0→1(ゼロカライチ)

地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

【Sponsored Links】

【週刊エッセイ#45】一年越しの晴れ舞台。

f:id:nobo0630:20210728135824j:plain


どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

オリンピック始まってますね。メダルラッシュに湧いてますね。

ただ、コロナラッシュも見られ、なんだか情緒が難しいです。

そんなこんなで、今週も週刊エッセイにお付き合いください。

▼noteではエッセイを毎日更新中▼
note.com

バトンのないリレーなんて。【7月16日(金)】

今日は一時的にうちのWi-Fiが繋がらなくなってしまったので、近所の電源があるファミレスへ14時過ぎに行ってみました。時間帯かこのご時世か、座席はまばらに埋まっているような状況。「お好きなお席へどうぞ」と言われて選んだ席には、すでにランチを平らげた、いわゆるアラフォー世代の女性2人が座っていました。

PCを広げてその会話に耳をそばたててみると、どうやらそれぞれに“きょうだい”の子どもがいる模様。話題は子育て、夫婦、親戚事情、仕事、恋愛などなど、もうこれでもかと言うほど話し込んでいました。さて耳を塞ぐかと、僕はAirPodsを取り出しましたが、なんと充電が切れているじゃありませんか。耳をそばだて続けることを余儀なくされてしまいました。

ただ、ひとつ興味深い話がありました。子どもの運動会の話です。結論から言うと、なんとイマドキのリレーはバトンを繋がないというのです。

おそらく感染症対策なのでしょう。みんなでチームに戦うことは昔と同じですが、バトンを持たず、前の走者が特定のエリアに差し掛かったら、次の走者が走り出せるという仕組みらしいです。僕は勝手に、競泳のリレーをイメージしていました。特にアイテムを用いることなく、次に引き継がれる感じです。

運動会が割と好きだった僕は、静かに盗み聞きしながら衝撃を受けてしまいました。バトンのないリレーなんて。我ながら老害みたいだけど、そんなのリレーじゃないだろ。学生時代なんて、バトンを繋いでなんぼみたいなところあるぞ。このままじゃ、バトンを知らない子どものまま大人になってしまう。バトン製造企業も大赤字になる。

そんなことを感じた梅雨明けの1日でした。あ、ちゃんと仕事もやっていましたよ。


値上げをしたら、売れました。【7月17日(土)】

メルカリに出店していた服を、きのう設定しなおしてみました。すでに20以上の「いいね」をもらっていた商品なのですが、商品名に記していた【春におすすめ】という文言を【秋におすすめ】に変更。そして一応、春モノから秋モノになったということで、値段を1000円ほど値上げしてみたのです。

すると今朝、何の前触れもなくその商品が売れました。「まだ売っていますか?」とか「値下げは可能ですか?」とか、よくありがちなコメントもなく、です。取引画面を見てみると「短い間ですがよろしくお願いします」と丁寧なメッセージも添えられていて、朝から気分よく返信させてもらいつつ。

値段を上げたほうが売れることってあるんだなあと思いました。まあ「秋」に変更しましたし、結局たまたまなのかもしれませんが、低過ぎても価値を感じてもらえないんだろうなと思っています。



そういえば個人で仕事をしている人が「安さを売りにするのはやめたほうがいい」と、いつかどこかで(笑)言っていたのを思い出しました。自分の価値をしっかりコントロールすることでビジネスとして良好な関係を築く、みたいな狙いを示していたような気がします。

そしてこれって、何もお金に限った話でないような気もします。たとえば平場の人間関係でも、ヘコヘコしすぎることより、ある程度どっしり構えている人間のほうが個人的には憧れます(ヘコヘコが楽という人もいるでしょう)。もちろん過信はかっこよくないと思いますが、自分の価値を低く見積りすぎることなく、“イイ値段”で示す努力をしたいと思いました。



あと、メルカリで売れてない商品、ひと通りちょっと値上げしてみようかなとも思っています。よかったら、みなさんもぜひ。

分析を足そうと思う。【7月18日(日)】

地方での活動に興味を抱いてから、約10ヶ月が経過した。今は月イチのペースで、地元の宮城県を中心としたさまざまな地域へ足を運び、今後の自分に何ができるのか、あるいは何をすべきかを考えている。しかし、今のままではいけないのではないかと思い始めてきた。

きのう、このツイートがタイムラインに浮かんできた。あんちゃさんによれば、まず現状をしっかり分析して師匠を定めてから、自分の手足を動かしていくというのだ。また、これを深掘りしたブログ記事を読んでみると、①〜③は同時並行で進めていくのだという。

このツイートを見たとき、僕はあまりにも自分にベクトルが向きすぎではないかと感じてしまった。これまで地方で結果を出しているさまざまな人に出会い、Facebookなんかでも繋がることができているが、まるで分析をしていない。これは結構まずい事態だと気がついたのだ。



ということで、これからしばらく分析してみようと思う。しっかり、自分の師匠を見つける。そしてもちろん、同時に手足を動かす。早めに軌道修正できて良かったと半ば無理やりポジティブに捉えて、これから前に進んでいこうと思っている。

おうち時間が好きになる。【7月19日(月)】

今シーズン、ついにエアコンを解禁した。東京は先週あたりまで梅雨模様で、窓を開けつつ扇風機を活用することで対応できていた。このまま電気代を節約する心意気で、エアコンの世話にならずともこの夏を乗り切るのではないか。そんな見通しの甘い考えを抱いていた。

しかし、連日続くあまりの猛暑に、とうとう今日エアコンのスイッチを入れた。するとどうだ。とても快適ではないか。すごいぞ、エアコン。調子に乗ってついさっきまでは、毛布に包まれながら夕寝をかましてしまった。ということでこれを書いている今は、わりと目が冴えている。

