新年あけましたね。どうもどうも、おめでとうございます。
宮城県の美里町(みさとまち)で地域おこし協力隊を務めているのぼ(@nobo0630)です。
なんだか最近名乗り方がバラバラで、自分が一番困惑している感じですけれども。
2023年は、このブログの更新頻度を高めていくことを密かな目標のひとつにして、頑張っていきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
いわゆるリトルトゥースです。
新年一発目の今回は、僕が好きなテレビ番組『あちこちオードリー』について。
今週「本音の言葉が止まらない!裸の言葉SP!」という総集編が放送されましてね、その中で印象的だった若林正恭さんの話を思い出したので、ここに記してみたいと思います。
ちなみに僕は、毎週『オードリーのオールナイトニッポン』をチェックするほど、オードリーの2人が好きです。
特に若林正恭さんが好きで、彼が出版したエッセイは3冊すべて持っています。
個人的に好きすぎたボンネットの話。
さて、その印象的だった話についてですが、オリエンタルラジオの中田敦彦さんがゲストに訪れた回にて。
お笑いにおいて「共感性が“天下を獲る”ための弊害になる」という話の流れから、内省や自己分析といった話題となります。
そこで、若林さんは自身の過去を振り返りながら、以下のように語ったのです。
俺小学校の時に、連絡事項のプリントとか帰りの会で配られるのとか持って帰れないの。たとえば、父母参観のお知らせとか。で、机パンパンになっちゃってんの。それを何でか分かんないの、持って帰れない理由も。教科書も持ち帰んないし、それで母ちゃんが来なくて、終わった後「なんで来なかったの?」ってほかの父母から聞いて気づく、みたいな。
あと俺自分でエッセイ出してるじゃん。「自分探し」っていう言葉って軽んじられてるけど、自分を車だとすると「何でみんなと違う速度で、みんなより燃費こんな悪いんだろう」って、自分のボンネット開けてずっと見てんのよ。
「何がみんなと違うから、こんなに学校についていけないんだろう」とか、あと長時間座ってられなくて、高校とかもね、4時間目とかからしか行けなくて。「何が違うんだろう?」ってずーっとボンネット開けて見てるから(つまり)自分のことしか見てないんですよ。
ある程度「なるほどねこの部品が欠けてるし、ここの部品が足りないからみんなと違うんだ」だからほらコミュニケーション(の部分で)「人見知りだったりする理由ここか」とか分かってきたぐらいで、だから他人の車が気になってしょうがないの。「この人どういう構造で?」って、あちこちオードリーで(ゲストの)ボンネット開けまくってんの、俺。
自分への愛が、他人への会いにも繋がる。
その後「自己分析と内省が完了したんだ?」という中田さんの問いかけに、若林さんは「完了した!」と応えます。
そして、ここからは僕の想像ですが、若林さんは他人と比べて“燃費が悪い”時間を過ごしてきたからこそ、より多くの人に共感できるのだと思います。
いや、厳密には「許容」と表現すべきでしょうか。「〜であるべき」ではなく「〜もあるよな」と、今の時代にフィットした包容力に繋がっていると考えます。
いわば自分を愛することは、他人を愛することにも繋がるのかな、なんて。
そんなことも思いながら、2023年もオードリーの2人をチェックしながら、楽しく前向きに過ごしていきたいと思います。