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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#41】グレーも立派にひとつの色。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

今週もまた、あっという間に金曜日になってしまいました。

もっとブログを更新したい気持ちはあるのですが、もうここまで来ると一生こうして嘆く人生を送るのだろうなと思います。

ということで(?)週刊エッセイにお付き合いください。別に興味がないぜって人は、一刻も早くYouTubeやNetflixを開きましょう。


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人と向き合う旅。【6月18日(金)】

金曜日ですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕は今週、月曜日から1泊2日で宮城県へ行ってきました。その旅を通じて感じたことや考えたことはこのnoteおよびTwitterに記していたのですが、旅自体の話は書いていなかったので、振り返りがてら綴ってみようと思います。



改めて月曜日、上野発仙台行きの新幹線に乗りました。ここ半年は月イチのペースで宮城へ足を運んでいたのですが、今回これまでとは決定的にちがう要素がありました。それは、関東の知人といっしょに宮城へ向かったということ。常に1人で新幹線に乗ってきましたが、今回は「話し相手」がいました。これがなかなか新鮮なこともあり、新幹線に限らず面白い時間を生んでくれたと思っています。

仙台に着いて駅ビルでランチを食べてからは、レンタカーで利府町へ。自治体が地元の学生や町民を巻き込んでつくったという『tsumiki』というワーキングスペースへ行ってきました。偶然Twitterで知った駅前の施設なのですが、そのストーリーに僕は心底惚れています。自分の地元でも、こんなすてきなプロジェクトを立ち上げてみたいものです。

rifu-tsumiki.jp

それからは隣の富谷市へ。先月オープンした観光交流ステーション『とみやど』の周辺(笑)へと行ってきました(とみやどは閉まってました)。ただ、このへん一帯は入り組んだ住宅地で、レトロな雰囲気が漂うおうちなんかも見られました。1人じゃなかったから1時間ほど散策できましたし、今度はとみやどへ進入したいと思います。

tomiyado.com

その後、海沿いに位置する七ヶ浜町の砂浜で潮風を浴び、仙台へと戻りました。そして僕と知人の、共通の知人と合流し、夜はその人の家に泊まらせてもらったという旅です。あ、翌日はまた別の角田市や丸森町へ行き、東京に戻ってきたんですけどね。



繰り返しになりますが、1人じゃない旅もいいなあと思いました。というのもやっぱり、1人だとラクじゃないですか。何するにも自由で、何しないにも自由で。でもそうすると僕は、どうしてもスマホやPCの画面と向き合う時間が長くなる。

だから今回は、ずっと人と向き合っていた旅だったなと思います。いや、宮城で誰かに会えば毎回そうなんですけど、今回は終始、人と向き合えました。また近いうちに、気の合う誰かとどこかへ行きたいと思います。1人じゃない旅、なんだかハマってしまうかもしれません。



自分の想像を超えるには。【6月19日(土)】

野球をやっていた子どもの頃、暇な時間があると1人で「壁打ち」をやっていた。左手にグローブをはめ、家の塀や公園の壁に向かってボールを投げる。ドンっと鈍い音を立てバウンドしながら返ってきたゴム製のボールをキャッチし、そしてまた前方へ投げる。いま思えば、壁打ちというネーミングが合っているかは分からないが、とりあえず僕はよくやっていた。

ここに試合という要素を付け足してみると、壁打ちはキャッチングやスローイングの練習、とも言えただろう。家でゴロゴロしているぐらいなら、グローブおよびボールと戯れていたほうがいい。僕に用具を買い与えてくれた両親も、きっとそれを望んでいた気がする。まあいずれも、極端な話なんだけれども。

ただ壁打ちでは、当然ながら、僕がキャッチできるボールしか転がってこない。これまで僕が投げたボールが、僕の想像を超えて返ってきたことはなかった。そしてこれまた当然ながら、実際の試合では、時に想像を絶する打球が飛んでくる。というか、そこはいつも容易には想像できない世界だ。つまり試合は、自分と壁では現れなかったものが、相手チームによって、もっと言えば同じグラウンドに立つ味方チームによって生み出される舞台なのである。



ふと、アイデアや価値観も同じような気がした。

自分だけで考えたり調べたりするのも大事だけれど、自分以外の誰かのおかげで生まれるものは、間違いなくある。それは決して少なくない。それこそアイデアの壁打ち、なんて言ったりもするけど、自分では考えられなかった誰かの何気ないひとことで、事態が一変することもある。仕事観や恋愛観なんて、端から誰かの話を聞くことを求めていたりするだろう。そのほうが、自分にとって刺激になるからだ。

