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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#62】きたない自宅に、誰かを呼びたい。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

気付けば週末ということで、週刊エッセイのお時間でございます。

noteの連続更新は、740日を超えました。我ながらいったいどこまで続くのでしょうか。。

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結婚観と焦燥感。【1月7日(金)】

元日の帰省から、東京のアパートに戻ってきた。行きと比べてお米とビールで重みを増したスーツケースを開き、荷物をそれぞれ所定の位置へ。衣類を回す洗濯機の音が、僕をいつもの日常へと連れ戻してくれる。

今回の帰省では、同年代の従姉妹や友人との会話が印象的だった。社会人としてのキャリアを積み20代とのお別れも近づいている僕たちの世代では、みんな結婚や出産という人生の節目を迎えようとしていたからだ。もちろん、すでに親として仕事と子育てに励む友人もいて、年々その集いの人数は減ってきている。

「へぇー」「そっかそっか」などと相槌を打った僕にとっては、おそらくもっともっと先の話である。今は他人はおろか、自分さえも上手に愛せていない。未だ飼い慣らせていない。誰かと共に生きていくには、時期尚早な自覚がすごいのである。

それこそ周りの友人たちが家族を築いていくなかで、焦りが全くないといったら嘘になる。ただ、少しでもそんな迷いが生じようもんなら「焦ったとてしょうがない」「誰かと比較するもんじゃない」と、もっともらしい自分が即座に手のひらを返す。まあ、そんなに間違ってはいないとも思いたい。というか、そう信じるしかない。

そういった意味で、東京の端っこでの一人暮らしは性に合っているのかもしれない。まずは今年、しっかり自分を飼い慣らせるよう、あるいはいい加減生き方を定められるよう、歩みを進めていきたいと思っている。

地元での協力隊、それ以外での協力隊。【1月8日(土)】

おととい、美里町のまちづくり推進課で職員さんたちと話をしてからというもの。来年度に向けて絶賛募集中の地域おこし協力隊という選択肢が、常にアタマの真ん中のほうにある。ただ、この2日で急激に熱を帯びている自覚があり、衝動的な決断にならぬようブレーキをかける自分もいる。まあ、時にそんな“勢い”も必要だとは思うのだけれど。

自分の社会性のなさや3年間という制約じみた世界を嫌っていたことを理由にして、これまで頑なに協力隊は拒んでいたはずだった。東松島市や栗原市、気仙沼市など多くの知り合いができた地域からは、協力隊へのちょっとしたお誘いも受けてきた。東松島に至っては、説明会や現地ツアーにも参加させてもらっていた。それでも正直あまり興味が湧かなかった協力隊に、今は興味津々である。なぜだろう。



今のところ、その理由は大きく分けて2つあると思っている。ひとつは、美里町の協力隊が、今の自分にピッタリな役割なのではないかと思えていること。たとえばこれまでお声がけいただいた他の地域の協力隊では、自分が務める特別な理由を想像できなかった。まあ当たり前のことなんだけれども、僕以外でもいいのではないかと。しかし、美里町の協力隊は、地元出身者として自分が適任なのではないか、とまで感じられている。おそらく今後、より大々的なPRは見込めなさそうだし(笑)、自分が手を挙げるしかないと思ってしまうのだ。

そしてもうひとつは、美里町の協力隊になることが自分の理想の未来に繋がると思えること。僕はもともと、協力隊になろうがなるまいが、近い将来に美里町で新たな事業活動を始めたいと考えていた。そういった意味で、まず協力隊として地域に入り込むことは決してわるくない選択肢だろう。これまでお世話になってきた他地域の方とも、今後はヨコの繋がりとして、宮城全体を盛り上げられるかもしれない。そんな妄想も広がり、協力隊という選択肢が急浮上してきているわけである。



まあ、あくまで“今日の認識”だ。明日になったら何を思うか、それはまた別の話。ただ、分かったのは「美里町で地域おこし協力隊をやる」ことが、自分にとって特別であるということだ。他の地域の協力隊と、決してイコールではない。そんな想いを携えながら、明日はまた宮城沿岸部の方々と顔を合わせてこよう。有楽町で行われる『東北U・Iターン大相談会』へ足を運ぶのである。

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気づけば僕は、相談という概念を受け入れていた。【1月9日(日)】

むかしから相談という概念が苦手だった。どんな悩みをどんな人に打ち明けようと、「結局自分が考えて行動するだけだよな」という答えに帰結してしまうと思っていたからだ。わざわざ相談を持ちかける人は、もうすでに自分の中で答えが決まっているようにも見えた。そんな煩わしさから、あまり誰かを頼ろうとせずここまで生きてきた。

