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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#65】地元の地域おこし協力隊に応募してみた。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

2022年もあっという間に2月ですね。僕は今、4月から始まる新年度に向けてちょっとしたチャレンジを行なっているところです。

その経過は、また後日改めてこのブログにも記していけたらと思います。

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⑤その他、アピールしたいこと【1月28日(金)】

美里町の地域おこし協力隊の採用に関して、僕がさらにアピールできることはふたつある。

ひとつは、おもに宮城県内の移住・定住担当者あるいは地域おこし協力隊の方々と、すでに関係性を築けていることだ。これまで東京からの移住検討者として、宮城県の移住イベントをきっかけに東松島市や気仙沼市、栗原市、石巻市、大崎市などの方々と繋がりを持つことができている。この縁を活かして、彼らと共に宮城が一体となったプロジェクトに美里代表として参加できると考える。というか、ぜひ参加させていただきたい。また、協力隊やまちづくりに関する活動で美里の遥か先を行く彼らならば、普段の活動で困った時に相談もできるだろう。県内ですでにつながりがあることは、決して小さくないメリットだと思っている。

もうひとつは、何より美里町出身であることだ。小牛田地区の志賀町に実家があり、当時まだ“小牛田町立”だった不動堂小学校を卒業した。その後はもちろん不動堂中学校に通い、小さい頃から地域の雰囲気は肌で感じてきたつもりである。やがて社会人として仙台や東京で暮らすようになり、美里町を“外”から見つめる時間も重ねてきた。Uターン検討者や地域に興味ある人をターゲットとしたコミュニケーションを、しっかり“美里視点”で考えられると思っているのである。



以上となります。最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

学びと問い。【1月29日(土)】

きのう、昨年の秋頃から参加させてもらっていた宮城県仙台市の「地域課題解決プロボノ活用事業」が、最後のオンラインミーティングを迎えた。僕はプロボノチームの一員として地域の課題解決に取り組み、本業の傍らで成果物を納品。町内会の皆さんは、ひどく喜んでくださった。

地方での活動に興味を持ってから“現場”に立つ重要性を感じて、今回は初めてプロボノとしての活動へ応募した。東京に住んでいる僕はすべての作業がオンラインでのやり取りとなり、コミュニケーションの面で難しさを感じたこともあった。しかし、今となっては貴重な経験をできたとポジティブに感じている。

ボランティアではない「プロボノ」としての温度感。普段の生活から住民を支える社会福祉協議会や包括支援センターの皆さんの存在。事務局の距離の取り方。そして何より、やはり何事も良好な人間関係こそということ。

正直、いろんな意味でしんどい面もあったが、振り返ればそのすべてが「学び」や「問い」となった。今回の経験を決して無駄にすることなく、「自分だったらどうするか」も踏まえながら、地域に関する活動を続けていきたいと思う。とりあえず今は、無事に活動を終えられて良かったという安堵の気持ちが押し寄せてきている。

バズは、所ジョージじゃない。【1月30日(日)】

ふとTwitterを開くと、「中村アン」というワードがトレンド入りしていた。そしてクリックすれば案の定、日曜劇場『DCU』の話題で溢れていて、以下のようなツイートおよびネット記事も見受けられた。

「中村アン、命令に背いて一人で捜査へ」。僕は今回の日曜劇場を見ていないのだが、ドラマの内容だということは容易に想像できる。ただ、この文言は個人的なポリシーに反するというか、ちょっと許しがたい表現だった。

というのも、僕はドラマや映画などの登場人物を語る際、なるたけ「役名」で呼びたいと思っているからだ。たとえば『トイ・ストーリー』のウッディとバズのやり取りを見て、「唐沢寿明と所ジョージってめちゃくちゃ良いコンビだよね」と言う人はいないだろう。彼らは声優としての出演であり、あくまで極端な例として挙げているが、僕にとっては実写の俳優でも同じだ。つまり前述の記事で言うならば、命令に背いたのは中村アンではない。いやたしかに見た目は中村アンなのだが、役名の「成合貴子」(いま調べました)と示されるべきだと、僕は強く思う。



まあ、もちろん日常会話の中では役名を思い出せないこともあるし、目の前の人と認識を合わせられたらそれでいいだろう。ただ、自分の中のちょっとした譲れない部分であることは確かで、たまに共感してくれる方と出会うと、非常に嬉しく思える。今後もひっそり持ち続けたいこだわりである。

地元の地域おこし協力隊に応募してみた。【1月31日(月)】

きのう、宮城県美里町の地域おこし協力隊応募用紙を投函してきた。こっそり目標としていた1月中の応募完了を達成でき、今はひとまずホッとしている。

「お、ついに決めたんだね」「それは楽しみ」「大きな一歩だ」。僕が協力隊へ応募する決意を表明した際に、宮城の知り合いの方々にかけてもらった言葉たちである。次々にこういった言葉をいただける関係性を築けたことは、とても嬉しく思う。1年以上も宮城を良い意味で放浪し、さまざまな人と出会えて本当によかった。もし今回の結果が実らなかったとしても、彼らに報告すればまた新たな扉が開くだろう。

とは言いつつも、もちろん面接に臨むつもりで心の準備はしている。たしか書類選考の合否は1〜2週間ほどで、そして郵送でやってくるという話だっただろうか。今日はふと、新しいアパートの候補をネットでちょっと内覧してみたりもしていた。思っていたより、新しくて綺麗な物件が少なくないということにも気づかされる。地元だから、地図を見ればなんとなくの生活環境も想像できる。ムダにわくわくしている。

