0→1(ゼロカライチ)

多拠点生活を目論む28歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#9】心にカメラを携えよう。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

このブログで毎週金曜日に配信する「週刊エッセイ」です。

今日が土曜日だということはもちろん知っております。昨日、更新を忘れてしまいました。

今回はトクベツです。笑 よろしくお願いします。

今後、都会から地方へ人を招く企画に携わってみたい。【9月25日(金)】

地方の人口が増えることには、具体的にどのようなメリットがあるのでしょうか。これから詳しく調べようと思っているのですが、最近の疑問です。

僕はいま東京で暮らしていますが、学生時代の長い期間を地方で暮らした経験などを踏まえて、将来的にはまた地方へ定住したいと思っています。そのためまずは近いうちに、仕事や知り合いを備えた“拠点”を増やそうと思います。すぐに定住までとはいかなくとも、仕事や遊びで地方と接しておきたいのです。来月「宮城行脚」へ行くのは、そのための第一歩と言えます。

ただそんな中で、今の自治体の方とやり取りをすると、冒頭のような疑問が頭に浮かんできます。彼らはとにかく、「移住」をいの一番に勧めてくるのです。まず拠点を作りたいと考えている僕は、正直ちょっと困惑してしまいます。



僕にとって移住は、「結婚」するような感覚です。アドレスホッパーなんて生き方もあるようですが、やっぱり引越しや手続きが面倒だと感じますし、なるたけ回数は少ないほうがいいと思ってしまいます。だから吟味を重ねて、自分と地方が互いに必要だと思い思われる、そんな「ここだ!」というところに住みたいのです。

ということでまずは、拠点を作りたい。それは僕にとって「交際」するような感覚で、移住する前にどんな場所なのか、どんな人がいるのか、どんな仕事ができるのかを知っておくことになります。具体的に僕はライターとして、今は「書く仕事」に携わりたいと思っています。すでに地域のチラシやパンフレットなど、宮城に仕事はあるとも小耳に挟みました。



しかし地方の方々は、たとえ初対面でも「うちには〇〇があるよ!」「うちに移住しなよ!」と“プロポーズ”してきます。その魅力に特筆すべき事項があればまた話は変わると思いますが、「自然が豊かだよ!」「水や食物がおいしいよ!」と、正直どこも似たり寄ったり。しばしば、上手くプレゼンできていないように感じます。そのたびに僕は、拠点を作らせることを意識してみたらどうだろうと思うのです。

そのために必要なことは「ライターの仕事を募集します」「YouTubeの動画を編集してください」「SNSのコンサルをお願いします」など、問題を細分化することではないでしょうか。つまりターゲット(都会の人たち?)目線で、地方へ気を向ける工夫をすることだと思います。まずは「交際」を申し込んで欲しいのです。

僕が何度かお世話になった岩手県の八幡平市。あそこにはクラウドソーシングの『ランサーズ』とタイアップした企画や、ホリエモンチャンネルでPRされる「スパルタキャンプ」など、ターゲットの目を引く面白い仕掛けが見受けられます。アレです、あのような工夫が必要です。



もちろん、自治体の人々が地方愛にあふれていることは分かります。人を増やし、歴史と伝統を継承しなければならないのでしょう。ただ、さすがに上手くプレゼンしなければ、人は動いてくれないと思うのです。コロナでリモートワークが広がっても、です。



最近気付いたのですが、僕は「都会から地方へ人を招く企画」にも携わってみたいのかもしれません。地方で育ち都会で暮らし、そして今まさに地方に戻ろうとしている。そんな経験を、どこかで活かしたいのかもしれません。

まずは冒頭の疑問、地方の人口が増えることの具体的なメリットを調べます。なぜあんなに地方の人は、初対面でプロポーズしてしまうのでしょうか。それこそプロポーズしてしまう目線で、頭を整理していくつもりです。