しかし、最近になってようやく、その誰かの存在を受け入れられるようになってきている。むしろ、自分が進もうとする道の先にいる先駆者の声ほどありがたいものはない。転ばぬ先の杖を、いったい何本こしらえることができるだろう。



有楽町で行われた『東北U・Iターン大相談会』に参加してきた。新型コロナウイルスの影響で出展を取りやめる自治体も少なくなかったが、我が地元の宮城県では、石巻市や気仙沼市などここ1年で知り合った顔なじみの皆さんがブースにいた。そして「よっ。最近どう?」なんて、まるで古くからの友人のように会話が始まると、僕はきのうのnoteに記したような、率直なUターンへの思いを話していた。

すると、まさに関東から宮城へUターンして活躍されている“先輩方”は、「俺も大村くんみたいな気持ちの時あったわ」「協力隊はめちゃくちゃ良いと思う」と共感してくれた。また、町が掲載しはじめた地域おこし協力隊の募集要項を見て、「ここはアヤフヤでよく分かんないから確認した方がいいと思う」「一期生はめっちゃくちゃ大変だと思うよ、行くなら相当覚悟しときな」とアドバイスをくれた。そう、気づいたら僕は、まさしく相談していたのだ。

もちろん上記以外の会話もあり、その言葉たちは“後輩”としてどれもありがたいものだった。何より「それ分かる」と共感されるだけで、どれだけ心が救われるか。そんな優しさも感じながら、僕は自分の将来をより具体的に考えることができた。



気づいたら僕は、「また相談させてください!」なんてことも言っていたと思う。すっかり相談の虜になってしまったのだろうか。我ながら鮮やかな手のひら返しである。ただ、これから地方で生きていくならば、誰かを巻き込んでいくことは常に心がけていきたいことである。それに、せっかく宮城には、とても心強い先輩方がいるのだから。

景色というアート。【1月10日(月)】

地域や移住に関するイベントへ参加すると、都会で暮らす人をターゲットとしたアピールポイントのひとつに、自然がしばしば取り上げられる。「ウチにはこんなに美しい景色がありますよ」「空気も星もきれいですよ」と。しかし正直、僕はこれまでそのアピールに感動したことがなかった。自分が田舎出身なこともあってか「まあ、そんな場所もあるよね」ぐらいのテンション。別に斜に構えているつもりはなく、ただただスペシャルを感じられずにいた。

なんていう思いを、年始に再会した高校時代の友人に話してみたら、興味深い言葉が返ってきた。彼は「いわばアートみたいなもんでしょ」と言ったのだ。感じ方は人それぞれであり、つまりまったく理解できない人もいて当然だと。個人的に今までにない捉え方だったし、心のなかにとても良い“置きどころ”を定められた。そうか、これからは、景色をアートとして捉えよう。

それと同時に、僕はいわばクリエイティブとして景色と接していたことが分かった。移住促進という課題のための解決策のひとつとして、そのパンチに物足りなさを覚えていたのだろう。でも、もうそう捉えるのはやめにしよう。僕にとっては、自治体側がクリエイティブのテンションで提示しているように思えた時もあったが、そうだとしても今後はアートと捉え続けようと思う。

SNSを見れば、地方の景色のすばらしさを熱心に発信されている方もいる。今回の文脈で語るならば、彼らはアーティストだ。五感で風景を感じ、かたちに残す芸術家。これから僕は、そんな彼らのアートを少しでも楽しめるように努めたい。決して冷めたり斜に構えたりすることなく、価値観を広げることにトライしていこう。

「あなたにとって素敵な1年になりますように!」と言える人。【1月11日(火)】

それは誕生日や新年を迎えたときに、思いがけずかけてもらえる言葉だ。単純にその意味は、受け手として嬉しく感じられるだろう。自分にとって「素敵な1年になる」ことは、誰より自分自身が望んでいるはずなのだから。それが他人さえも気にかけてくれているということであれば、あえて大げさに言うなれば、なんてすばらしい人生なのだろう。

ただ、一方で送り手の視点となったとき、快くその言葉を発せられない自分もいる。もちろん、誰かが素敵な1年を送るのは良いことだと思う。しかし、それをわざわざ僕が願う必要があるのか、なんて思ってしまうのだ。
先述の通り素敵な1年を誰より望んでいるのはその本人であり、「僕が言わなくてもそうするだろう」と考えてしまう。あるいは、他人に対する興味がそこまでないのかもしれない。誰かが素敵な1年を送ろうが素敵じゃない1年を送ろうが、極端に言えば自分には関係ないと。こっちはこっちの人生を送るんでと、我ながら愛が欠落した一面が垣間見える。



