0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

【Sponsored Links】

【週刊エッセイ#66】みんなちがって、みんないい。

f:id:nobo0630:20220212233003j:plain

どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

週末恒例『週刊エッセイ』のお時間です。

今週は、おとといに一つブログを更新できました。

この調子で(?)もっと更新がんばっていきたいと思います。

▼noteではエッセイを毎日更新中▼
note.com

場所に囚われにいく生活。【2月4日(金)】

いつからか「場所に囚われない生活」という言葉が、SNS上で散見されるようになった。それを実践する人はブログを駆使していたり、フリーランスとして手に職を持っていたり。パソコンとネット環境さえあれば他には何もいらないよと、スーツを着る必要もなければ、そもそも出社自体がないよと。僕は約5年前、そんなセンセーショナルな働き方に感銘を受けた。結果的に今、僕はフリーランスとして自宅やカフェを主戦場に生活している。

やがて時が流れウイルスが広まり、大人たちは自然と場所に囚われづらくなった。会社に所属していようがリモートワークが当たり前となり、個人的にはもはや出社の方が珍しく感じられることもある。多くの人がまさに場所に囚われない、とても良い時代だと思う。



そんななか先月末、僕は来年度に向けて、地元の宮城県美里町地域おこし協力隊へ応募してみた。きょう郵便受けを確認してみたら第1次選考・書類審査の結果が届いており、結果は無事突破。第2次選考・面接への案内も同封されていた。

地域おこし協力隊であるから、勤務地は当然、「地域」となる。オンラインで活動が完結するわけもなく、むしろ都会より文化が遅れたそこではオフラインの、つまりアナログの、“フェイス・トゥ・フェイス”のコミュニケーションが一般的だ。するとここらでふと、僕は場所に“囚われにいっている”ことに気がつく。あれだけ憧れていた場所に囚われない生活を、なぜ手放してしまうのだろう。



それはおそらく、その場所にしかないものに気がついたからだ。美里町、あるいは宮城県。そこには魅力的な人がいて、数えきれないほどの課題があって、つまり自分の居場所や役割がある。そう思える。オフラインでのコミュニケーションは、もちろん時にお互い相性がイマイチの時もあるけれど、やっぱり人は対面で話すようにできているのではなかろうか。地域を変えて、地域で生きていくためには、いつまでもパソコンの前に座ってもいられないみたいだし。極端な話、もう場所の制約が窮屈に感じられてもいるのだ。

結局、その場所次第なのではないかと思う。そこで「生きなければならない」と感じるか「生きられる」と感じるか。当然、人間関係も重要になってくるだろう。そういった意味で、僕にとって宮城は今、とても居心地の良い場所に感じられている。だからこそ、僕はこれから、わざわざ場所に囚われにいこうとしているのだ。

イチローさんに倣うならば。【2月5日(土)】

イチローさんのプロ入り前の話を、テレビで聞いた記憶がある。後に外野手として世界に名を刻むその男は、地元の愛工大名電高校では投手を務めていた。その理由は、「目立つから」。高校時代をあくまでプロへ進むためのステップとして捉え、スカウトの目に留まりやすいポジションを選択したのだという。「ドラフトは何位だろうがスタートラインは同じ」「プロに入ったらこっちのもんでしょ」と、曇天のアメリカのグラウンドで話していた姿が印象的である。



おそらく今月中に迎える、地域おこし協力隊の面接。その服装はどうしようかと最近少し考えたりもしていたが、無難にスーツで行ったほうが良さそうだ。服装もひとつの自己表現の機会だと主張する自分もいる。ただ、イチローさんに倣うならば、まずは協力隊として採用されることが本質的である。普段はユニクロの青いマスクを使っているが、使い捨ての白いものを着用しよう。イチローさんに倣うならば、なるたけ“失点”を抑えることが先決だ。

ちなみに今は、面接の希望日を提出して日程をすり合わせている段階。割と久しぶりの面接は、質疑応答というよりもしっかり双方的なコミュニケーションが生まれる場にしたいと思っている。今回のスーツ姿での帰省は、期待と不安が入り混じった道中になりそうだ。

