0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#6】東北に拠点を作りたい。です。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

毎週金曜日にお送りしている「週刊エッセイ」。もう週末とは。時の流れは早いですね。

ゆるゆると読んでもらえたら嬉しいです。

嫌われない勇気。【9月4日(金)】

最近、オードリー若林さんと日テレ水卜アナのトークショーの模様をよく見る。

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昔から優等生として生きてきた水卜アナは、ずっと「嫌われる勇気」がないのだという。その想いは、アナウンサーになってより一層つよくなったのだとも言っていた。彼女のイメージ的に、なんとなく理解はできる。



僕は、高校時代に経験した挫折をきっかけに、他人の目線が気にならなくなった人間だ。好きとか嫌いとかいう次元を超え「無関心」になった。その後に出版された『嫌われる勇気』を読んだ時、それはすでに僕が身につけた感覚だった。いわゆるアドラー心理学を、自然と習得していた。



嫌われないようにする、とは、他人のために努力をするということだ。行動の軸を、他人や世の中などといった“自分以外”に据えるイメージがある。

僕の友だちにもそういう人間がいるが、彼らは社会人として必要なものを備えているように思う。すなわち、誰かのことを思いやり、誰かのために行動を遂行する。たしかに「嫌われる勇気」は習得すると生きるのがラクになるが、「嫌われない勇気」は人間として立派なプライドなのではないかと思う。



まあ、隣の芝生が青いだけなのかもしれないけどね。

“杖”を携えるべきか。【9月5日(土)】

ここ2年ほど愛用しているボトムスの裾が壊れてしまった。糸がほつれ、折り返しが付かなくなっている。季節を問わず活躍してきた万能選手だっただけに、我がクローゼットは大きな痛手を負い、後継者探しを余儀なくされている。いわば思わぬ出費。どうしよう、もうGUでいいかなあ。



そして僕は、先日母親から加入を勧められた保険を思い出した。人は突然、思わぬ出費を余儀なくされる生き物なのだ。なんだか身をもって実感した。

僕はいま独身で保険に未加入なのだが、今後やはり加入しておくべきなのだろうか。この「しておくべき」が、世の中の風潮によって自分に植え付けられていること、また保険会社が人の「不安」に漬け込んでいることがやや気に食わないのだが、“転ばぬ先の杖”を携えるべきなのだろうか。



いやでもやっぱり僕はまだ、転んだらまた立ち上がればいいと思ってしまう。転んで負った傷が、自分を強くしてくれるのではないか。転んだ経験が、次に転ばないための学びになるのではないか。そんなふうに考えてしまうのだ。

まあ実際は“今”に余裕がなさすぎて、“未来”を考えることができていないだけ、なんだけれども。総じて、もっと仕事がんばろうと思う。あ、あとボトムス、買うわ。

東北に拠点を作りたい。です。【9月6日(日)】

大学時代の友だちとオンラインで飲んだ。彼は東京で働いたのち、仙台に戻り生活を続けている。つい2年ほど前までは、よく松戸や秋葉原で共にお酒を飲んでいた。

そんな彼に、きょう再び浮上したこんな想いを吐露してみた。

ぼくは、仙台という街に惚れている。細かな理由はさておき、根幹となる想いがあふれてきた。たまにあることだ。



すると彼は、「じゃあまずは東北に拠点をつくる活動をしてみたら?」「今のぼーの(仮)なら、そういう人脈とか拠点を広げることが好きだと思うし」などと言ってくれた。

まさに、その通りだった。恐ろしいほどの御名算である。

そうか、仙台への想いが強すぎるあまり、視野を狭くしてしまっていたのか。なるほど。もっと広い視野で長いスパンで、仙台への想いを成就させていけばいいのか。なるほどなるほど。



ということで(笑)今は、東北で仕事がしたいです。コピーや取材・執筆などといったテキスト周りに限らず、さまざまなことに挑戦していきたいと思っています。あ、ワーケーション的な働き方も提案してもらったっけな。まあとりあえず今は、色んな人や場所に興味があるのです。

まずは自分でリサーチを重ねていきます。また僕にできそうなことがあれば、TwitterのDMでご連絡頂けると幸いです。かなり突然ですが、どうぞよろしくお願いします。

想いを昇華する場所。【9月7日(月)】

3年前に上京したばかりの時は、地元の友人たちとの会話が苦手でした。現実から背けるように、学生時代の面白かった出来事ばかりを話していることに抵抗があったのです。いわば「生産性のない時間」だなあと、彼らとの関係性に悩んだ時期もありました。

しかし、最近はそんな悩みは消え、むしろ楽しみを感じられるようになっています。

“今だから言えること”を聞き出すのが楽しいのです。僕自身が言うこともあります。学生当時では言えなかったことも、歳を重ねると言えるようになったりするのです。個人的には、あのとき言ったほうがよかったんだなと、後悔に似た感覚が少なくありません。

最近、僕はそんな過去の想いを“昇華する場所”として、学生時代の友だちとの会話に臨んでいます。気分はジャーナリストというか、もう取材する勢いで、自己開示もしながら質問をぶつけます。とてもお酒が美味しいです。

