0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#51】600日連続でnoteを更新して。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

9月に入りまして、東京はもうすっかり肌寒くなりました。

個人的には、先週noteの更新が600日を突破し、いったいいつまで書き続けるのだろうと怖くなったりもしています。

でもまあなんやかんやで、いのちある限り書いていくつもりです。あとは、寝落ちしない限り。。

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伝えるってことは。【8月27日(金)】

ありがたいことに、「書く」や「伝える」についてのご相談を受けます。場合によっては、お金をいただくこともあります。言葉を愛する者として、本当にありがたい限りです。

ただ、コピーライターあるいはライターを過信する方も少なくありません。例えば「AとBとCとDの4つの情報をいっぺんに伝えたいんだ、イイ感じでよろしく!」というようなご相談。たしかに、その気持ちは分かります。ましてやお金を払っていれば、それなりの成果物を期待することでしょう。逆の立場なら、きっと僕もそう思います。

しかし、もちろん全力は尽くしますが、僕は基本的に「AからD」の4つをいっぺんに伝えようとは思いません。優先順位を設けて、強弱をつけて、順序に沿って。あるいは、内容を削ぎ落として。情報の受け手を考えたコミュニケーションをしたいと思っています。

伝えるってことは、伝えないってことだとも感じています。Aを伝えるために、BとCとDをカットする。時にはそんな決断も必要です。伝えるために、伝えないことを決めるのです。まあ、これは自分の実力不足が招く事態なのかもしれませんが、今の僕はそう思います。

お金を払ってくださる方の気持ちに、できる限り寄り添いたいです。でも、より良いコミュニケーションをつくりご依頼を叶えるためには、そのすべてを伝えられないことがほとんどです。それをしっかり理解してもらうために、まずは僕が、ご相談者さんとのそれこそ良いコミュニケーションを実践していたいと思います。

600日連続でnoteを更新して。【8月28日(土)】

つい最近、noteの連続更新が600日を経過しました。「書く」は、もうすっかり生活の一部になってくれていて、数字が増えることに対する大きな興奮はありません。きょうも無事に数字を途絶えさせなかったなあと、緊張と安堵を繰り返す日々です。

ここまで毎日書き続けてはいますが、実感として思っていたより文章は上手くなっていません。むしろ、“凡打”が増えたような印象。もっとすんなり良い文章を書く自分を想像していたんだけどなあ。まあもちろん、「僕の600日」の話ではあるんですけどね。

とはいえ、繰り返しになりますが、すっかり「書く」を生活にできたことは良かったと思っています。「書く」とは「思う(想う)」あるいは「考える」であるからです。noteのおかげで、普段の生活にそれらが増えました。自然と“ネタ”を考える自分がいるんですよね。きっと必ずしも生きるために必要なわけではありませんが、そんな側面も含めて、人生に根付いた「思う(想う)」や「考える」を気に入っています。

ひとまず、この連続更新が途切れるまで、noteには文字を紡いでおくつもりです。寝落ちだけはしないように、毎日それなりの緊張感を持って生きていようと思います。

仕事の生まれかた。【8月29日(日)】

地方の世界に首を突っ込みだしてから、「仕事の生まれかた」を気にするようになった。「仕事の頼まれかた」と言い換えてもいいのかもしれない。つまりそれは、例えば「何をやるか」や「幾らもらうか」ではなく、「誰とやるか」に分類される話だと思う。

これまでの僕は、フリーランスが仕事を受けるには、大きく分けてふたつのパターンがあると思っていた。ひとつは、会社員時代からの仕事を継続すること。そしてもうひとつは、プロとして圧倒的な実績や存在感を放つこと。ただ、いずれにも乏しかった僕は、クラウドソーシングを軸にコツコツと案件を受注し、なんとかここまで生き延びている。

しかし、昨年の9月頃から地方の世界へ足を踏み入れてみると、新たなパターンが見つかった。それは、良好な人間関係を築き上げることである。仕事は関係なく、まずは人と人として“おともだち”になることだ。

地方でのライティングを飛び越えて「まちづくり」に興味を持ってしまった僕は、これまで月イチペースで宮城県の各地域へ遊びに行き、知り合いを増やしまくっている。すると、最近「そういえばライティングしてほしいんだけど、よかったらやらない?」と、声をかけていただく機会が増えた。また企画・制作した新聞広告を、地方紙に掲載してもらえた。まず“おともだち”になったことが、結果として仕事を生み出してくれたのだ。

僕が愛すべき仕事の生まれかたは、これだと思った。最初から人間関係が良いから、とても働きやすい。そして、互いの関係性もより深まっていく。これから地方で生きていく上で、より一層、でも密かに、気にしていたいと思う。

むずかしさとおもしろさ。【8月30日(月)】

日ごろ「書く」に携わる身として、「伝える」というコミュニケーションのむずかしさを感じている。いや、普段の言い訳をしたいわけではないのだけれど、ほんとうにむずかしい。でも、だからこそおもしろさも感じられているのだろうとも思う。

コピーライター養成講座に通っていたころ、「What to say」と「How to say」という概念を教わった。すなわち「何を、どう」表現するか。アイデアを考える時の基本として、だいぶ序盤に叩き込まれたと記憶している。

ただ、今は「誰が」「どこで」「どのタイミングで」表現するかなども重要だなと実感している。テキストやデザインはさておき、まずは人と人のコミュニケーションとして、考えをめぐらせる重要性を感じているのだ。むあ、決して今に始まったことではなく、至極当たり前のことなのかもしれないが。

そしてこれはむずかしさであり、おもしろさでもある。これからより一層、僕は「書く」を超えて「伝える」というコミュニケーションの部分を、感じてそして考えていきたいと思っている。


