0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#23】違和感と好奇心。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

このブログを開設して約4年が経過しているのですが、今朝、史上2度目のアドセンス収入がありました。

まあ「はてなブログPro」の契約料やサーバー代でだいぶ赤字なのですが、なんだかブロガー感を味わいましたと。

今年もっかいぐらい、アドセンスで収入もらえるように頑張りたいな〜🙄

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独特な人でありたい。【1月16日(金)】

「独特な人だよね」とよく言われる。僕の性格や言動を解析した、他人からの言葉である。

この“独特”という言葉はじつに便利なものだ。つまり、時と場合によってネガにもポジにも映る。まあ個人的には大抵の場合、どちらの要素も含めて使われるような気がする。とりあえず独特と言っておけば、相手に対してなんとなく壁を張れるのだ。

ただ、時に「純度100%ポジ」な気持ちで、僕を“独特”と評してくれる人もいる。これはもう長年の感覚で、解る。僕に対して不思議がって面白がって、それでいて愛もくれる存在だ。時に煙たがれてしまう自分にとって、これ以上ありがたい存在はない。

宮城で過ごしていたつい最近まで、そんな人に囲まれて過ごしていた。自分が独特であることを肯定してくれる環境だ。彼らの顔を思い浮かべると、ついつい思い出し笑いをしてしまう。あるいは、なんだか熱いものがこみあげてくる。そんな愛に応えるという意味でも、僕はこれからもなるたけ独特な人でありたいと思っている。

「人」という答え。【1月17日(土)】

元日から滞在していた宮城より、昨日ついに帰ってきました。久しぶりに1人っきりで過ごす東京のアパートは、なんだか気温以上に寒く感じます。

帰省中の約2週間で足を運んだのは、仙台、美里、石巻、大崎、陸前高田(岩手)、東松島、栗原、南三陸。あらためて振り返ってみると、我ながらようそんなに廻ったな〜なんて思ったりします。が、学生時代からの友人や、昨年の9月に参加した県主催のイベント「みやぎ移住フェア」で知り合った各自治体の移住・定住担当者など、それぞれのシーンに知り合いがいたから、まったく苦じゃありませんでした。いやいやむしろ、会える楽しみしか携えていなかったと言えます。

とくに、宮城を軸とした「地方での活動」を今まさに考えている僕にとって、各自治体の方々と関係性を深められたことはとても嬉しく思います。一応PCR検査で陰性を確認してから帰省したわけですが、この時期に東京から襲来する小僧をあたたかく迎え入れてくれたことに関して、この場を借りて御礼申し上げますって感じです。本当にありがとうございました。



以前、僕がふと投げかけた「良い地方って何ですかね」という問いに対して「人だよ!」と、酔っ払いながら即答してくれた方がいました(あ、居酒屋でのひとコマです)。また、おととい話したとある地方企業の代表は「まちづくりとは人づくりだ」とおっしゃっていました。

東京に戻りあらためて宮城を外から眺めて、「人」という答えに深く頷く自分がいます。宮城で見つけ、そして結ばれたすてきな“縁”を、もっともっと大切に育てていきたいです。いや、東京にも仲が良い人や面白い人はいます。それは間違いありません。ただやっぱり僕は、地元にいる変態(良い意味で!)な人と、地元のために活動を展開していきたいなと思えています。



僕は今年のテーマのひとつに「東京脱出」を掲げました。今こそ、環境を変える時ではないかと思っています。宮城の皆さん、どうぞこれからもよろしくお願いします。って感じです。

違和感と好奇心。【1月17日(日)】

基本的に僕は学生時代から、コミュニティの「ツッコミ担当」として生きてきた。小学生の頃からそうで、中学でも高校でも大学でもバイト先でも、そして社会人になってから出会った人との間でも、気がつけばそのポジションにいる。コミュニティにおけるボケっぽい人の言動に対して、ちょっと斜に構えておちょくったり何かに喩えたりする。なんか文字にすると嫌なヤツにしか思えないけど(笑)、このポジションにちょっとしたアイデンティティも抱いている。

最近ふと、そんな僕の“芸風”を支えているものは何かと考えた。その正体はおそらく「違和感と好奇心」ではないかと思う。つまり、他人の言動に対する「え、この場面でそうする?笑」という違和感と、「いや、なんでそうするんだよ笑(知りたい!)」という好奇心である。あくまで自分を基準として、違和感と好奇心を持って接すること。これがツッコミなのではないかと気がついたのだ。