僕の北京オリンピック。【2月6日(日)】

北京オリンピックと聞くと、僕は未だにどうしても2008年夏の大会を思い浮かべてしまう。と言っても、本田圭佑や香川真司らが出場した男子サッカー、G.G.佐藤が落球を繰り返しのちにある意味“伝説”となる野球ぐらいしか、記憶に残っていないのだけれど。

2020年に行われる予定だった東京オリンピックが2021年へと延期になり、その間がわずか1年になった違和感。日本のプロ野球がシーズンオフとなり、最近めっきりスポーツニュースをチェックしていないこと。冬のオリンピックの各競技に、そもそも興味を抱けていないこと。これらが僕を、今の北京オリンピックから遠ざけているのだろう。なんだかもったいないようで、でも仕方のない気もする。

今日はスキージャンプ・ノーマルヒルで、小林陵侑選手が金メダルを獲得したようだ。どうやら、メダル獲得は日本人で第1号だった模様。彼の出身地である岩手県八幡平市には個人的に知り合いがちらほらいて、彼らがSNSで喜びを表現していたことで知ることができた。とてもめでたいことだ。そして、地元愛は素晴らしい。

そういった意味では、我らが宮城県は仙台市出身の羽生結弦選手には注目すべきなのかもしれない。オリンピック2連覇中のディフェンディングチャンピオン、ということぐらい僕も分かっている。彼には氷上だけでなく、その外で見せる言動にも注目しよう。そうだこれから、僕の北京オリンピックを2022年に塗り替えるとしよう。

もし地域おこし協力隊に採用されなかったら。【2月7日(月)】

先月末に地元である宮城県美里町の地域おこし協力隊に応募してから、早1週間。思っていたより早く書類選考の結果を知らせる書類がポストに届き、面接への案内も同封されていた。今はメールでその日程をすり合わせている段階である。

もちろん採用を頂く気は満々なのだけれど、万が一のことも考えている。不採用だった時のパターンだ。これまで通り、東京に拠点を置きつつ宮城の皆さんと交友を持ち続けられるのだろうか。

2020年の秋頃から地方での生活に興味を持ち始めた僕は、じつに1年以上に渡って宮城の各地を放浪。時に「お試し移住」という行政の制度も利用させてもらいながら、さまざまな環境や人との出会いを重ねてきた。ただ、結局僕が選んだのは、それまであまり活発な活動を発信していなかったような美里町。全員が幸せになる選択はないんだと自分に言い聞かせながらも、いわばお邪魔してきた地域を裏切るようなかたちになっている。

だからなんだか、今回の協力隊が不採用でも“これまで通り”というのは、ちょっと都合の良すぎる考えなのではないかと感じるのだ。ひょっとしたら、今年を最後に宮城各地の皆さんとは距離を置くことになるのかもしれない。そんな予感もしている。そんな覚悟も踏まえて、今回は協力隊に応募したつもりだ。とりあえず今は面接でベストを尽くすことを考えているが、果たしてどんな未来が待ち受けているのだろう。

自分が嫌ではないこと。【2月8日(火)】

とてもありがたいことに、僕の周りの知人たちは、僕が毎日noteを書くことを知ってくれている。そしてただ認知しているだけでなく、この習慣を受け入れ、尊重してくれる。時には「すごいね」「がんばれ」だなんて、背中を押してくれることもある。主観的には、“嫌でもなく続くこと”を、ただただ継続しているだけなのに。とてもありがたいことである。

自分が嫌ではないことが、他人にとっては特別なものだったりする。以前、とあるテレビ番組で星野源さんも「自分にとって苦じゃないことをやっていただけなのに、誰かがとても喜んでくれたことがあった(意訳)」と自身の過去について話していた。そして「これこそ自分がやるべきことなんじゃないかって思った」と続けていたと思う。僕はその言葉に、ひどく共感できた。

みんなができること、できないこと。やりたいこと、やってもいいこと、やりたくないこと。人間は誰もが完全ではなく、いわば歪なかたちをしている。そんな人間それぞれがその歪を補い合って、まるでパズルやテトリスのように組み合わさって、誰もがその“隙間”を埋める一員になれるんだと。誰かのナチュラルがそのまま価値になる世の中になればいいなあと。そんなことを願っている。

