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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#12】俺、もう書きたくないかも。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

先週は地元の宮城県の各地をめぐる「みやぎ行脚」に参加し、日曜の朝に東京へ帰ってきました。

今はこれからの自分の生き方を見つめ直しています。どう生きるべきか、嬉しい悩みです。


そんな感じで今週は「みやぎ行脚」の影響受けまくりです。よろしくお願いします。笑

地方コミュニケーション。【10月16日(金)】

みやぎ行脚4日目。今日は僕の故郷の隣町、大崎市にお邪魔しました。

印象的だったのは、大崎市の担当者たちの仲がめちゃくちゃ良かったこと。まるで家族のようにお互いの性格や趣味、恋愛遍歴までをも知り尽くしており、深い関係性だなあと関心しました。そしてその関係性は当然、仕事にもポジティブに活かされているように見受けられました。

僕はそんな姿を見て、ふと思ったんです。コミュニケーションって、やっぱこうあるべきだよなあって。恋愛遍歴はちょっと行き過ぎかなとも思いますが(笑)、互いを深く知っていることに越したことはないのです。



最近僕は東京で、カフェでの店員さんに対する態度に気をつかい出したところでした。ちゃんと目を合わせてハキハキと注文し、商品を受け取る時も目を合わせてニコッとする。そんなコミュニケーションにある種の達成感を覚えていましたが、そんなの浅すぎます。あさあさのあさです。(?)



地方の皆さんのコミュニケーションを見て、自分の今後のあり方を省みています。でもこれは、とても良い感覚です。良い予感がします。これから自分と他人が深い関係を築けるところを、より大切にしていきたいと思えたからです。


仲間とのハイタッチのために。【10月17日(土)】

宮城県の各地をめぐる「みやぎ行脚」も、きょうで最終日を迎えた。

各地をまわって感じたことは、まずどんな地域にも前を向いて頑張っている人がいるということ。都会だとか田舎だとか、大企業だとか自営業だとかは関係なくて、その人自身の想いがあればどこでもキラキラと生きれるのだ。至極あたりまえのことかもしれない。ただ、今の僕にとってはとても大きな気づきとなり、刺激となっている。

そして、今後の自分の活動に関する考え方も変わったような気がする。そういえば僕は、“仲間とハイタッチ”がしたかったのだ。自分だけと向き合うことに疲れた。飽きちゃった。寂しくなってきた。だから今度は誰かのためにスキルを活かせないかと、ひとまず地元の「みやぎ行脚」に参加したんだった。

野球で言うなれば、僕はもっとバッターボックスに立たなくてはならない。今は1人で素振りをしてイイ気になってるだけ。そうじゃなくて、実戦の打席に立つことが重要だった。

つまりSNSで自分の世界を発信するばかりでなく、もっと現場に足を運んで人々や地域と向き合って、課題解決のために頭と手を動かさなければならない。結局ヒットやホームランは、試合でなければ正式な記録に残らない。そして熱望する仲間とのハイタッチも、実戦でなければ味わえないことだったのだ。

そんなこんなで今回お邪魔した宮城には、僕が立てそうなバッターボックスが少なくなかったような気がする。「ライティングをお願いする時はまた連絡するね」なんて言ってくれた人もいた。ちょっと大袈裟に言うと、よそ者として若者として、地域の方といっしょに新たな世界を作っていけそうな気がする。とてもワクワクできている。

今回の「みやぎ行脚」を“きっかけ”として、まずは打席に立てるように行動していきたい。そのためには、もっと深い人間関係が求められる。僕の地域課題に対する知識も不可欠だ。過去の事例を学ぶ必要もある。

ああ、なんだか良い予感がするぞ。さあ次は、どんな一手を打ちますかねえ。

事件は会議室で起きてるんじゃない。【10月18日(日)】

4泊5日を過ごした宮城から、深夜バスで東京へ帰ってきました。今後の地方への移住や自分の可能性を考えていると、とてもワクワクしてきます。良い気分です。



記憶の片隅に「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」というセリフがあります。僕は織田裕二さん主演のそのドラマを、一切見たことがありません。だからどんな脈絡でこのセリフが発せられたのか、想像することしかできません。

でもなんとなく、織田さん扮する主人公の気持ちが分かるような気がします。ものごとを解決するために重要なことは、机上の空論を並べていることではありませんね。まあもちろん頭を動かすことも大切ですが、もっとも重要なのは実際に手足を動かして現実を変えていくことです。おそらく若手の青島刑事(だっけ?)は頭でっかちになっている上層部に向かって、型破り的に、本質を突き付けたのだと想像します(ちがったらごめんなさい)。



今回の『みやぎ行脚』にて、地方で生きる人の姿やその課題を実際の「現場」で確かめて、またどうやってこれから「現場」に身を動かそうかと考えています。今まで僕は「会議室」に居すぎました。だから今後はとにかくレインボーブリッジを封鎖する勢いで(?)、自分の未来を切り拓くために行動していきたいと思います。

俺、もう書きたくないかも。【10月19日(月)】

どうも。つい先日まで参加していた『みやぎ行脚』の余韻がすごいぼーのです。4泊5日で宮城県の各地をめぐり、さまざま人に出会い、魅力や課題を目の当たりにし、今後の自分の生き方を考えまくっています。