いわゆる「おうち時間」が、とても好きになった。そしてこれこそが、エアコンが示す価値だとも気がついた。たとえば寒い冬でも、部屋の温度を適温にすることがエアコンの機能だとして。それに付随される価値は、家の中に生まれる快適な空間あるいは時間。ドリルと穴の話が有名だけれども、人間がエアコンに求めているのは、おうち時間をさせることではないかと改めて思う。今なんて、こんなご時世だしね。

昨シーズンもエアコンは使っていたはずなんだけれども、なぜか今年はハッとさせられてしまった。今後も日常生活の中で、価値や本質をこっそり見つめていたいと思っている。

環境と価値。【7月20日(火)】

たとえばカルディで、外国の商品が売っている。パッケージに書いてある文字は外国語で、全体的なデザインも“それっぽい”ようなものがあるとする。商品の“母国”ではひょっとしたら、あまり人気のないというか、競合に押され気味な売れ筋なのかもしれない。いやいや逆に、本当に人気のある商品だからこそ、海を超えて日本までやってきたのかもしれない。その真相を知る由というか、僕の気力はない。

ただ、その外国での実績はさておき、この日本ではいずれも魅力的に見えたりする。入り口でコーヒーを受け取り、カルディの店内を散策すること。きっと嫌いではない人が多いのではないだろうか。僕もそのうちの1人で、いつかおしゃれなカルディ品を誰かにプレゼントしてみたい。あるいは、自宅でがっつり使いこなしてみたい。



何が言いたいか。環境でモノの価値は変わるよなあということだ。まあ、至極あたりまえのことではあるのだが、モノ自体は変わっていなくても、たとえば国を変えるだけで魅力的に映る。もちろん、逆に魅力が減ってしまうこともあるだろう。

近い将来、僕はいま住んでいる東京を離れて地方で活動することを見据えている。大きな環境の変化を前に、胸を躍らせたり背中を震わせたりしている。ちっぽけな自分に何ができるのか、ぐるぐると悩んでしまう時間も少なくない。ただ、いわゆる地方創生は、その地域というか環境を理解してこそ成功に繋がるものなのだろう。小さく感じられている今の自分が、ひょっとしたら大きく映ってくれるのかもしれない。逆に、もっと小さくなってしまうのかもしれない。そんな環境の変化にアンテナを張り、自分が生み出すべき価値をしっかり見つめて考えていたいと思う。

一年越しの晴れ舞台。【7月21日(水)】

『TOKYO2020』の競技がスタートした。開会式は本番を待っている状況だけれども、新型コロナウイルスをはじめとして、さまざまな問題がある中での開幕に僕には見えている。連日SNSでは朝から晩までご丁寧に、その問題点を羅列する方がいらっしゃる。僕はそれを眺めて、なんだか心が曇っていくような感覚がある。

しかし今日は朝から晩まで、各テレビ局のキャスターが活き活きと情報を伝えてくれていた。SNSでの情報が嘘のように、各競技の模様を楽しげに見せてくれている。キャスター自身にも、今回のオリンピック開催に対して思うところはあるのだろう。それでも彼らはプロとして、明るくナビゲートしてくれているように感じる。

ソフトボールの上野選手は、オーストラリアにコールド勝ちを収めた試合後に「オリンピックが始まったという嬉しさでいっぱいです」とコメントしていた。そうか、選手たちにとっては一年越しに訪れた晴れの舞台だ。この大会をきっかけに、人生のさらなる転機や財産をつかめるのかもしれない。ましてや今回は、地元開催。もし自分が日本人選手だったならば、きっと開催を強く願っていたのだろう。

ネガティブな知らせを指摘したくなる気持ちも、分からなくない。でも今は、ついに幕を開けたオリンピックをポジティブに捉えるべきなのかもしれない。待ちに待った晴れの舞台で真剣に生きる選手たちの姿を、こんなに見られる機会はそう多くないと感じるからである。

フォーメーションとシステム。【7月22日(木)】

東京オリンピック男子サッカー競技がスタートし、我らが日本代表はMF久保建英の鮮烈ゴールで南アフリカに勝利した。僕はいちサッカーファンとして、久しぶりに訪れた国際大会の公式戦を楽しんでいた。



サッカーには「フォーメーション」と「システム」という概念があると思っている。一見同じような意味を持つ言葉のように感じられるかもしれないが、フォーメーションは静止画、システムは動画のようなイメージだ。

つまり選手がどのように配置されているのか、おおよそのポジションを示したものがフォーメーション。そしてその配置された選手たちがどのようにコミットし合い、チームとして攻撃あるいは守備を形成していくのかを表すものがシステムとなる。専門的な言葉を使い例を示すと、サイドハーフとサイドバックがフォーメーション(の一部)。試合中は、そのサイドハーフが中央にポジションを取ることで、サイドバックのオーバーラップを促す。これがチームとしての、システムとなる。

チームづくりに必要とされるのは、システムである。フォーメーションはいわばメディア向けというか、どんな選手がどのように配置されているかを客観的かつ簡略的に示したものだからだ。主観的にサッカーをプレーするならば、個々人がどのように特徴を活かし合い、どのように相手を陥れるのか。チームとしての「価値」を磨く必要がある。





地方で活動したがっている今の僕は、フォーメーションを意識していたような気がする。自分に何ができるのか、どんな存在でありたいのか。それこそ、地方でどんなポジションを築きたいのか。そんなことばかりを考えている。しかし、重要なのはシステムだ。自分の特徴をこしらえた上で、どのようにコミットしていくのか。どのような価値を生み出していくのか。そこを突き詰めないといけない。

今日はサッカーの試合に熱狂しながら、どこか冷める自分がいたのだった。


▼noteではエッセイを毎日更新中▼
note.com

【Sponsored Links】