あと、互いのメリット関係なく時間を共にできる彼らの存在は、とても尊いものなんだなあと感じられています。歳ですね。

全ては、人間関係があってこそ。【9月8日(火)】

最近なんだか、なにごとも人間関係の上に成り立つんだなあと、つよく実感している。仕事も遊びも、会話もセックスも、もうぜんぶだ。だからつまり、良い人間関係が構築できなければ、何もかも生まれないということになる。これは僕にとって、受け入れがたい事実である。



上京する道すがら、会社員という生き方に疑問を抱いた僕は、基本的に1人で働けるフリーランスとなった。東京ではネットワークビジネスの勧誘に3回も遭遇し、その度に断ってきた。学生時代の友人との関係を、意図的に絶ったこともある。

これらは人間関係に疲れ、蔑ろにしてきた僕の仕業だ。当時はどれほど重要なものなのか分かってなかった。ただただ、ネットワークビジネスにただよう妙な雰囲気に嫌気が差していた。しかし、今なら彼らのテンションや言い分が理解できるような気がしている。そう、なにごとも、人間関係の上に成り立つのだから。その存在が怪しくたって、関係を保てばいくらか可能性が残される。ただ、関係を絶ってしまえばゼロである。ゼロには何をかけても、ゼロである。



僕は、人間関係を蔑ろにしながら、全てを欲していた。つまり不可能なものを望んでいたのだ。気づきたくなかった。過去の自分を否定している。むなしい。申し訳ない。



とはいえ、今はまず関係を築くことを意識できている。まだ新たな縁や仕事を構築できてはいないが、マインドが変わってきているのは確かだ。こうして、このnoteにも記せたぐらいだからね。都合よく解釈して生きていこうじゃないか。よし、これを成長と呼ぶとしよう。

服が季節を知らせてくれる。【9月9日(水)】

9月も1週間を過ぎたというのに、まだ余裕で夏の装いをしている。きょうも半袖のTシャツ一枚に、足元はサンダルだった。気づけばセミの声は聞こえなくなっているが、僕はまだ夏の気分で生きている。

衣服を身に纏って生活する人間は、服装で季節を感じる。少なくとも、僕はそうである。もちろんそれは気候あってのものだが、結果として、その服が季節を知らせてくれるように思うのだ。だから全然、今は夏だ。

そう考えると、流行を先取りするアパレル業界は「季節」を売っているようにも思えてくる。ちなみに今年はウイルスの影響で、水着の新作が少なかったそうだ。つまりそれは「楽しくて賑やかな夏」が売りに出されなかったということ。ニュースで“退屈さ”を嘆く若者の姿にも、なんだか納得がいく。

明日はネットで買った服が届く。お気に入りにしていた半袖のシャツが安くなっていたから、来年の夏に向けて買ったのだが。ひょっとしたらこの夏、もう出番があるのかもしれない。嬉しい誤算だなあ。

目の前で女性を泣かせたい。【9月10日(木)】

スマホのサバイバルゲームにハマっている。固有名詞を出すならば『PUBG MOBILE』。ガンやライフルを駆使して戦うゲームの内容もさることながら、個人的ないちばんの魅力は「会話」ができることだ。

設定をオンにすれば、スマホやイヤホンのマイクを通じてチームメイトの声が聞こえる。もちろんゲーム内での連携をとることが目的なのだろうが、何気ない会話をできるのが面白い。フレンド登録機能もあり、LINEで時間を合わせてみんなでワイワイすることもしばしば、である。



以前、知り合いではない人とランダムでチームを組む「野良」でプレーしていた時、1組の男女が会話をしていた。声から察するに、どちらもおそらく大学1〜2年。友人同士のようで、女子が恋人らしき人物とのイザコザを男子に話していた。

女「こないだアイツに〇〇な酷いことされてウチが泣いて、もう帰ろうとしたの。そしたら、腕つかまれたんだよね」
男「へー、やばいね」
女「そんで『帰ってほしくない』って言われてさ」
男「そーなんだ」
女「自分が泣かせたクセに意味わかんないよね」
(※〇〇の内容は忘れました)

青くて荒くて、眩しい会話だった。そんな状況、僕は経験してこなかったな。耳がちょっとキーンとした。



そして僕は、長らく、目の前で女性を泣かせていないことにも気づいた。記憶の彼方の大学時代に一度だけあったが、ここ最近はまったくない。つまり、誰かに感情をぶつけられていない、それほど向き合えていないということである。

だから僕は、もっと目の前で女性に泣いてほしいと思っている。泣かせないといけない、とまで思っている。感情をぶつけ合いたい。できるかどうかは分からないけれど、ぜんぶ受け止めたい。恋愛とは「他人と向き合う時間」だと気づいた近ごろ、その時間の少なさに焦っているのだ。



仕事も遊びも何ごとも、すべては人間関係の上に成り立つことに気づいてから、まっすぐ誰かと向き合うことの重要性が分かってきた。タイミング的には多くの人に比べたら、ずっとずっと遅いのかもしれない。ただ、過ぎてしまった時間は仕方ない。未来のため、“今”でアクションを起こしていきたい次第である。



…え、最後おもいのほかデカいとこに着地したな。笑

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