そこで芽生えてきているのが、この記事のタイトルのような感覚です。まあ厳密に言うと「僕はもう、書くことだけに固執したくないかも」です(けっこう違うな)。



ライティングは、課題を解決するための「方法」のひとつと考えています。旅行で言うなれば「移動手段」。新幹線か飛行機か、はたまたレンタカーを借りるのか。あらかじめ行く場所を据えた上で、お財布やスケジュールと相談するなどして、何が有効かを決めるわけですね。しかし僕は最近、その「目的地」から考えたくなってきました。つまりライティングより、もう少し“上流”にあたる工程に興味が湧いてきたのです。論理的に現状を整理し課題を立てて、アクションを仕掛けていく。もちろんこれまでコピーライターとして考えてきたことではありますが、地方の現場を目の当たりにして「ライター」という肩書きへ固執することに違和感を覚えました。

振り返るとそういえば、かつてコピーライターの師匠にも「ぼーの(仮)はディレクターとかの方が向いてるかもね」と言われたことがありました。当時はちょっと落ち込んだ部分もありましたが(笑)、別のデザイナーの方にも、そんなことを言われた記憶があります。もしかしたら彼らは、今の僕の気持ちを予言していたのかもしれません。



人生では「何をしたいか」も重要ですが、もっと重要なのは「どう在りたいか」だと思います。いったい自分はこの社会で、どのような存在でいたいのか。今は宮城の発展へ貢献できる存在になるべく、思考を凝らしているという状況です。

人生を託せる場所。【10月20日(火)】


これまではタイムラインに映ってくる「すごい人」を見て、いちいち自分と比べて、自然といちいち落ち込んだりもしていた。気づいたら5分に1回はTwitterを開いちゃうようなカラダにもなっていて。

それはやっぱり、僕がSNSに希望を見出していたからだ。いまだ名もなき自分が、“一発逆転”を狙える可能性として。言うなれば、SNSに自分の人生を託していた。多くの体重を預けていた。



しかしつい最近、宮城県へ足を運んだ際、地方としての課題を目の当たりにした。と同時に、自分が役に立てそうな可能性も感じた。つまりなんだか、自分の人生を託せる新たな場所が見つかったような気がした。

すると、これまで何度も打ちひしがれてきたタイムラインに対して、あまり感情移入しなくなっていた。画面の外にも、いや画面の外にこそ、遥かなる世界は広がっていることに気がついたのだ。



SNSが嫌いになったわけではない。ただ見え方が変わっただけ。今後はまた新たな距離感で、SNSと付き合っていきたいと思っている。

思い切ってやめるのもアリなのかな〜とかね。たぶんないけど。笑


お試し移住をもっとしたい。【10月21日(水)】

どうも、相変わらず先週の「みやぎ行脚」の余韻がすごいぼーのです。4泊5日で宮城県のあちこちを廻り、さまざまなヒトやモノの魅力に触れ、また今後の課題なんかも感じてきまして。最近の自分は「まちおこし」に興味があるのかなあ、なんて考えています。ワクワクです。

そして最近は、宮城以外の地域にも興味が湧いてきました。気づいたら「〇〇 お試し移住」とかで検索しちゃってます。今後の移住とか拠点づくりには地元の宮城を軸に考えていきたいのですが、さまざまな“現場”に足を運んだことで、他の“現場”も見てみたくなってきました。宮城と比較してみたくなったわけです。

また自分の肩書き的にも、コピーライターというよりかはクリエイティブ・ディレクター的な方に進んでいきたいのかもしれません。現状をどう捉えて未来をどう見据えて、どのようなアクションを起こしていくべきなのか。今後の自分はそんな能力を伸ばしていく必要があるのかもしれません。また余談ですが、肩書きを意識することは自分の活動を戒める効果もあると思っていますので、しっかり意識していければと思います。



ということで、これからは流行りのワーケーション的に、あらゆるところに足を運ぼうと思っています。いろんな人に出会い、いろんな刺激を頂戴したいです。


自分の得意なスタイルで。【10月22日(木)】

決して数は多くありませんが、僕のこれまでの恋愛は「友達」から深まることがほとんどでした。クラスメイトやサークル仲間として最初は互いに恋愛対象と見なしていないものの、時間を共にすることでラブみが増してくるという。Mr.Childrenの代表曲『名もなき詩』には

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにある物

という名フレーズがありますが、まさにそのようなイメージです。あれ?って。気がついたら居心地の良い存在として互いを認識し、好きになっている。思えば僕は、そんなパターンが多くあったような気がします。


だから例えば都会の男女が見せるような、たまたま居酒屋やクラブで知り合って“お持ち帰り”して…みたいな、そのパターンは得意ではありません。というかハッキリ言って、僕にはムリです。技術も実績もない。でもなぜか、そんな“都会のパターン”に憧れ、そのスタイルを目指してしまった時期もありました(結果は言うまでもなく惨敗です)。



最近はこの人付き合いのパターンが、男女間に限った話ではないことに気がつきました。例えば、仕事でもそう。スキルや実績を評価いただき発注してもらえることもありますが、「この人柄に任せたい」と人間関係が先行して発注に至ることもあります。僕はきっと、この人柄評価先行型のパターンが得意なのだと思っています。これまでの経験的に、きっとそうです。そういうことにします。



社会の空気感に流されることなく、自分の得意なスタイルを信じていきたい。苦手なスタイルは苦手だと、ハッキリ表明したい。そんなことをふと思いました。できないことがあることは、何も恥ずかしいことではありません。むしろそれを自覚し示すことは、自分らしく生きるために不可欠なことだと思うのです。



…自戒です。


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