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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#19】身の程知らずが世界を変える。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

毎週金曜日恒例の「週刊エッセイ」ですが、昨日すっかり忘れてしまいました🙄

ちょっと時間の流れに付いていけてませんが、今回は土曜日更新のスペシャルverということにしましょう。

よろしくおねっしゃす🙇‍♂️

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自分の価値を探求する旅。【12月11日(金)】

2020年をちょっと早めに総括すると、ようやく自分の“外側”に「愛」が向き始めました。これまでは自分の“内側”ばかりを見ていて、自分の価値を自分で確かめまくる、とんだオナニー野郎だったわけです。だから、他人とのコミュニケーションで上手くいかないことが多く、仕事でもプライベートでも後悔を重ねることが多くありました。

しかし最近になって、自分以外の存在に価値を示したいと思えるようになりました。この感覚はまだ完璧ではありませんが、今後の人生に良い変化をもたらしてくれるのではないかとワクワクしています。「いやいや今さらかよ」と、世間をモノサシにすれば言われてしまうかもしれません。ただ、たとえ“遠回り”をしてでも、実体験として心に刻めているこの感覚は、とても尊いものだと思っています。

ということで2021年…というか今の目標は、ついに芽生えた「自分以外の存在に価値を示す感覚」に、なんとか花を咲かせることです。仕事でもプライベートでも、もっと「愛」を持って生きていきます。自分の価値を探求する旅が、もう始まっています。



「生き方」という概念。【12月12日(土)】

無数の選択肢から方法を示す「〜方(かた)」という言葉がある。たとえば食べ方、飲み方、洗い方、しゃべり方。この表現こそ無数にあるような気もするが、その中の一つに「生き方」という言葉もある。



僕が「生き方」という言葉を知ったのは、たしか社会人2年目になった頃。それまでは公務員一家で育ったこともあり、ひとつの会社や自治体で堅実にキャリアを重ねていくことしか頭になかった。というかそもそも「生き方」なんて言葉も感じることもなかった。なぜなら、自分が叶えられそうな生き方を、ひとつしか知らなかったから。振り返ってみると他に知っていた生き方は、社長とプロ野球選手(アスリート)ぐらいだった。

そこから、上京を決めた社会人2年目。ブロガーだアフィリエイトだ、フリーランスだクラウドソーシングだと、さまざまな言葉と共に「生き方」という概念を知った。当時は会社員や公務員などの生き方しか知らなかった自分を悔やんだが、その無数の可能性に感動したのを覚えている。やや大げさに言えば、この世界に対しての深い愛が芽生えた。なんだよ、全然捨てたもんじゃないなって。じゃあ自分に合った生き方を実践するぞって。

それから、4年が経った今。正直、いまだに自分が最高と思える生き方は叶えられていない。でもふとした瞬間に「あのとき生き方という概念を知ることができて良かったなあ」と、心の底から思う。まだ会社員とか公務員とか知らなかったらと思うと、ゾッとしてしまう。



今は多拠点生活に興味があり、地方でのイベントに積極的に参加しているのだが、本当にさまざまな生き方を実践している人がいる。また自分の生き方を模索し、実践しようとする人もいる。

そんな十人十色の生き方に対して、僕はいちいち感動できているのだ。あれもイイねこれもイイねって、もはやつまらないくらい楽しんでいる。だからたとえば若い学生なんかには、一刻も早く生き方という概念を覚えてほしい。世界を見る目が大きく変わるから。学生時代からずっと“お利口さん”として生きる選択肢だけではないから、将来に対してあまり悲観しないでほしい。



なんてことを、進路に悩む高校生を見て思いました。え、やばい。なんの話や


身の程知らずが世界を変える。【12月13日(日)】

先週の月曜日、元プロ野球選手の新庄剛志さんが現役復帰をかけてトライアウトに臨んだ。その日を迎えるまで、48歳の現役復帰という前例のない挑戦にバッシングの声も多く見受けられた。それでも彼は練習をやめることなく、ついにトライアウトの舞台でタイムリーヒットを放った。一塁ベースに到達して少年のように喜ぶ姿は、個人的にとても印象的なシーンだ。

しかし連絡期日とした今日まで、各球団からのオファーは届かなかったようだ。新庄さんは自身のSNSで、現役復帰を断念する姿勢を示した。

www.instagram.com

正直いちプロ野球ファンとして、あのトライアウトでのタイムリーヒットが“ピーク”になるような予感もした。話題性やスター性は申し分ないだろうが、自由奔放で何かと世間をざわつかせる新庄の獲得が、球団にとってのリスクになるような気もする。何より今のプロ野球で1軍の戦力になれるかは、素人の僕から見ても厳しいと思う。

それでも、やっぱり彼の〈挑戦する姿勢〉には価値を感じた。世間から何と言われようと、自分を信じて努力を続けて、そして結果を残すこと。彼はインスタグラムに「身の程を知りました!」と綴ったが、身の程を知らないことも悪いことではなく、むしろかっこいいのではないかとも思った。世間的な身の程を知らなかったからこそ、彼は今月神宮球場でプレーできたのだ。

多くの社会や世間では、身の程をわきまえることが必要とされる。日本人お得意の「空気を読む」ってやつだ。でも、身の程を気にしすぎて遠慮してしまってはどうだ。僕にとってはちょっと、心に退屈が芽生えてしまうだろう。

世界を変えるのは、身の程知らずだ。新庄さんの勇姿を脳裏に焼き付け、僕も程よくアホなフリして、行動を重ねていきたいと思う。

好きな色と、似合う色。【12月14日(月)】

自分にとっての好きな色と似合う色が、必ずしも同じとは限らない。洋服しかりメイクしかり、自分はその色を愛しているのに、どうして身に着けるとミスマッチを起こしてしまうのだろう。そんな“片思い”を抱いた経験のある方は、きっと少なくないと予想する。

