦戦しながら、他人の反応に愛想を振りまきながら、なんとか時計の針を進めるしかないような気がする。



ふと、自分のキャリアについて考える。地元の宮城に関連する気になっている企業があって、正社員になろうかと考えている。ただ、今のフリーランスな働き方にも愛着があって、「変わらない安心感」に甘えていたい気もする。会社に入ったら、ちゃんと人や業務に馴染めるか、自分がしっかり働けるのか、考えるたびにいちいち不安だ。

でも、こういう時はおそらく、変化をもたらす決断をした方がいい気もしている。結局その道に進んでしまえば、どうにかこうにか前に進もうとする。それが人間。なけなしではあるが、これまでの経験がそう言ってくるのだ。



ということで今は、まあお盆明けにでも、その選考にチャレンジしてみようかと思っている。まだ会社に入れると決まったわけではないし、書類選考なんかもあるだろう。生き方を考えるにはちょうどいい期間だ。オンラインでの面接まで進めた際には、それこそ髪を切ってやろうかと企んでいる。

“つまみ聴き”がちょうどいい。【8月11日(水)】

最近、『カブトムシ』や『キラキラ』などを歌うaikoさんの音楽を日常にかけている。共感のなかに個性を感じられる歌詞、またその歌声と合わせて唯一無二とも言えるメロディーは、決して乙女心を知らずとも幾度となくリピートしたくなる。

最近よく再生している理由は、YouTubeにオススメされたからだ。Mr.Childrenを中心にいわゆるJ-popをYouTubeでもよく聴いているから、きっと「ほら、お前コレも好きだろ」と、僕の画面に映されたのだろう。悔しいけれど、思う壺である。aikoブームが到来している。

すると、スマホでよく利用するApple Musicでもダウンロードしてみようかと思いつく。とりあえずベストアルバムから入ろうか、いっそ思い切ってオリジナルアルバムを聴いてやろうか、なんて。

しかし、結果としてサブスクでもaikoを聴く勇気はなかった。勇気?と言うべきかはさておき、YouTubeでちょこちょこ、単品で“つまみ聴き”するぐらいがちょうどいいと感じられた。ベストと言えど、僕にとっては全く知らない曲もあるわけで、じっくり聴くかどうかも定かでないそれらで容量を埋めるのは、なんだかもったいない気がしたのだ。

今回は、このレイヤーに気がつけたという話である。僕だけの感覚ではない気もしている。いつでもココロに「知らないことを知る楽しさ」を備えていたいが、今回はそうもいかなかったようだ。

地域課題のリアルを見た。【8月12日(木)】

仙台市が「地域課題解決プロボノ活用事業」として地域の課題解決に取り組むプロボノを募集しているとのことで、今日はそのオンライン説明会に参加してみた。市内を拠点に活動するNPO法人が事務局となり、2つの地域の代表者がそれぞれの現状や思い描く未来、あるいは募集するプロジェクトの概要を説明してくれた。

今回の2つの地域からは、いずれも高齢の、いわゆる町内会を代表する方が登壇された。どちらの地域も高齢者しかコミュニティに顔を出していないことを問題としており、おもに子育て世代の参画を求めているように見受けられた。不慣れなzoomで、一生懸命に話してくれた姿が印象的だ。

ただ、僕の心に最も強く残ったのは、地域課題のリアルを見たことだった。

というのも、登壇された高齢の方々の課題意識が、とても抽象的だったのだ。「笑顔あふれるまちづくり」や「安心・安全な人づくり」などの言葉が多用されていて、その青写真はめちゃくちゃ伝わった。しかし、たとえば参加者から「特に町内会へ参加して欲しい年代はどのあたりですか?」という質問を受けても、「今は高齢者が活動しているのでまずは高齢者を増やして…あとは子育て世代の皆さんや子どもたちなど、全世代が集まってもらえるようにしたいです」などと話していた。もちろんその究極は理解できるけど一気に実現するのはきっと不可能だから、レイヤーを作ってもらうことが必要だなあと、きっとぼく以外の参加者たちもそう感じていたと思う。

あ、説明会に参加した方々は、パッと見ぼくと同世代か、あるいは上の30〜40代ぐらいの人がほとんどだった。そんなこんなでつまり、解決への具体性を持たせることも、地域の課題に取り組むリアルなのだなあと感じられたのだ。



総じて、とても良い体験だった。そしてより一層、仙台市のプロボノ事業に参加してみたいと思えた。参加はリモートでも大歓迎というか、むしろ離れた場所からの視点を積極的に必要としているらしい。今はとりあえず、選考に応募してみようと思っている。


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