0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#52】不調は継続あってこそ。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

最近なんだか、noteの更新がちょっとしんどくなってまいりました。

でもまあ、なんやかんやで継続はしていくのだと思います。

いのちある限り。あるいは、寝落ちしない限りね。

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包容力の正体。【9月3日(金)】

学生時代に好きだったあのコは、好きなタイプを問われると「包容力のある人」と、決まってそう答えていた。そうか、包容力か。なんて涼しい顔を作りながらも、イマイチその正体を掴みきれずにいた。もちろん寛大な人というイメージはありつつも、具体性はとことん乏しかった。

あれから何年経っているかは定かでないが、僕はようやく、その正体を掴みつつあるのかもしれない。

今朝のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で、ヒロインと惹かれ合う男が「あなたの痛みは僕に分かりません、でも分かりたいと思ってます」というセリフを放った。これまでその恋愛模様にじれったさを感じていた視聴者は、ついに重なったふたつの想いを祝福。今朝のTwitterではトレンド入りを果たし、数多くの芸能メディアがストーリーを取り上げている。

ただ、僕にとって特に重要だったのは、その男のセリフだ。相手としっかり真正面から向き合うこと。そして相手のどんな側面も理解し、受け止めること。あるいは、受け止めようと努力すること。その行動および姿勢を、人は「包容力」と呼ぶのだろう。そうか、ようやく分かったぞ。

するとなんだか、学生時代からそんな存在を求めていた“あのコ”に驚く自分もいるのだが、まあそれはさておき。今の自分なら、どうだろう。あるだろうか、包容力。こうして問いかけられている時点で、ゼロではないと信じたい。僕も歳を重ねるにつれて、誰かを受け止められるような気がしている。

5万円の小銭。【9月4日(土)】

クラウドソーシングサービス「ランサーズ」では、ライティングやデザイン、動画編集やコンサルティングなど、今日もさまざまな仕事が募集中だ。僕もちょこちょこ利用しており、良さげな取材やキャッチコピーの案件に応募してみたりもする。しなかったりもする。

制作会社に勤めていたときも、僕はよくランサーズをチェックしていた。ある日、そんな僕に対してコピーライターの師匠が「まあ別に本業が疎かにならなかったらいいけど、そんな小銭稼ぎに固執しすぎるなよ」と言った。ランサーズでのコンペ形式のキャッチコピーの相場は、個人的な体感だと1本3〜4万円程度。ちょうどそのとき、僕は5万円の案件を眺めていて、それを“小銭”だという師匠の金銭感覚におののいていた。

しかし、今になってなんとなく、その感覚が分かってきたような気がする。すなわち、“小銭でないもの”が見えてきたのである。

師匠はきっと、ネット上の1回きりのビジネスに、価値を感じていなかったのだと思う。顔も不明かつ名前も偽名の世界で、そして採用が不確かなコンペ形式で、わざわざ身を削る僕が気になっていたのだろう。

僕は最近、宮城の人との仕事が増えてきて、人間関係から生まれるビジネスに価値を感じている。顔と名前は当然のこと、趣味や性格までも分かりあった人とは、あえて言えば未来が見込める。何より、「今」が豊かだ。地方の彼らのためなら、無償でも働きたいとすら思える。

だから、ネット上での5万円の案件を小銭と感じる気持ちが、なんとなく分かる。あまり価値を感じない。そこに固執しなくても、自分を必要としてくれる環境はあるから。あの日の師匠は、おそらくそんな意味を込めて、僕に声をかけたのではないかと思っている。

自分の“話し”が怖いからこそ。【9月5日(日)】

オードリーの若林さんが、次回の『星野源のオールナイトニッポン』にゲストとして出演するらしい。同番組は普段チェックしていないけれども、3冊のエッセイを所持しnoteも購読するほど若林ファンの僕は、今度ちゃっかり聴いてやろうかと思っている。

彼はそのゲスト出演に関して、「最近テレビの仕事では誰かの話を聞いてばかりで、俺の話なんて聞いて面白いのかな?」「俺は全然、誰かの話を聞くことは好きなんだけどね」みたいなことを言っていた。『オードリーのオールナイトニッポン』で。

恐れ多くも、その言葉に深く共感できた。



僕は高校時代に勉強で挫折した経験(今度詳しく書きます)から「自分と他人は絶対的に違うこと」を強く認識し、それ以降、誰かの話を聞くのが好きになった。誰だって必ず自分にしかないもの(というか僕にないもの)はあるから、その経験や価値観を聞いていることがとても楽しい。最近とある人から「じゃあライターは天職ですね」と言われたが、確かにそうかもしれない。いちいち感動してしまう。

だから最近は、誰かと遊んでいるときに聞き役となっていることが少なくない。「なるほど」「えー」「ほうほう」と、専らバラエティ番組で学んだ相槌を打ちながら、相手が楽しそうに話す姿を見るのが、僕は楽しかったりしている。

しかし一方で、自分のことを話すことには抵抗がある。他人のそれと同じように、自分にしかないオリジナリティを感じて話せばいいのでは、と思うけれども、なぜかそういうわけにはいかない。こんなつまらない話で、相手の時間を奪ってしまっているのではないか、とも考えてしまう。



なんてことを感じていたら、だからこそ僕は、このnoteで思いの丈を書いているのかもしれないなあと気がついた。面と向かって誰かに話すのが怖いから、文字を通して、また不特定多数の人に対して、自分の気持ちを書いているのかもしれない。そうか、ここまで書き続けられている要因のひとつは、ここにあったのか。