このようなことは、色以外のことにも言えると思っている。たとえば、異性との関係。あくまで僕の感覚の話になってしまうのだが、「可愛い人」と「付き合う人」のタイプは、結構ちがったりする。いや、付き合う人が可愛くないというわけではないのだが、これまで第一印象で惹かれた相手とは、なかなか発展できなかった事実がある。皆さんはどうだろう。

最近では、仕事においてもそんなことを感じている。いわゆる絶対的な「好きなこと」と、相対的な「得意なこと」だ。やはり価値が求められる仕事の場面では、どうしても相対性が重要視されるわけであり、つまり自分が好きなことだけに取り組むわけにはいかない。僕はこのギャップに、最近ようやく気がついてきた。これから2021年にかけては、好きなことで価値を生み出せないか、いろいろ試行錯誤するつもりだ。こう見えて、とてもワクワクできているよ。

好きな色と、似合う色。つまりは「絶対」か「相対」かという話だったみたいだね。似合う色が分かるとファッションが楽しくなるように、きっと恋愛や仕事においても、多くの人は「相対」を楽しめるはずだ。おそらく人間、そういうつくりになっているんだ。ああ、そうだ。今日はそういうことにしよう。

成長痛という考え方が好き。【12月15日(火)】

成長痛という言葉がありますが、つくづく見事な言葉だなあと思います。正直、ほんとのほんとの成長痛を感じた記憶はありません。成長期に伴い、膝を中心に(?)身体が痛くなるというアレです。だから僕にとっては、比喩的なイメージが濃いめにある言葉です。

おもにメンタル面での「成長痛」という考え方が好きだったりします。苦難や困難がその人を強くする、みたいな。もちろん、その“痛み”があまり大きすぎてもいけませんが、余裕があるうちは積極的に受け入れたいと思っていす。

ここ最近の僕は、とにかく人とコミュニケーションを取っています。LINEやMessengerはもうフル稼働で、個別にZoomをつなぐこともしばしば。仕事に関する打ち合わせも含めますが、プライベートな雑談なんかも増えています。これまでの僕はというと、基本的には1人の世界に没頭していました。クライアントとの業務的なやりとりは最小限に、あとは誰とも連絡を取らない、みたいな感じ。

だから正直、毎日コミュニケーションを取ることがしんどく感じられるときもあります。急に文章を考えることがめんどくさく感じられて、返信を後回しにしたり。やっぱ1人のほうがラクなのかなあ、とか思っちゃったり。

でも今は、このしんどさも「成長痛」なのではないかと感じられています。この経験が、きっと自分をポジティブな方向に変えてくれるのではないかと。今後も成長痛という考え方を良い塩梅でよりどころにしつつ、苦難や困難も味わっていけたらと思っています。


キャッチボールと心の距離。【12月16日(水)】

まだ関係が浅い人とのコミュニケーションは、とても難しいですよね。まあ当然ちゃあ当然の話なのかもしれませんが、どんな距離感で話すべきか、28年間生きてきた今でもよく分かりません。でも、ひとつだけ分かってきたことがあります。自分が設定した距離感で、相手も接してくるということです。

たとえば自分がかしこまって敬語で話せば、相手も敬語になる。逆にフランクに話せば、相手もフランクになってくれます。これはおそらく、真理です。少なくとも、自分が設定した距離より近い場所で、相手が話してくる可能性はかなり低いと思われます(ここの距離を詰めてくる人は苦手です…)。

ふと、まるでキャッチボールのようだと思いました。皆さんやったことありますかね、キャッチボール。僕は野球部だったので毎日のようにやっていたのですが、向かい合うペアは同じ距離を投げ合うんですよ。まあ当然ちゃあ当然の話なのかもしれませんが、片方が20mを投げてるのに、もう片方は10mを投げている、なんてことはありません。

だからなんというか、いい塩梅でコミュニケーションのボールを投げていきたいと思いましたね。何気なく自分が設定した距離感が、けっこう大事になってくるんですよね。キャッチボールの経験を糧に、今後もコミュニケーションを楽しんでいきたいと思います。

人間関係という幹。仕事という枝。【12月17日(木)】

最近ありがたいことに、地元の宮城で知り合った人から仕事をもらうことが増えている。すると、こんなことを思った。

これまでの僕はというと、大人にとっては「仕事ありきの人間関係」しかないと思っていた。たとえば正社員として会社に入り、お互いたまたまプロジェクトの担当者として顔を合わせるような関係だ。そしてたまたま馬が合えば、プライベートを共にする関係になる、みたいな。上記のツイートに倣うならば、「仕事」という幹に「人間関係」が構築されるとばかり思っていた。

しかし、それだけではなかった。むしろ僕にとっては、真逆の考え方の方が合っていた。つまり「人間関係」の構築が先導し、徐々に「仕事」へと発展していくパターンだ。

いま僕がお世話になっているのは、先々月の宮城の移住イベントでたまたま出会ったデザイナーの方。彼女と初対面の時は、仕事を頂こうだなんて微塵も考えていなかった。ただ徐々に会話を重ね、また宮城の現地を案内してもらうなどしたことで、結果的に「仕事」へと発展している。本当にありがたい話である。また。業務に関する連携などでやりづらさは感じていない。

すでに圧倒的なスキルや実績がある人にとっては、「仕事」から関係を形成していくのもいいだろう。というか会社員の強みはそこにある、とまで言えるのかもしれない。しかし個人として生きたい僕は、まず「人間関係」を構築し信頼を寄せ合うことから始めたい。今まで知らなかったが、こっちのルートの方が自分には合っているような気がするからだ。


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