エッセイウォーク、してみたい。【8月31日(火)】

この世には「フォトウォーク」なるものがあるらしい。カメラを持ちながら街を歩き、その風景を写真に収めていく。個人的には複数人で行うことが基本だと認識している。ぼくは経験したことないのだけれど、個々人のセンスやそれぞれの違いを感じられてとても面白そうだ。

ということでぼくは、そんなフォトウォークならぬ「エッセイウォーク」をしてみたいな、なんて考えている。ちょっと語呂がわるいのが気になるが、写真ではなくて文章を書こうという魂胆だ。複数人で何気なく街での時間を過ごして、みんなでカフェに入ってそれぞれの視点でエッセイを書くイメージ。そして出来あがった文章を読み合って、「あ、あの場面を切り取るとはね〜」とか「うわ、そこ見てたのか」とか。その文体や構成を含めて、多くの発見がありそうだ。

Googleで検索してみたら、意外にも「エッセイウォーク」は未だ商標登録はされていないようだ。第一人者になるチャンスなのかもしれない。我こそはという方、今度ぜひいっしょに街を歩きましょう。エッセイを書きましょう。

ひねり出して書くこと。【9月1日(水)】

毎日noteを書いていれば、そりゃ書くネタに困る日も出てくる。当然いつだって1日は24時間なんだけれども、毎日懲りずに起きて食べて寝てはいるんだけれども、書きたいことが常にあるわけではない。それでも日々の更新は継続したいから、なんとか“ひねり出して”記事を書いている。今、まさに。

最近、このひねり出しは、果たしてプラスになるのかと考えている。あえて言えば、悩んでいる。無理やりにでもカタチにすることは、自分のためになるのだろうか。そして、そんな歪な文章を読んでくれる人は、何かを感じられているのだろうか。

1番の理想は、毎晩noteの編集画面を開いたら、すぐに書き始められることだ。ネタが溢れ出てきて止まらないような感覚。僕もこれまで一応600日連続で更新してきて、そんな時期もあったような気がする。とても短いスパンだったけれども。

それでもまあ、ひとまず更新は続けていようと思う。文章をひねり出すことが合理的なのかそうでないのかなんて、きっとすぐには分からない。そんなことを考えている暇があるなら、それこそ手を動かして文字を紡いでいたいと思う。今の目標は、毎日すらすらとnoteを書き始めることとしよう。



環境とポジションと。【9月2日(木)】

中学生の頃、友だちとサッカーゲーム『ウイニングイレブン』にハマってから、ヨーロッパを中心にプロサッカーを見続けている。あれは2006年ドイツW杯の時だから、気がつけば約15年が経ったようだ。今年はメッシがバルセロナを去り、C・ロナウドがマンチェスター・Uへ帰還。長く追っているからこそ感じられる、たまらないドラマがあった。



サッカーには、クラブチームと代表チームという概念がある。つまり、普段の所属元としてプレーする場所と、自分が生まれ育った国を背負って戦う場所。きょうは日本代表の試合があったが、彼らはそれぞれ違ったクラブチームから集まり、代表チームを形成している。

同じ選手でも、クラブと代表で求められる役割は異なる。例えば、いつもならDFとしてプレーしている選手が、国際試合ではMFとしてプレーしていたり。いわゆる「司令塔」と評されるようなクラブなら不可欠な選手が、国を背負えばベンチを温めていたり。個人的にはアーセナル時代のスペイン代表MFセスク・ファブレガスを典型例に据えているが、同じ時代の同じ選手でも、環境によって立場が変わってくるのだ。



なんてことは、たとえサッカー選手じゃなくてもよくあることだなあと感じている。たとえば、僕は今コピーライターとして生きているが、ある環境ではプランナーのような立場になり、あるいは営業的なことも求められる場所だってある。また、微妙な違いにはなるが、ライターとして働いていることも少なくない。

環境が変われば、自分の“ポジション”も目まぐるしく変化していく。僕はこれを、ポジティブに捉えて生きていたい。自分のポジションにこだわりを持つことは大事だと思うが、それは固執とも紙一重だ。むしろ求められることの変化も楽しみつつ、成長なんて言葉にも頼りながら、さまざまな環境に適応していたいと思う。

包容力の正体。【9月3日(金)】

学生時代に好きだったあのコは、好きなタイプを問われると「包容力のある人」と、決まってそう答えていた。そうか、包容力か。なんて涼しい顔を作りながらも、イマイチその正体を掴みきれずにいた。もちろん寛大な人というイメージはありつつも、具体性はとことん乏しかった。

あれから何年経っているかは定かでないが、僕はようやく、その正体を掴みつつあるのかもしれない。

今朝のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で、ヒロインと惹かれ合う男が「あなたの痛みは僕に分かりません、でも分かりたいと思ってます」というセリフを放った。これまでその恋愛模様にじれったさを感じていた視聴者は、ついに重なったふたつの想いを祝福。今朝のTwitterではトレンド入りを果たし、数多くの芸能メディアがストーリーを取り上げている。

ただ、僕にとって特に重要だったのは、その男のセリフだ。相手としっかり真正面から向き合うこと。そして相手のどんな側面も理解し、受け止めること。あるいは、受け止めようと努力すること。その行動および姿勢を、人は「包容力」と呼ぶのだろう。そうか、ようやく分かったぞ。

するとなんだか、学生時代からそんな存在を求めていた“あのコ”に驚く自分もいるのだが、まあそれはさておき。今の自分なら、どうだろう。あるだろうか、包容力。こうして問いかけられている時点で、ゼロではないと信じたい。僕も歳を重ねるにつれて、誰かを受け止められるような気がしている。



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