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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#44】ストレートあっての変化球。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

もう「週刊エッセイ」しか更新しないブログになってきました🙄

この由々しき現状を打破できるよう、今週は頑張っていきたいと思います。


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会社員以外の生き方。【7月9日(金)】

宮城県東松島市に来ています。今日は市役所に勤める知り合いに招待いただき、となりまちから来た高校3年生のインターンに帯同させてもらいました。

その内容は、東松島市内で活動する6人の地域おこし協力隊に会い、話をするというもの。たとえば1日中市役所にこもってデスクワークに励むのではなく、むしろ市役所にいたのは集合と解散のときだけで、それ以外はずっと市内を廻っていました。この「人との関係性を深めること」が、昨今市街からの移住者が急増している東松島市のスタイルなのだと思います。

そして僕が高校生の時は、地域おこし協力隊などという“会社員以外の生き方”を知りませんでした。もちろん時代も違いますし、会社員や公務員をよしとするそれも立派な愛のかたちだと理解できますが、今の高校生にとって今日は有意義な時間になってくれたのではないかと思います。ちゃっかり帯同していた僕ですら、協力隊の皆さんの価値観や経験を聞くのがとても楽しく感じられましたからね。

彼らは今後、それぞれの地元での就職を見据えているようでした。中には、まだ進路に迷っている人もいて、リアルな葛藤を目の当たりにできたと思います。これから大いに迷って、たとえ遠回りに見えても、自分が納得する人生を歩んでいってほしいと思っています。

人というコンテンツ。【7月10日(土)】

宮城県東松島市で迎えた2日目。今日は仲の良い(と僕は思っている)地域おこし協力隊を誘って、おとなりの石巻市へ行ってきました。

石巻では、古びたシャッター商店街にアーティストやクリエイターを集め、芸術活動の発信地を作るプロジェクトが動き出しています。まちづくりに興味津々な僕は、その活動の極意を学ぶべく、石巻へ行きたいとずっと思っていました。ただ、じつはもっと行きたかった理由もありまして。それは今年の1月に知り合った「移住コンシェルジュ」のおふたりに会いに行くことでした。

僕よりちょっと歳上のおふたりは震災後、共に東京からのUターンで石巻のまちづくり系の一般社団法人へと就職。これまで石巻の復興と発展を支えてきて、そしてこれからも支えていくであろう手本とすべき存在です。また、そのふたりの関係性というか掛け合いも和やかで面白く、彼らといっしょに街を散策したいと思っていたのです。

今回の宮城遠征でも改めて、「人」というコンテンツの強さに気づかされました。この地域いいなとか、また来たいなとか思えるのはやっぱり、そこに住んでいる人との関係性が裏付けてくれるのだと思います。もちろんそれだけと断言する気はありませんが、僕がまた東松島市に来ているのも、まさに自分が好きな人たちに呼ばれたからです。今後まちづくりに携わろうとしている僕にとって、本当に良い刺激となりました。

これからの活動へのアドバイスもいただけましたし、とても充実した時間だったと思います。美味しい料理も食べられましたし、お腹も心もいっぱいで、今日はぐっすり眠れそうです。

移住は、結果。【7月11日(日)】

昨日お会いした石巻の移住コンシェルジュの方がおっしゃっていた「けっきょく移住は結果でしかない(※意訳)」という言葉が、今も胸に刺さっている。東京からUターンしたその方は、徐々に地元での仕事に携わることが増え、2〜3ヶ月に1回帰っていたのが月イチになり週イチになり、もうこのままじゃ住まないとキツいとなって移住したそうだ。だから「ぼーのくん(仮)は移住が目的にならないようにね」なんて言ってくれた。

僕はまさに今、危うく移住が目的になってしまいそうだった。自分に何ができるのか、あるいは何をすべきかまだはっきりとは分からないけれど、まずは移住することで見えてくる部分や、喜んでくれる人がいるんじゃないかって。大学時代の就職活動で陥った「目的と方法のすり替え」を、またしても侵そうとしていたのである。

自分に呆れかけながら、とりあえずTwitterのアカウント名から「これから宮城へUターン」という文字を削除した。方法を前面に押し出すのを、やめにした。

改めて、首都圏からでも地方のためにできることを考えていきたい。もちろん、その大いなる目的をはっきり掴むというプロセスも含めて。これまでの考えが振り出しに戻った感覚もあるような気がしなくもないけれども、またフレッシュな気持ちで積み重ねられると考えて、前向きに生きていたいと思う。

すべらない話は、団体芸。【7月12日(月)】

この間「ぼーのくん(仮)って話しやすいよね。相槌の量やタイミングが絶妙だと思う」と言ってもらえました。のっけから手前味噌なんですけれども、とても嬉しかったのでここに書いてしまっています。ただ、たしかに相槌は、常日頃から気にしている部分でもありました。

僕はバラエティ番組やお笑い芸人が好きなのですが、『人志松本のすべらない話』という番組をご存知の方、きっと少なくないと思います。芸人たちがテーブルを囲むなか、その中心にいる松本さんが特製のサイコロを振り、出た目に書かれた名前の芸人が“すべらない話”を披露していくという、わりとシンプルな仕組みの企画です。素人目にも格式ある“大番組”だと見受けられますが、僕はあの番組の団体芸的な側面がけっこう好きなのです。

カメラがメインで映すのは話し手ですが、周りの芸人たちもまた、とても良い顔をしてすべらない話を聴いているのです。話し手に正対して目を見つめて、時にはしっかり頷いて「ほうほう」「なるほど」あるいは「え?」などと相槌を打つ。いわゆるフリと思しき部分はみんなで緊張感を漂わせ、そしてオチを迎えたら、みんなで笑って賑やかで和やかな雰囲気をつくり出す。僕にとって、すべらない話はこのような団体芸的な側面が強く感じられるのです。