だから結局、自分の想像を超えるには、自分以外の存在が必要なのだと思う。なぜか個人的にはちょっとした悔しさもあるけれど、なるたけ上手にこの世界と生きていたい。どうやらそれが賢明なようだから。

グレーも立派にひとつの色。【6月20日(日)】

「白と黒のその間に無限の色が広がっている」とは、有名な(というか僕が好きな)ミスチルの歌詞である。白か黒かの二元論で求められがちな世界だけれども、その間に広がる自分だけの色で輝こうじゃないか、なんて意味が込められていると個人的には思う。僕自身も、たとえば社会的な正解を気にしすぎることなく、しっかり自分の人生を謳歌したいと考えている。

しかし人間というものは、こと他人に対して、やはりどうしても白と黒を当てはめてしまう性質があると思う。きっとそのほうが、認識するのにラクだから。というか、僕自身がそうだったことに最近気がついた。僕にとっての白でも黒でもない人を、勝手にどちらかへグググっと寄せようとする自分がいたのだ。

たとえグレーに見えたとしても、それもその人にとっての色。グレーという名前が付いているだけ、認識があるということだ。いやむしろ、こっちが勝手にグレーに見ているだけで、本人からしたら鮮やかに発色しているのかもしれない。僕はとても失礼な感覚を備えていたことに気づかされた。申し訳ない。恥ずかしい。

時代は令和。それぞれの感覚、それぞれの生き方が許されるべき時代だ。僕もなんやかんやで、その恩恵を受ける一人であると思う。自分の感覚を当てはめすぎることなく、おおらかな気持ちで他人と接していたいと思う。

リスクと隣り合わせで。【6月21日(月)】

僕は野球をやっていたんですけどね、バッターとして凡打に終わることはやはり悔しいものでした。三振にしろ内野ゴロにしろフライアウトにしろ、打ち取られてベンチに戻るときは、決して良い気分じゃありません。

しかし反対に、ヒットを打てたこともありました。まあもちろんそれを狙って打席に立つわけですが、そりゃあもう気分爽快。個人的にはセンター前へのヒットがいちばん好きだったのですが、喜んでくれる味方や打ちひしがれている(であろう)相手を塁上で見ると、よりポジティブな気持ちになれたものです。

そしてそのヒットの喜びは、当然ながら打席に立たなければ掴むことができません。凡打のリスクと隣り合わせになって初めて、成功を手にできるんですね。いつまでもベンチにいては、まあ凡打で傷つくことはないでしょうが、ヒットを放つこともできません。

これはきっと、野球に限った話ではありませんね。仕事や恋愛においても言えることで、リスクと隣り合わせにならないと、良い結果は生まれないのだと思います。というか、物事が前に進むためには、リスクはつきものだとも言えそうです。

ふと、凡打に怯えることなく、打席に立ち続けたいと思った次第です。最近の自分への戒めです。



特別な人、特別な場所。【6月22日(火)】

来月の予定を立てている。やはりまたしても、宮城県へ行く予定だ。今回は、僕を地方の世界にいざなってくれた恩師のいる東松島市へ、“再会”に行く。

自分にとって特別な人の存在は、その人が暮らす地域をも特別なものにする。これは地方での活動に興味を持ってからつくづく感じていることだ。まあもちろん、その地域の自然環境や文化に惚れ込むパターンもあると思うが、平成の大合併で生まれた東松島市が僕の地元・美里町と接していたことに気づいたのは、その恩師と出会った昨年のことだった。

僕はこれから、その美里町を中心に人が輝けるコミュニティを作りたいと考えている。正直、移住促進だとか人口増加なんかにはあまり興味がなくて、何もない地元に、魅力的な場所を作りたいとい気持ちが芽を出しているのだ。学生時代の自分のために、じゃないけれども、子どもたちが活き活き輝く大人を見て、将来への希望や選択肢を増やせるような場所を作りたい。そして、大人もいっしょに学んでいく環境をめざしたい。

ここ半年間、さまざまな地方を見るなかで、なかなか差別化が難しいことも分かってきた。令和の日本において、「環境」はどこも同じなのだ。でも、だからこそ、差別化が難しい「人」の存在は大きな差になる。キャラクターや生き方、自分との相性など、人は大きな武器になると確信している。改めて僕は、地元の宮城県美里町で何かを成し遂げたい。何もないからこそ、何でもできる気がしているのだ。