心にカメラを携えよう。【9月26日(土)】

カメラを持って外に出かけると、日常の何気ない景色にも意識が向きます。風で揺れる木の枝。せっせと道を歩くハト。馬鹿でかいバッグを背負ったUber eatsの配達員。いつもなら素通りしてしまう景色にも、どんな被写体をどんな構図で写真に収めようか、シャッターチャンスを探すわけですね。カメラを持たない時に比べたら断然、外界に対して敏感になるはずです。



さて。2日前の「GO・三浦さん」のツイートが、ずっと頭に残っています。

三浦崇宏 GO/『超クリエイティブ 発想と実装で現実を動かす』(10/29発売) on Twitter: "本日の #THECREATIVEACADEMY の講師、岸田奈美 @namikishida の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は読んで泣き笑い。いい表現者は発信がうまいのではなく、受信がすごい。日常から自分が受け取る感情の解像度が半端ない。岸田は喜怒哀楽の間にあるものを決して見逃さない。… https://t.co/MWSMLbdY4D"

「いい表現者は発信がうまいのではなく、受信がすごい。日常から自分が受け取る感情の解像度が半端ない。岸田は喜怒哀楽の間にあるものを決して見逃さない」という部分に、感銘を受けました。やはり良いアウトプットのためには、良いインプットが必要なんですね。優れた表現者は「日常から高い解像度で」生きているんですね。

まるで心にカメラを携えているようだと思いました。少しの感情の変化も逃さず、常にシャッターチャンスを待ち、しっかりと感情を収めていくのです。決して簡単なことではないありませんね。想像しただけで疲弊します。ただ、その苦難を乗り越えられるから、プロと呼べるのかもしれません。



僕もますます、心にカメラを携えなければと思いました。羞恥心を置き去りにして言うなれば、やっぱり良い表現者になりたいですからね。そしてこのnoteに毎日エッセイを書いているのは、感情を“現像”する訓練をしているのかもしれません。ココがあるから、毎日嫌でも(笑)カメラを構えられるのでしょう。今後は解像度を高めることも意識して、せっせと取り組んでいければと思います。



でもまあ単純に、好きなんだよなあ。書くこと。表現すること。


noteのすてきな「スキ」機能。【9月27日(日)】

noteには「スキ」という機能がありますね。TwitterやFacebook、Instagramなどの「いいね」みたいなもので、人によって「読みました」「いい文章だと思います」「リストにメモしました」など、さまざまな意味合いがあることでしょう。

僕がスキをつける場合は、正直、その文字通り「好き」という意味で配っています。目の付け所や文章の構成、またそこから感じる人柄まで。「うわ、めっちゃ分かるわ〜」「このnote好きだわ〜」などという意味を込めて、ポチっと押すのです。

すると、なんだか自分にもらえる「スキ」も、気づけばそんなつもりで受け取っていました。さすがにこれは御門違いですよね、すみません。冒頭にも書いたように、それぞれの意味合いがあるんですもんね。ええ、分かっていますとも。



でもですよ、いわば赤の他人である僕の文章に「スキ」をしてくれるって、こんなに嬉しいことはないのです。文章は感覚や価値観であり、その人自身と言っても過言ではありません。僕が他人に感じているように、どうしても人柄が滲み出てしまうものだと思います。だからつまり、僕が「スキ」をもらって舞い上がってしまうのも、仕方のないことなのです。(?)





今回は、いつもこのnoteを読んでくれる方に、また「スキ」をくれる方に感謝を申し上げたいと思いました。本当に、ありがとうございます。「スキ」があるおかげで、毎日書こうと思えます。いつもその通知を心待ちにしています。そしてこれからも少しでも多くの「スキ」をいただけるよう、努めてまいります。