そんなこんなで、他人の素敵な1年を願える人をうらやましく思う。今の自分にとっては、決して簡単ではないこと。もしかしたら社交辞令で言っているのか、なんていう考えも一瞬頭をよぎったが、少なくとも僕の周りでは、“ガチ”で声をかけるハートフルな人が多い印象だ。今日もSNSで、素敵な1年を願っている人を見かけた。そういえばお正月のあいさつでも、そんなメッセージを受け取ったような気がする。

皮肉でもなんでもなく、本当にすばらしいことだと思う。僕にはできないものだからすごいなあと、もはやあこがれのような感覚に近い。今後もその愛を持ち続けて、この世界を包み込んでほしい。そしていつか自分にも、屈託のない愛を配る日が来ることを、ほんの少しだけ期待しているのである。

きたない自宅に、誰かを呼びたい。【1月12日(水)】

今度、知り合いがうちまで飲みに来るとか言っている。うちとは、アパートのことだ。僕の自宅。東京23区の果て足立区に住んでいる僕の家には、よっぽどの事情がない限り誰も遊びに来ない。いや、まあ僕の性格や友人との関係性にもよるのか。すまん足立区、つい口走った。

基本的に僕の家は、モノが良い塩梅で散らかっていて、決してきれいとは言い難い。オブラートに包めば「生活感がある」ってやつで、そいつを剥がすと「きたない」となるだろう。一応年末に、“大掃除”とまではいかない規模感で掃除はした。とはいえ、いま部屋を見渡せばテーブルにはモノが置いてあり、洗濯物も干しっぱなしである。

ここらで僕は、その知り合いが来るまでに、まあなんとかきれいと呼べるぐらいにまでしておかなきゃなあと考えている。しかし、ふと思った。この考え方ダサくないか、と。

自分の部屋なんて、ほぼ100パーセント自分が権力者だ。というか、この権力をかざされるものも、一人暮らしの場合は存在しない。そこに、誰かが来ると言っている。いわば僕の世界に、誰かが来る。だったら権力者らしく、いつも通りの、ありのままの部屋の姿を見せたらどうなんだ。そんなことが頭をよぎった。というか、今なおフワフワと浮かんでいる。

ただ、結局僕はいわゆるロックとはかけ離れた、普通のスケールの人間だ。きっと知り合いが来るまで、それなりに部屋をきれいにしてしまうのだろう。「え、ウソ、きたない?ごめんね笑」ぐらい言える人間になりたかった。きたない部屋に、誰かを呼べる人間でありたかった。

自分を知らしめる2022年。【1月13日(木)】

2022年に入ってから、ここのnoteの記事をInstagramおよびFacebookのストーリーで共有してみることにした。あ、そうだ、Twitterでのツイートも再開した。ここまで約1週間ではあるが、ダッシュボードを見ると明らかに、記事のプレビュー数が上がっている。とてもありがたい限りである。

インスタから記事を読んだという知り合いは「普段わざわざnoteを開くことがないから、リンク貼ってもらえると読みやすくていいね」と言ってもらえた。そうか、普段noteのアプリは見ないのか。僕は普段見るタイプの人間だから、すっかり気づかなかった。自分の常識は、他人の非常識。逆もまた然り、である。

昨日までで740日ほど連続で更新しているこのnote。昨年までは「誰も自分のことなんて興味ないだろ」「別に見てほしくて書いているわけじゃない」と、自分でも遠慮しているのかなんだか分からないが、あまり記事を広報することはなかった。
しかし今年は心機一転、自意識的にはウザいんじゃないかと思えるぐらいのテンションで、ここまで自分を知らしめることに勤しんでいる。そのハッキリとした理由は、自分でもよく分からない。ただ、この間の東北のイベントでは「Twitterから読んだよ」「あの考え分かるわ〜」と、宮城の方から対面でも反響をいただけた。やっぱり自分の文章を読まれることは、少し恥ずかしくもとても嬉しく感じられる。

とりあえず今後も継続して、他のSNSでこのnoteを、そして自分の存在を知らしめていこう。そして少し恥ずかしがりながら、自分が実現したいことも書いていこう。「記事を読んでもらう」ということに、今年はもっと向き合っていこう。


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