そう考えると、自分の“話し”に自信がないことは、そこまでわるいことではないような気もしてくる。むしろこの理論に対して、自信が湧いてきてしまいそうだ。今日で611日連続の更新となったが、この数字はいわばネガティブな気持ちが作り上げてくれたもののようだ。

地方で発信力を。【9月6日(月)】

今日も地方に関するオンラインイベントに参加してきた。宮城県の沿岸部・南三陸町と関連づけて「地域とキャリア」を考える内容。大学生や僕より若い社会人の方も多く参加されていた。

今回は南三陸で活動する3名の方がゲストスピーカーとして登壇されたのだが、僕が最も気になったのは、関東からUターンして水産業を営んでいる30代の方だった。海藻の陸上養殖に目をつけた彼は、海藻を食べる日本の食文化を世界にまで広げようという野望を持っていた。僕自身も今まさに関東からのUターンを考えているし、自らの事業を活き活きと話す姿は素敵に思えた。

ただ、参加者から現在感じている課題を問われたときのこと。彼はまっさきに「人ですね」と答えた。シンプルに、人手が足りないのだという。そして僕はここに、自分自身の未来を見たような気がする。

つまり、発信力だ。自分の「書く」や「伝える」にまつわるスキルで地方に人を集められれば、喜んでくれる人がいる。彼は「共感や魅力を発信するのが苦手でね…」なんてことも言っていた。正直、僕は漁業の現場で働く気にはなれないけれど、こういった分野なら前のめりで取り組めるような気がする。そしてどうやら彼とは、共通の知人がいたようだ。上手くリアルに落とし込めそうな気がして、ひとりで勝手にワクワクしている。

これだから、オンラインイベントに顔を出すことは面白い。今後も自分や地方の可能性を探るべく、さまざまな人や環境に出会っていきたいと思っている。

東北を応援しあう。【9月7日(火)】

ファミリーマートなどが参画し、東北を舞台に行動を起こす若者が集うコミュニティ「応援しあう東北」。さっきまで、そのキックオフイベントに参加してきた。応募にはあらかじめ30歳未満という人間制限が設けられており、29歳の僕は、そのボーダーラインに立たされていた。

52名もの参加者が集まった今日のイベントには、僕にとっては当然、歳下の人が多かった。大学生の方も多く見られ、その情報感度と行動力の高さに尊敬し、アルバイトにしか興味がなかった大学時代の自分をこっそり省みる。みんなとてつもなくしっかりしており、自分が29歳として参加していることに気後れもした。

でも、である。

もうそんなことを思っていても仕方ない。むしろ、より若い人と時間と空間を共有できることに喜びを感じたい。僕が平成4年生まれであることは、もうどうしようもないのだから。社会人として、時に胸を張って、時に背中を丸めて、コミュニティの彼らと活き活きとした時間を送っていきたい。

そして何より、自分が掲げるプロジェクトをしっかり見据えて、行動を起こしていく所存だ。いわばエゴイスティックに、でももちろん他のメンバーには思いやりを持ちながら、これからしっかり時間と労力を費やしていきたいと思う。

名前という覚悟。【9月8日(水)】

フリーランスのライターとして活動している方が、SNSのアカウントを改名された。その方はこれまでおもに「生き方」や「働き方」を発信されていたが、自身の夢である創作活動で生きるため、名前を変えたのだという。

その方をフォローし続けている僕は、改名という決断に納得できた。とても共感できた。

地方での人脈や活動を広げている僕は、率直に言うと最近、Twitterとnoteのアカウントを本名にしようかと考えている。地方はFacebookが主流だし、面と向かって名刺を交換する機会もある。そんな実名文化に対応しさらに活動を広げるべく、冒頭の方のように名前を改めようかと考えているのである。

そして、偽名も含めたアカウント名は、覚悟を表すものでもあると思う。冒頭の方の話ばかりになってしまうが、創作活動で生きる覚悟を決めたからこそ、改名されたのだろう。だから僕も本名にすることで、地方への覚悟を示したいと考えている。

いろんなこと踏み台にしてきたけど
失くしちゃいけないものが
やっと見つかった気がする

Mr.Childrenの『名もなき詩』2番にあるこの歌詞が、やたら沁みる今日この頃である。

不調は継続あってこそ。【9月9日(木)】

最近、めちゃくちゃ不調である。何を隠そう、このnoteの更新についてだ。

毎日23:59までに何とか更新できているものの、書いている内容や構成がパッとしない。僕自身も、書きながらあまり楽しさを感じない。過信上等でここに記すが、以前の僕ならもっと面白い記事を面白く書いていたと思う。もしプロ野球の世界ならば、もう2軍落ちは決定的で、3軍にも足を踏み入れているのかもしれない。

それでも一応、600日連続で更新継続できているようだ。かたちはどうあれ、ちっぽけな意地が途切れることを許さない。ただ、どうしても数字だけが一丁前に思えてきた。こんないい加減な更新を続けていて、果たして意味があるのだろうか。もういっそ、止めにすべきではないだろうか。最近は、そんなことを割と本気で考えている。

そんなことを書きながら、でも本当は分かっている。けっきょく僕は、いのちある限り、あるいは寝落ちしない限り、このnoteの編集画面と向き合っていく。書くことが好きだから、また自分を変えてくれると信じているから、きっといつまでも性懲りもなく公開ボタンを押すのである。

そして、いつかきっと“1軍”に返り咲けると信じる自分もいる。不調を感じているのはここまで継続しているからこそであり、きっと他の人は感じられない感覚だ。これはもう、今この瞬間でも誇りに思っていいのかもしれない。継続できているからこその不調を胸に、僕はこれからも文字を紡いでいこうと思っている。


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