どうか、よろしくお願いいたします。





…やべぇ、思いのほか堅い着地になっちゃった。笑


自分探しを続けよう。【9月28日(月)】

今のご時世「自分探し」なんて言葉は、人をバカにする時にしか使われない。
この言葉には、元々無いものを一生懸命探している人の、滑稽な姿への嘲笑が含まれている。
ぼくはそれをいい歳こいて、今までずっとやってきた人間だ。
なぜ、自分を探さなければいけなかったか。
それは、自分がよく分からなかったからだ。
(中略)
「自分探し」と「社会探し」をしなければ、「生き辛さ」は死ぬまで解消されない。
自分は何が好きで、何が嫌いか。
自分が何をしたくて、何をしたくないか。
「めんどくさい人」と言われても「考え過ぎ」と何度も言われても、
この国を、
この社会を、
この自分を、
解体して解明しなければ一生自分の心に蓋をしたまま生きることになる。

2018年に出版された若林正恭さんのエッセイ『ナナメの夕暮れ』の、「はじめに」より引用した文章である。彼は2008年のM-1グランプリでの準優勝をきっかけに、30歳にしてそれまで無縁だったという“社会”の一員となった。それから10年、怒涛の日々を送った彼の3冊目のエッセイ。Amazonの説明欄には〈おじさんになって、「生き辛さ」から解放された―「自分探し」はこれにて完結!〉とある。



しかし若林さんは、どうやら今なおモヤモヤしながら生きているようだ。最近彼は、有料のnoteをはじめた。迷わず購読を決めた僕は、ヘンな話だが、若林さんがモヤモヤし続けていることが、うれしい。至極シンプルに、とても共感できるからである。

大多数の人間が「良い」とみなしていること。または黙って見過ごして「認めて」いること。たとえ僕がそれらに納得できなくても、若林さんなら分かってくれるような気がする。大げさに言うなれば、人生においてマイノリティでも全く構わないんだよなと、そう思わせてくれるのだ(ただ彼がこれを読んだら、この僕が抱く“虚像”にモヤモヤされてしまうだろう笑)。





自分探しを続けよう。社会探しを続けよう。一生自分の心に蓋をしたまま生きることなんて、真っ平御免だ。

久しぶりに若林さんのエッセイを開いたら、改めて決意を固めることができたような気がします。

【ネタバレなし】映画『TENET』を観ましたが、上手にテネれませんでした。【9月29日(火)】

映画『TENET』を観てきた。僕が映画館へ行くときはたいてい、SNSの反応やテレビでの告知をチラッと見るだけで、何の予習もせず足を運ぶことが多い。シリーズの続編ならともかく、スッと行ってワッと楽しめるものこそコンテンツとしてすばらしいのではないか、なんていう物差しを携えているのだ(まあ予習が面倒なのもあるが)。

ただ正直に言うと今回の『TENET』、ぜんぜん理解できなかった。上手にテネれなかった。展開の速さと説明の少なさのせい()で、ず〜っとその直前のシーンを考察しながら見ていたからだ。記憶の糸を離さずにストーリーを編み込んでいきたいのだが、それがまったく間に合わない。スクリーンがドヤ顔で伏線を回収しにきても、回収に来たことは分かっているのだが、とうてい拾いきれない自分がいた。寝不足も相まって、映画館を後にする頃には軽い頭痛も頂戴した。

しかしどうやら、やはりこの映画は多くの人にとって“難解”の部類に入るものらしい。不安になった観賞後すぐレビューを検索したが、そのような声が多数で安心してしまった。今は下記の解説記事を楽しんでいる。めちゃくちゃオモロイ。

難解映画【TENET テネット】攻略-文系にもやさしい徹底解説・考察 ※ネタバレあり|ISO|note

とりあえず今回の映画を通じて、僕は“左脳派”の人間なんだなあと感じた。劇場のシートに収まりながら、とにかくロジカルに物語を整理したがっていたからだ。まあ上記の考察記事によると緻密に計算されていたようで、それこそクリストファー・ノーラン監督はバリバリ左脳全開だったようなんだけれども。「映像がスゴかった!」「世界観サイコー!」で片付けたくないよなあと思います、はい。

あとは月並みだけど、映画館で映画を観るってのはイイもんでした。コロナさんが蔓延してから一度も行ってなかったし、まあ家でもわりと観たけれども、改めて良い環境だったなあと。

