どうも、ぼーの(@nobo0630)です。
週末恒例の週刊エッセイ。これだけはなんとか欠かさず更新しています。コピペするだけ、という仕組みがかろうじて功を奏しているのでしょう。
今週は地域おこし協力隊の応募に向けて、応募用紙の“下書き”を重ねたイメージです。まあ詳しくは、また別の記事をこのブログでもできたらいいのかなと思います。
▼noteではエッセイを毎日更新中▼
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- 地域のこと、自分に書かせてください。【1月21日(金)】
- “痛気持ちいい”感じ。【1月22日(土)】
- 偶然性。【1月23日(日)】
- ①地域おこし協力隊になったら取り組みたいこと。【1月24日(月)】
- ②美里町地域おこし協力隊に応募した(する)理由・動機。【1月25日(火)】
- ③性格(長所や短所等)について。【1月26日(水)】
- ④仕事や学校の中で、何かを成し遂げた経験。【1月27日(木)】
地域のこと、自分に書かせてください。【1月21日(金)】
むかし『テラスハウス』という番組があった。主人公は、まだ“何者”でもない、夢を追う10代後半から30代前半の男女6名。ひとつ屋根の下で共同生活を送り、仕事や友情、恋愛などを通じたドラマが映される。個人的にはシェアハウス文化の先駆けだと思っているが、いや果たしてどうだろうか。
ふと、未だ印象的なシーンを思い出した。それはモデルとして生きる女性が、たしかファッションショーに向けてウォーキングの練習をしていた時のこと。その女性は自分に自信が持てず、なかなか堂々と歩くことができない。するとそんな姿を見て、センパイが言う。「あなたモデルでしょ?自分がいちばんカワイイと思って歩きなさいよ」と。
ちょうど1週間前、僕は「ライターとして、地方で自分が書く意味はあるのか?」みたいなことを考えていた。文章なんて誰にでも書けることで、自分の存在意義なんてないのでは、などと。
ただ、たとえばあのセンパイにこんな姿を見られては、いろんな意味でぶっ跳ばされてしまうだろう。時間が経った今、自分でも何を感じてしまっているのだろうと思う。まあ、そんなリアルタイムの感覚を綴るのが、このnoteのテーマでもあるのだけれど。
ということで。
地域のこと、自分に書かせてください。ライターとして、あるいはコピーライターとして、誰にも負けない文章を書いてみせます。特に地元の宮城県というフィールドでは、各地のツテに甘えながら、個人として細かいところにまで入り込んでいけます。毎日noteに記す習慣と鍛錬があります。どうぞよろしくお願いいたします。
“痛気持ちいい”感じ。【1月22日(土)】
子どもの頃、両親や祖父母に肩を叩いてくれとお願いされた記憶がある。僕は彼らの背中にまわり、自分の両手を軽く握って、左右交互にトントンと。時になんとなく、揉みほぐしてみたり。子どもながらに、「気持ちいいねぇ」と大人たちが喜ぶ様子を嬉しく思った。
そんなに良いものかと、今度は自分が彼らの前に陣取ってみる。しかし、叩かれようが揉まれようが、ちっとも気持ち良くはなかった。むしろくすぐったくて、ちょっと気持ちわるいような感じもした。
あれから時が流れた今。ちゃんとその「気持ちよさ」を感じられる人間にはなった。あの時には分からなかった、“痛気持ちいい”感じ。両親や祖父母にやってもらうことはないが、それなりにオトナとなってしまったようだ。
TwitterやInstagram、あとはこのnoteなど、自分のSNSを読まれることって“痛気持ちいい”なあと最近思う。「読んでますよ」とか「あれ共感できます」とか、そう言ってもらえることは、エッセイ形式で心の中を露わにしている僕にとっては、ちょっと恥ずかしい。でも、それ以上に「読んでくれてありがとう」という感謝や嬉しさが、自分の中で大きくなる。
きっとこれも、子どもの頃には感じられていなかった感覚だ。作文の授業や卒業文集を書いた機会はあれど、学年全員が一斉に取り組むから特別感がない。読んでもらったり共感してもらったりする人の範囲が、あまりにも狭い。そもそも自分も含めて全体的に、言葉や表現のストックが少なく感動を覚えづらい。
そういった意味で、まずここまで継続して書けていることが、スペシャルなものになっている。知り合いの数が増えるほど、幅が広がるほど、いただける共感の声も格別だ。前述の通りちょっとした恥ずかしさはあれど、やっぱり書いたものを読んでもらえるのは嬉しいことである。
一応、今日でnoteの連続更新が750日を迎えたらしい。この先どれだけ続くか分からないけれど、いのちある限り、あるいは寝落ちしない限り(笑)、僕はこの“痛気持ちいい”感じを味わうためにも、ここに文章を記し続けるつもりである。