あの番組を見ていると、聞き手としてのコミュニケーションを学べる気がします。いや、もはやすべらない話に限らず、バラエティ番組の芸人さんの「誰かを引き立てる」ような姿勢は、いつも参考になりますけどね。僕は彼らの相槌を意識しながら、誰かと接していたことに気づかされました。

もちろん他の多くのテレビ番組も、さまざまな演者わスタッフが一丸となってつくっているのだと想像します。ただそのなかでも僕は、脚光を浴びている芸人さんのさりげない部分をリスペクトしています。そして今後もすべらない話は、団体芸の側面も意識しつつ楽しんでいきたいと思います。

動いているのは、僕。【7月13日(火)】

インテリアに興味が湧いてきている。最近はずっと自宅での仕事ばかりだし、誰かの家に行く機会や逆に自宅に誰かを招く機会が増えていて、自分の部屋に対する意識が変わってきているのだ。気づけば「インテリア ワンルーム」などとPinterestで調べてしまっている。

極端な話ではあるが、自分ひとりで生きていたら芽生えなかった感覚だ。月イチペースで地方を旅していることや近所に友だちが増えたことで、僕の部屋以外のスペースを見ることが大きく影響していると思う。価値観を広げてくれる存在に対しては、しっかり感謝の気持ちを持っていたいとも思う。いつまでも素直な人間でありたい。素直は正義。

そして、価値観を広げられている自分自身も、ちゃんと評価してあげたい。良い影響をくれるのは他人なのだが、そこに出会うプロセスを踏んでいるのは、僕だ。紛れもなく、僕。ヘンにへりくだることなく、その「動き」は、自信とまではいかずとも、認めてあげていいのではないかと思う。

日頃から上手くいくことばかりではないが、かと言って上手くいかないことばかりでもないだろう。たしかに過信はあまり良くないかもしれない。でも、正当に自分を評価してあげることは、普段から大切にしておきたいところである。

ストレートあっての変化球。【7月14日(水)】

野球には、さまざまな変化球があります。ピッチャーが投じる球種ですね。真下に落ちるフォークや、横に曲がるスライダーあるいはシュート、比較的最近になるとカットボールやツーシームなど、だんだんと種類が増えてきた印象です。今後も新たなピッチャーが現れるたびに、新たな変化球も生まれるのだと思います。同じ球種でも、ピッチャーによってその曲がり方はさまざまだったりしますよね。

ただ、どれだけ豊富な変化球を習得していようと、ストレートが「基準」になることは確かです。ストレート。日本語で直球と示される球種で、その名の通りまっすぐ、変化することなくキャッチャーミットに収まるボールです。変化球はこのストレートを基準として、どれだけ曲がっただとか、どれだけ球速が緩くなっただとか、その効果を得ることができるのです。



名刺に「コピーライター」と記して生きている今の自分は、地元の宮城を中心とした地方での活動に興味が湧いてきています。特に、コミュニティ形成や運営などを含めた、街全体の「教育」の分野に惹かれてきました。コピー的な発信とコミュニティの力を合わせれば、また新しい可能性が生まれるのではないか、なんて妄想したりしています。

しかし、もっと僕はコピーライターとして「書く」や「伝える」を磨く必要があるとも感じています。それこそが、自分にとってのストレートだと思うのです。このnoteを含めて、TwitterやInstagram、YouTubeなどさまざまなSNSに手を出していますが、正直いずれもパッとしていません。その発信力を鍛えてこそ、今後コミュニティという新たな要素が光り出すような気がしてきました。



もっとやれるという自分への期待の裏返しとも捉えて、コピーライターとして頑張ろうと思います。ストレートは、変化球あってこそ、です。

ギャップありきのお買いもの。【7月15日(木)】

昨夜、ネットで洋服を買った。もう衝動買いと言っていいかもしれない。なぜかまだ今シーズン着れそうな服がセール価格だったし、毎年買っているはずなのに今年もクローゼットが寂しい。お気に入りと言えるブランドも最近見つけてしまった。これからの夏が、ちょっとだけ楽しみになった。

決済を完了してから商品が到着するまでの間、これこそまさに待ち遠しいなというべき感覚が芽生える。これはもう洋服に限った話ではない。別に普段の生活と比べて特段大きな変化はないんだけれども、今ごろ梱包されて発送を待っているのかなとか、そろそろトラックに乗せられているのかなとか、そんな余計なことが頭をよぎってはワクワクする。もうこのままずっと、商品が着かなくてもいいのではないかとすら思えてくる。いやこれはあくまで、程度を示す例えば、の話なのだけれども。

洋服と“ご対面”したら、画面で見ていたときとのギャップをすり合わせる。質感、色味、サイズ感。自分で思い描いていた通りの、もしくはそれ以上のものを感じられたときには、1人でテンション爆上がりである。ときに自分の想定を下回ることもあり、うちの親なんかはそれが怖くてネットで買えないらしいが、もうその失敗も含めてネットショッピングである。良くも悪くも、ギャップは生まれるものだ。

いやむしろ、ギャップのない買い物ってどうだろう、今やちょっと物足りなさを覚えるかもしれない。もちろん馴染みのある食品や日用品を買うのも良しとして、洋服などを含めた趣味に関する新たな“冒険感”も、ネットショッピングのひとつの魅力なのかもしれない。それも含めて、手元に届く際にワクワクがあるのだろう。うん、きっとそうだ。今日はそういうことにしておこう。


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