ここだけの話「ひょっとしたら自分は、個性を押し付けているだけのエゴイストなのではないか」と悩んだこともあった。ただ今は、ボケとツッコミによって個性を見せ合える関係性があるのだと、わりとポジティブに捉えられている。


ボケの人は、シンプルにその言動で個性を見せる。そしてツッコミは、前述したように自分を基準にすることで、間接的に個性を見せるのだ。だから結果的に、僕にとってツッコミは、ただ個性を押し付けているわけではない(ということにしている笑)。



ってことで僕は、今後もおもにツッコミ担当として生きていたいと思っている。そのポジションでいられる環境を大切にしたい。個性の見せ方に関しては、人によってきっといろいろな感覚や意見があるのだと思う。でも、それでいい。だからコミュニケーションは、面白いのである。

そしてついでに言うと、自分の振る舞いで笑ってくれる人は最高だ。最高でしかない。もう好きである。僕にとっては、この「違和感と好奇心」を理解してくれているんだと、とても心強く心地よい存在に映っているからね。

知り合いの顔が浮かぶSNS。【1月18日(月)】

昨年の10月に「地方での活動」を見据え出してから、Facebookの投稿を始めた。それまではいわゆる“ROM専”ってやつで、アカウントはあれど決して自分から発信はしないような状況。ただ、地方で活動する人たちの多くがFacebookを利用しているため、その流れに乗っかってみることにしたのだ。

Facebookの特徴は、なんと言っても「全アカウントが実名であること」だと思う。TwitterやInstagram、YouTubeやTikTokなど、今や数多くのツールであふれているが、全ての人が実名で存在しているプラットフォームはFacebookだけではないだろうか。そしてたいてい、オフラインで直接お会いしたり、実際に会いはせずとも一対一で連絡をとったり、どんな人かを理解し合った上で“友達”になっていく。つまり、お互いの投稿や「いいね」で、必ず知り合いの顔が浮かんでくるSNSなのだと思う。少なくとも、今の僕はそう感じている。



そしてふと、こんなことを思った。


たとえば、Twitterで匿名のアカウントから1000いいねをもらうよりも、Facebookで実名の友達から10いいねをもらう方が嬉しいかもしれない。あえてざっくり言うなれば、愛や絆をつよく感じるからだ。投稿の内容だけでなく、僕という存在にも「いいね」してくれているような気がするからだ(逆に僕はそういう想いで「いいね」を押してます)。



地方での活動はまだ始まったばかりで、Facebookでの発信も始まったばかり。ただ、SNSでのやり取りも含めて、やっぱり自分には地方が合っているのではないかと思えている。自分を肯定できている。しばらくこの道を、まっすぐ進んで行こうと思う。

団体競技のむずかしさ。【1月19日(火)】

学生時代、僕はずっと野球部に所属していた。言うまでもなくそれは団体競技で、試合に勝とうが負けようが、僕は1人じゃなかった。自分の努力だけではどうしようもないことに気づいてから個人競技に興味が湧いたこともあったが、結局小学校から高校までグローブとバットと共に過ごした。今の僕がフリーランスとして生きているのは、あの時の影響も少なからずあると思う。



そして最近は、再び団体競技をしたいと考え始めている。奇しくも、これまた自分の努力や能力の限界に気づいてしまったからだ。そこで昨年の10月あたりから、そもそもプレーヤーの少ない「地方での活動」に答えを見出したわけである。これまで多くのオンラインイベントや現地ツアーへ参加し、活動の基盤となる人間関係を形成している。



今日はそのうちのひとつ、地元のとなり町の発信活動およびコンテンツ制作のMTGに参加させてもらった。外部の人間として首を突っ込ませてもらっているのは、とてもありがたい。ただ、僕には大した実績も経験もないから、ひとまず壁当て相手として、会話をしながらアイデアをいっしょに練り込んでいる。

新たな活動に、ある程度やりがいや楽しさを感じられてはいる。しかし今は、難しさのほうが割合としてはやや優勢かもしれない。

まず、プロジェクトに対するメンバーそれぞれの理解度がどれくらいかを把握しなければならない。その上で、自分がどの位置にいるかも察する必要がある。そして話が始まったら、何を目的とした会話なのかを瞬時に判断する必要があるのだ。多くの方にとっては、きっと至極あたりまえのことに感じるだろう。しかし、これまで個人競技に逃げてきた僕にとっては、とてもハードに感じられるのである。