偶然性。【1月23日(日)】
『Among Us』というゲームにハマっている。友人同士で夜な夜なオンラインのボイスチャット上に集合し、夜が更けるまで、いやもはや朝方まで楽しんでいる。昨年からこのゲームを通じて知り合った、“声は分かるけど顔は分からない友人”も増えてきた。
別名「宇宙人狼」とも呼ばれ、いわゆる人狼ゲームのような“騙し合い”が醍醐味。ざっくり言えば、ゲーム上での会話において嘘をついている人を見つけ出すことが、ひとつの大きなポイントとなる。
そんなAmong Usの魅力は、偶然性であると考える。「これをやっておけば大丈夫」がないのだ。もちろんゲームにおけるセオリーはあれど、CPUを含まず人がプレーしている以上、“絶対”はあり得ない。たとえば、「あーあの時アレをしておけばよかった」と悔やみ反省することがあったとしても、その「あの時」は二度と訪れない。毎回毎回、そこにしかないドラマを楽しめるのである。
会社と自宅の行き来だけで、気が滅入っている人をよく見かける。そんな日々の繰り返しで、ついつい「なんかおもしろいことないかなあ」なんてこぼす友人もいた。そんな人たちには、ひょっとしたら偶然性が足りないのではないだろうか。たしかに会社に居続けて、必然的に守られる人生は、間違いないだろう。ただ、だからこそ退屈しているのではないだろうか。気が滅入ることになるのではなかろうか。
つまり何が言いたいかというと、みんなAmong Usをやろう。このnoteを読んでいるモノ好きなそこのあなた、よかったら僕たちとプレーしよう。きっとこのゲームの偶然性は、あなたの人生にちょっとした刺激を与えてくれるだろう。半分本気で、半分冗談である。
①地域おこし協力隊になったら取り組みたいこと。【1月24日(月)】
「町のプロモーション」を果たすため、僕はおもに地域の「人」を取り上げ、町内外へ発信していきたいと思う。まず令和の日本において、全国各地の地方を相手に凌駕および差別化できるような特徴的な自然や文化、産業は美里町にないと考えている。ただそんな地域でも、「人」ならば絶対的なコンテンツになり得る。改めて言うまでもないが、誰ひとりとして全く同じ価値観を持つ人、全く同じ人生を歩んできた人は存在し得ないからだ。
では、どうやって「人」を発信していくのか。現時点で自分は、おもにWebでの発信を考えている。これまでライターとして培ってきた「聞く」や「伝える」を活かし、テキストのコンテンツとしてWeb上に公開していく。また、その取材の様子を動画にして、YouTubeで発信することなども考えている。
Web上にコンテンツ化するメリットは少なくないと考えていて、ひとつは蓄積されていくこと。たとえば紙の媒体ならば、一度印刷してしまったらページ数を増やすことはできない。しかし、Webならばほぼ無限に“ページ数”を増やしていける。情報の受け手にとっても、リアルタイムで更新されていく新鮮な情報を楽しむことができるのだ。
そしてもうひとつは、僕が取材することで、美里町の人々にコミュニティが生まれることである。今、町の外から美里を眺めていても、もちろん日々熱い思いを持って生きている人はいるだろうが、それぞれの繋がりは見えてこない。それぞれが個人として奮闘しているイメージだ。しかし、「僕に取材された」あるいは「コンテンツ化された」という共通項があれば、ひとつのコミュニティが町に生まれ、町内を活性化してくれるだろう。そして町外の人にとっても、ある種ひとつのブランドとして映ってくれるはずだ。
以上のような考えで、僕はこれまでの経験を活かしながら、美里町のプロモーションに取り組んでいきたいと思っている。
②美里町地域おこし協力隊に応募した(する)理由・動機。【1月25日(火)】
志望した理由をひとことで言えば、「悔しいから」である。
2020年の秋ごろ、将来的なUターンを考え始めた僕は、移住に関する宮城県のオンラインイベントへ参加してみた。当初は、現職のライター業を宮城でもできればいいなあと思って申し込んだのだが、イベントに参加してみると宮城の各地の皆さんがあたたかく迎えてくれて、「人」という魅力をきっかけに地方の面白さを感じた。
その後は、また別のイベントに参加したり実際に現地へ足を運んだり、宮城の各地の方々と次々に関係性を築いている。すると、気づけば自分も「まちづくり」という分野に興味を湧かせていて、自分のライターとしての経験をそこに活かせないかなどと考えていた。