とりあえず今後の経過も、このnoteで報告していければと思う。というか、そう心がけていなくとも書いてしまうだろう。このアカウントは僕の頭の中というか生きた証というか、いわば人生そのものみたいなものだ。いや、それは言いすぎだろうか。まあとにかく、今後の展開にも乞うご期待である。乞うご期待、これは自分自身にかけている言葉でもあるだろう。

トレンドの向こう岸で。【2月1日(火)】

知り合いのライターが、noteでトレンド入りを果たしていた。毎日記事をチェックしているというnote編集部に「おすすめ記事」として認定され、別のニュースアプリにも掲載されていたようだ。その記事には、より多くの「スキ」もついていたと思う。

おすすめ記事にされる条件は、いったい何なのだろう。750日以上毎日noteを書きながらそんな経験が一度もない僕は、羨望の気持ちで考えを巡らせる。ポイントはおそらく、ライターの古賀史健さんの言葉を借りるならば「課題の鏡面性」と「構造の頑強性」(『取材・執筆・推敲』 より)になるのではなかろうか。すなわち、より多くの読者が自分ゴトとして捉えられて、より優れた構成力を持つ文章が、編集部によって選出されていると予想する。もし自分が編集部ならそうするだろう。

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ここらで、自分のnoteを振り返ってみるとする。すると構造の頑強性は“なくない”として、課題の鏡面性はほとんど見られないことに気がつく。自分のことばかりいつも主張して、ふだんの僕を知ってくれている人ならまだしも、赤の他人にとってはナンノコッチャな話である。つまり僕は今、おすすめ記事から離れた、いわばトレンドの向こう岸に位置しているような気がするのだ。

ではこれからトレンドに“寄せていく”のか、そう自分に問うてみた。ただ、リトル大村は「ノー」と言っている。もはや想定内ではあるのだが、首は横に振られている。たしかにトレンド入りして拡散され、より多くの人に自分の文章や自分が知れ渡っていくのは素晴らしいことだ。僕にはできていないことだから、なおさらである。しかし、このアカウントはおもに自分のために書き自分のために継続しているもので、ある種のアイデンティティを喪失することに怯えているらしい。

ということで、これからも僕はしばらく、課題の鏡面性のない文章を記し続けるのだと思う。それでこそオレだとか、またよく分からない理論を追い風に、トレンドとは平行線をたどり、むしろもっと離れることにもなるだろう。それでも、自分のペースとスタイルで、今日も僕はこうして投稿ボタンをクリックするのである。

言葉への信念。【2月2日(水)】

宮城県のとある地方で、移住コーディネーターを務める女性がいる。彼女はかつて東京でデザイナーとして活躍し、震災ボランティアをきっかけに宮城へと移り住んだ。移住当初は地域おこし協力隊として、商品パッケージやロゴマーク、情報冊子のデザイン業に従事された。というか現在も、移住コーディネーターの傍らデザイナーも務めている。

彼女は自身の過去を振り返りながら、「初めはデザインにお金をかけることに抵抗がある方が多かった」と地方でのデザイン業について話していた。都会と比べて、まずはデザインへの理解を得ることに苦労なさったということだろう。そしてそれだけ、ご自身がデザインの力を信じている証でもあるだろう。自分のデザインで変化をもたらせば地域をもっと良くできると、そんな信念がなければ今なお変わらず住み続けるのではなかったと思う。2020年に僕と出会うことも、きっとなかったはずだ。

そんな彼女のデザインに対する姿勢に感銘を受けつつ、ふと、自分はライターとして言葉の力を信じられているのだろうか、なんてことを考える。正直な気持ちを打ち明ければ、彼女ほどの想いを持つことはできていないだろう。それは、デザイン(言葉)に対しても言えることだし、地域の人々に対してもそう。未だ理解が浸透していない環境で、地域の方から信頼されるほど頑張れるのだろうか(浸透していないから価値になるとも言えそうだが)。

今後、協力隊として採用だろうと不採用だろうと、自分のライティングに対する信念は強く持ち続けていたい。何ならコミュニケーションや仕事のやり方をまるっと含めて、全てを一新する必要だってあるかもしれない。それでもやっぱり僕は、言葉が好きだし地域が好きだし、そして人が好きだ。自分の言葉が世界を変える。そんな馬鹿みたいな気持ちを、至って真面目に抱いていたい。

僕には、自宅で拍手をする癖がありました。【2月3日(木)】

最近ふと気がついたのだが、僕には自分の手をパチパチと叩く癖がある。いわゆる拍手というやつだ。とはいえ決して人前で手を鳴らしているわけではなく、自宅での仕事中の合間に、どうやらパチパチしているらしい。パチパチしがち、なのである。

拍手には、「歓喜」や「鼓舞」あるいは「称賛」など、一般的にポジティブなイメージがあるだろう。つまり僕は無意識に、仕事に関して「おっけー片付いたぞ」「よし頑張ろう」「終わったよくやった」などと、ポジティブなイメージを自分宛てに、自分の身体で生み出していたのだと思う。

思い返せば、飲み物を取るために冷蔵庫へ歩くとき、また仕事が一息ついたとき、手をパチパチさせている。ちなみにそのときは、ピッチからスタンドの観客へアピールするサッカー選手のごとく、手を縦にして叩いていることにも気づく。この発見は、“サッカー選手ごっこ”をやっているようでちょっぴり恥ずかしくもある。

ただ、拍手によってたしかに少しポジティブな気持ちにもなっているのだとも思う。前述のように自分を称えて、鼓舞して、労う拍手。隣の部屋の住人に音が漏れていないか心配にもなってきたが、他の皆さんにもさりげなく勧めてみたいと思う。そしてそのとき、両手は縦にしてほしい。ちなみに視線を遠くにやると、“サッカー選手み”を強めることができる。ぜひお試しあれ。

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