ちなみに第一段落を書き終えた時には予想だにしていなかった場所に、考えが着地した。我ながら、趣があるねぇ。

みんなちがって、みんないい。【2月9日(水)】

あなたは、サクサク派だろうか。それともフニャフニャ派だろうか。

コーンフレークの話である。牛乳をかけて食べるとして、時間が経ってすぐサクサクの状態で食べるのが好きか、時間をおいてフニャフニャの状態で食べるのが好きか。とある知人は絶対サクサク派だと、どうしてもフニャフニャでは食べられないと言っていた。

さて、質問を投げかけておいてやや申し訳ないが、僕はどちらも好きである。口の中でサクサクと音を立てるのも、牛乳に甘みが溶けだして舌と上顎だけで崩れるようなフニャフニャも。何なら、それらが共存した“サクフニャ”みたいな状態も好きだ。強いて言うなら、個人的にそれがいちばんかもしれない。

別にとある知人のことを否定するわけではないのだが、僕はいわゆる「みんなちがって、みんないい。」な世界を目指したい。これからまちづくりに携わりたい者として、ここに誓っておこう。サクサクもフニャフニャも、それぞれ素晴らしいのだ。いや、そういう文脈で言うなれば絶対サクサク派も肯定すべきだと気がつくのだけれども。みんなの考えが肯定される、生きやすい世の中になってくれないかと願う。サクサクorフニャフニャ論争で、そんなことを考えてしまった。

ところでコーンフレークと聞くと、もうすっかりマッチョと角刈りの漫才師が思い浮かぶようになったよね。コーンフレークやないか。コーンフレークとちゃうやないか。

誰かと出会うタイミング。【2月10日(木)】

同じ人と出会うにしても、きっとタイミングひとつでその関係性は随分とちがってくるのだと思う。

大学生の頃、仙台駅前のとあるファミレスでアルバイトをしていた。そこは日本全国に店舗を構えるいわゆるチェーン店で、社員が異動で入れ替わることもしばしば。とある日、転職を繰り返しそんなに歴も長くない中年男性の社員(仮名A)が、僕たちと一緒に働くことになった。僕はその頃、バイトを始めて1年以上が経過。ハタチそこそこでイキり倒していた時期だが(笑)、次第にやるべきことを理解し、自分なりに考えて効率よく作業できるようにもなっていた。

そして自分で言うのもアレだけど、僕はAさんよりキッチンの調理では実力を上回っていたと思う。いや客観的に見ても、きっとそう。それを測るのはランチやディナーのピーク時、いかに手際よく料理を提供するかであって、おそらくAさん自身もそう自覚していたと思う。その証拠に、彼は僕に対して「大村くん、何か手伝いましょうか?」みたいな感じで、常に仕事に関しては“下から”、敬語で話しかけてきていた。僕は威圧しているようなつもりなんてなかったし、たしかプロ野球の話とか、一緒にヘラヘラ盛り上がれていたんだけれども。

ただ、そのAさんが異動してきてからバイトとして入った大学生のBくん(僕の1個下でした)に対しては、彼の態度が急変した。Bくんに「しっかりしろよ」「おせぇんだよ!」などと、あえて言えば“昭和感”全開で接していたのだ。Bくんが打たれ強い方だったからまだよかったものの、僕はそんなAさんの姿を見て(彼が来る前にできるようになってよかった…)とこっそり胸を撫で下ろしたのだった。



いま接している(ちょっと苦手だな…)と思ってしまう人でも、ちょっとでも出会うタイミングがちがったら、もっとまっすぐ愛を向けられたのかもしれない。でも逆に言うと、いま「好きだなあ」と思える人とも、“そのタイミング”で出会えていなかったら、今の関係性も続いていなかっただろう。誰が良いとかわるいとか、そういう話ではない。予想だにしない、いわば「運命」ってやつに呆れながら、でも頼りにしながら、これからも僕たちは誰かとの出会いを重ねていくのだ。それしかない。それでいいのだ。

▼noteではエッセイを毎日更新中▼
note.com

【Sponsored Links】