そしてその流れで、美里町に目を移してみる。我が地元では、どんなまちづくりの活動を発信されているのだろうと。しかし残念ながら、コレといった魅力は、というか発信活動自体が見えてこなかった。同じ県の気仙沼市や東松島市、石巻市、栗原市などが互いに刺激し合い、試行錯誤しながらも面白い活動を見せていく中で、僕が生まれ育った美里町には、何の活動も見えなかったのである。
これがなんだか、とても悔しかった。そしてこれは令和のコロナ禍における地方にとってピンチであり、自分がやるしかないというチャンスであるとも感じたのだ。
地方の活動に目覚めてから、気づけば僕は、これまで100近くの移住や地方に関するイベントに参加している。そのインプットによって、徐々に地方の発信における「良いコミュニケーション」「良くないコミュニケーション」のモノサシも出来上がってきた。この経験を活かすためにも、そして何より悔しさを晴らすためにも、協力隊の一員として美里町のために活動していきたいと思っているのである。
③性格(長所や短所等)について。【1月26日(水)】
自分の長所は、心の中に「問い」をこしらえて、「目的ベース」で物事を考えられることだ。いま取り組んでいることは一体何を目的にしているのか、あるいはそのための方法として正しいのかを、常に考えている。
この感覚が身についたきっかけは、大学時代の就職活動のとき。僕は昔から公務員の親のもとで育ったこともあり、「安定した公務員はいいぞ」「立派な大企業に入れ」と言われていた。しかし、なかなか内定を頂くことができず、気づけば焦りから「就職すること」が目的となっていた。わざわざ言うまでもないことだが、社員として働くことはひとつの方法に過ぎない。何とか就職はできたものの、その後の社会人生活では空虚な時間を過ごし、結局1年半での退職に至っている。まあ、これだけが原因ではないのだけれども。
以上の就活時からは、「まずどんな人生を送りたいのか」という目的を明確にすべきだったと反省した。方法を目的化してしまうことは、まるで一切予定を立てることなく、ただ飛行機や新幹線で旅行先に向かうことのようだ(これはこれで楽しそうか…?)。
そして、この「方法と目的」の概念は、人生におけるあらゆる場面に適応できるとも気づいた。新卒入社した会社で「みんながやっているから」「昔からやっているから」という“雰囲気”で継続されていた業務。学生時代、授業の理解を深める目的として教師から「ノートを取りなさい」と指示されていたこと(ここで自分なりの勉強法を考え実践することこそが、社会に向けて1番の学びであると思う)。突如しっくりきた僕は、日常から「問い」を持って生きるようになったのである。
今回ご縁あって美里町で地域おこし協力隊を務めることができるのであれば、「そもそも目的は何なのか」あるいは「方法として最適なのか」などという感覚を常に持って活動していきたい。同調圧力という雰囲気も顕著なこの国では、時に生きづらさを感じることもあるが、採用初年度の協力隊として積極的にアイデアを発していきたいと思う。
④仕事や学校の中で、何かを成し遂げた経験。【1月27日(木)】
僕が成し遂げたと思えること。それは、社会人2年目のタイミングで決行した「退職および未経験からのコピーライター転身」だ。
就職活動で思うような結果が残せないまま社会人となってしまった僕は、大学時代から憧れていたコピーライターにどうしてもなりたくて、“未経験”から転身する方法を考えていた。そこで思いついたのが、業界では有名な『宣伝会議コピーライター養成講座』を受講して少しでも知識を身につけてから、再び就職活動するというものだった。しかし、その講座の会場は東京や大阪、福岡など…つまり、当時一人暮らしをしていた仙台では開催されていなかった。
それでもどうしてもコピーライターを諦めきれず、社会人1年目の冬からこっそり夜勤のバイトを始めて資金を貯め、2年目の秋に退職と上京を果たす。思えばこれが、初めてはっきりとした自分の意志で人生を切り拓いた経験だったように思う。それまで周りの大人の言うことを聞いたり周りに流されたりしていた自分は、人生がグングン前に進んでいく感覚に感動した。また、初めて宮城の外で生活を送るようになった上京当時は、出会う人や人との出会い方も一新され、自分の価値観も広がっていたと思う。結局その半年後に運良くコピーライターとなり、「書く仕事」をしている今に至る。
自分でじっくり考えて、しっかり行動に移せたこと。そして東京での経験を経て、地元の宮城を“外”から見つめ直し、地域おこし協力隊としてカムバックしようとしていること。ここまでのストーリーを、まずは成し遂げたいと考えている。
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