自発的な勉強欲。【6月23日(水)】

学生時代、歴史の授業が嫌いでした。日本史にしろ世界史にしろ、どうも自分に馴染みのない人や出来事の名称を覚えられなくて(覚える気力もなくて)。たしか高校時代の先生が「点ではなく線で覚えろ」みたいなことも言っていましたが、やっぱり興味のないことを覚えることは簡単ではありませんでした。ウルトラCを許さない「結局“暗記ゲー”じゃん」みたいな感覚も、僕と歴史を隔てる要素だったように思います。

しかし、宮城を中心とした地方の生活に興味がある今、地域の歴史や文化にめちゃくちゃ興味が湧いています。いったいどんな過去を経て、今の姿があるのか。これまでどのような変革を辿ってきたのか。一方で、変わらないところはあるのか。また、今の人々の生活とどう関係しているのか。そしてその長い歴史を踏まえたとき、これからどのような未来であるべきなのか。

地方で新たな価値を作り出したいと考えて、僕は生まれて初めて、歴史を学ぶ大切さを覚えています。いや大切さというか、むしろ学びたい気持ち。もっともっとその地域を知りたい欲求が湧いてきているのです。

つまり僕は、自分との関わりさえ拵(こしら)えれば、歴史を学べる人間なのだと気がつきました。なんというか、自発的な勉強欲。逆に言うと、やっぱり“やらされる”ことには向いていないようです。まあきっと、多くの人にとってもそう言えるでしょう。



学生時代、歴史が好きで得意な近しい友人がいましたが、彼にもこんな感覚があったのかな、なんて思い返してもいます。だとしたら、高校生としての“今”から、過去との関わりを感じていたことになるんですかね。立派だなあ、尊敬だ。…とまあそれはそれとして、僕は今後も自発的な欲求というか、衝動を大切にしていきたいと思います。一般的、社会的なタイミングを気にしすぎることなく、なるたけマイペースに日々を進めていくつもりです。


若葉マークのブレイクスルー。【6月24日(木)】

おとといの夜、僕の地元である宮城県美里町の広報誌(PDF版)をぼんやりと眺めていたら、「美里町の魅力を引き出す新たな発想のイベントを募集します」とのページがあった。アイデアを募集し、その内容によっては自治体が補助金を支援してくれるという。

まさに今やりたいことだと感じた僕は、その翌日、窓口に電話して提出書類の様式をメールで送ってもらった。本来は対面での手渡ししか受け付けていないらしいのだが、こちらの事情を汲んでもらいイレギュラーな対応をしていただいた。なお、提出方法も手渡し。あるいは、郵送。ちなみに今は、令和である。

まあそれはさておき、Wordで様式を開いてみると、それは事業実施計画書および収支予算書であった。正直これまでそんなものを書いたことのない僕は、白目を剥いてしまった。そして改めてだが、この募集に気がついたのは22日(火)の夜。そしてそして、提出期限はなんと25日(金)だった。書類作成に関してピカピカの若葉マークが付いている僕にとっては、あまりにも時間がなさすぎた。



きのうは、仕事を終えてからずっとアイデアを考えていた。どんなイベントが良いだろう。メールには「特に地域経済への波及効果や事業の継続性について表現していただければ」と書かれていた。地域経済への…波及効果?事業の…継続性?思えば2日前から、僕はずっと白目なのかもしれない。それでも、夜中には家の周りを1時間ほど散歩しながら考えた。

そしてアイデアはなんとなく輪郭を現し、今朝。改めて提出期限を相談したところ、明日の郵送でも書類には目を通してくれるということだった。そこできょうは、提出書類の各項目を埋める作業に取り掛かっている(未だ途中である)。Googleで検索しながら、見様見真似で書類を作る。なかなか楽なものではない。



しかし、この作業が僕にとって大きな価値になっている。事業の目的や内容はもちろん、今後のスケジュールや予算を考え“させられる”ことによって、プロジェクトの現実味が増す実感があるのだ。この書類がなかったら、いつまで経っても「あー地元でコミュニティ作れたらいいなあ」と上の空な日々を送るだけだったのかもしれない。しっかりとした様式を前にして、事業として成り立たせることや、自治体の理解を得ることの大切さを身をもって感じている。



宮城を舞台にしたNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で、夏木マリさん演じる「新田サヤカ」がこんなことを言っていた。


素人ながらに、いや素人だからこそ、馬鹿を武器に立ち向かっていきたい。若葉マークを付けているからこそ起こせる、ブレイクスルーを信じて。まずは明日の郵送に向け、しっかり書類を仕上げたいと思っている。

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