とはいえ、ここまで新鮮な経験をさせてもらえる関係や環境には、もう感謝しかない。僕をあたたかく迎え入れてくれる心意気には、涙が出そうになる。ただもちろん、大人として泣いちゃいられない。今は恩返しできるように、しっかりと活動に参加していきたいと思えている。

教える側が教わってる。【1月20日(水)】

来月、「東北でまなぶ学生たちと、地元のコピーを考える」みたいなイベントをすることになった。年始にはフェイス・トゥ・フェイスで、2人のナイスガイと打ち合わせをしてきた。

そして今はその準備の真っ最中なのだが、ふとこんなことも思った。

僕はこれまで、“講師的に”イベントで話したことなんてない。そういえばガッツリ主催として振る舞ったこともないし、誰かにコピーを教えたこともない(まあ「教える」というより「いっしょに楽しむ」みたいな雰囲気にしたいと思ってはいる)。だから、あまりにも発見が多すぎるのだ。もちろん良い意味で、である。



ナイスガイの1人が作ってくれた応募フォームのたたきに「○○についてどう思いますか?」という質問項目があった。先日の打ち合わせでもたしかに話題に上がった、もうイベントの幹となる重要な質問だ。ただ僕は、その応募フォームでのコミュニケーションでも、きっと“個性”や“らしさ”は出せるのではないかと気がついた。

「ちょっと唐突でゴメンだけど、○○についてどう思う?」とか「○○についてどう思う?もし文章にするのが難しそうなら、イメージできる単語だけでもいいよ!」とか。いずれもあくまで例だが、学生たちへ「〇〇の印象を尋ねる」という目的を果たしつつ、僕の雰囲気やキャラクターも伝えられると思ったのだ。そしてこのようなディテールへのこだわりが、より良いコミュニケーションの設計を助け、ひいてはイベントの成功にも繋がるような気もした。



これから教える立場になるなずなのに、僕がもうすでに教わっている。今はちゃんと緊張感もあるし、程よく楽しい気分だ。そして、こんな僕を登壇させてくれるナイスガイたちへの感謝は、常に心に携えている。本番までしっかり準備して、なんとか期待に応えたいと思う。

「やらないこと」を決めること。【1月21日(木)】

「器用貧乏」という言葉があるが、何にでも取り組むことは、決して良いことばかりではない。僕もこれまでの人生を通じて、実感できている。今日はちょっとビジネスっぽい話なのかもしれない。

今の自分をテキストの専門家だとして。たとえば今なら、オシャレな動画を撮れるようになりたい。画像のデザインもできるようになりたい。Webサイトの制作や運営もできたら、より多くの人の力になれるだろう。いやいやテキストの分野だって、SEOライティングができたら、きっと仕事の幅が広がるはずだ。

な〜んて、無責任にさまざまな妄想を凝らす。ちょろっとWebや書籍を覗いて、ちょこっと知った気になる。しかし(まあ僕の熱量や作業量にも問題があるのだが)それだけではなかなか、人さまに「価値」を届けるレベルにはならない。結果として時間を費やすだけとなり、自分の精神的には満たされるのかもしれないが、経済的には“貧乏”となってしまう。



だから「やらないこと」を決めることが重要なのだ。全部自分でやろうとしないこと。動画なら動画、デザインならデザインの、それぞれの専門家に発注すること。そして自分が「価値」として提供できるもののレベルを、しっかりと担保すること。身の程を弁えることが、大きく言えば人生を豊かにすることに繋がるような気がしている。

野球はグラウンドを9人で守る。ピッチャーがいてキャッチャーがいて、内野がいて外野がいる。あの広いグラウンドを、1人で守るのはムリだ。いやそれ以前に、そもそも人数がいなければ試合が成り立たない。自分のポジションをきっちりと守りながら、まずは仲間を増やすことが大切なような気がする。ビジネスにおいても、そういえばビジネスじゃなくてもね。



とか言いながらでもさ、何でもできる人には憧れちゃうよね〜。木村拓也とか、そりゃ重宝されるよなあ。


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