ということで次はのんびりと『浅田家!』でも観にいきますかね〜。

【提案】「接客」の対義語をつくりました。【9月30日(水)】

【接客】という言葉の対義語は、何というのだろうか。ふとそう思って調べてみたら、ヤフー知恵袋に「直接お客さんに接しないということで【製造】ですかね」みたいな回答があった。が、僕が求めているのはそういう話じゃない。「接客を受ける側」からの言葉がほしいのだ。



僕は最近、自分自身の「接客を受ける態度」を見直し、そして改めた。その理由はシンプルに、愛(人間関係・思いやり)の尊さに気づいたからである。これまでは恥ずかしかったのか何なのか、注文時も会計時もずっと下を向き、店員さんの顔なんて一切見ることはなかった。しかし今は、もう前のめり(のテンション)で店員さんと目を合わせにいく。あちらがニコッとしてくれたら、こちらもニコッと応える。そういった日常の何気ないコミュニケーションから、愛を大切にしていきたいと思っているのだ。



甚だ信じられないが、店員に対して「自分は客だぞ」と、横柄な態度を取る人がこの世にはいるらしい。そりゃあ店からしたら、客がいなけりゃ儲からない。でも客からしても、店がいなけりゃ満たされないだろう。両者は上下関係なのだろうか。いや、ちがう。同じ高さで、対等な立場だ。つまり僕は、客側も丁寧な態度で接するべきではないかと思うのだ。

そしてその客の態度が見直されない一つの要因として、【接客】の対義語が定まっていないことが挙げられるだろう。言葉がないということは概念がないということであり、概念がなければ文化もない。



そこで僕は今回【迎主(げいしゅ)】という言葉を提案したい。もてなしてくれる「主(ぬし、あるじ)」を、こちらもしっかり迎えようという魂胆だ。ちなみに「主」は「客」の対義語にあたる語である。

すでに「接客態度」という言葉があるが、今後は客としてのスキルを測る「迎主態度」なんて物差しが生まれてほしいと思っている。

3年前、古びた中華料理屋さんで。【10月1日(木)】

今年も日本最大級の公募型広告賞「宣伝会議賞」のエントリーが始まりました。応募期間は、本日10月1日から11月19日までの約1ヶ月半。これまで正直“なんとなく”なテンションで参加していた僕ですが、今回はしっかり取り組みたいと思います。


第58回 宣伝会議賞


僕はかつて未経験の状態でコピーライターの方に拾われ、それから“師匠”のもとで約1年働きました。企画書の制作や大手企業への取材、撮影の手伝いなどさまざまな経験をさせてもらいましたが、コピーの仕事も振ってもらえました。ただ、僕が直接クライアントとやりとりしていたわけではなく、師匠にきた案件を「ぼーの(仮)も考えてみて」といただいていた状況。いわば師匠がクライアントでした。

しかし、なかなか彼を納得させるコピーは書けませんでした。ついに高評価を得てCDとの打ち合わせに上がったコピーも、世に出る直前で頓挫。思うように結果を出せない日々に、僕は悶々としていたのです。

するとある日、師匠は「いきなり世に出せるほどのコピーを書くのは難しいことだよ。知り合いの社長とも話したんだけど、やっぱり少なくとも3年は必要だと思ってる」と励ましてくれました。事務所の近くの、古びた中華料理屋さんでした。





そして今年2020年は、それから3年が経った年です。もう言い逃れはできません。なんとしてでも今年、なんらかの結果を残さなければ、僕を採用してくれた師匠を裏切ることに。何より、意を決して上京を決めた4年前の自分自身を裏切ることになると考えています。だから、頑張るしかありません。

まあ宣伝会議賞が全てではないのですが、今回のエントリー開始を通じて、あれから3年が経ってるんだなあと再確認した次第です。まずは100本応募を最初のハードルとして取り組んでいきます。応募される皆さん、共に楽しんでいきましょう。コピーと向き合っていきましょう。


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ぼーの|note

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