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地方創生に興味ありまくりな29歳コピーライターのブログ。

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【週刊エッセイ#71】前向きな春。

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どうも、ぼーの(@nobo0630)です。

この一週間は「3.11」から11年が経ったと思えば、大きな地震がありましたね。

前に進むしかありませんが、いろいろ考えさせられたなあといったところです。

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忘れられない、あの日のこと。【3月11日(金)】

3月11日。宮城県出身のものとしては、やはり“あの日”が思い浮かぶ。僕は当時、高校3年生。内陸に位置する美里町の実家にいて、翌日に控えた大学の後期試験を受けるべく、親が運転する車で駅に向かう直前であった。ダダダダダ…という縦揺れからの、信じられないほどの横揺れ。あっという間に、家の中はめちゃくちゃになった。もう11年も前だとは思えないほど、あの時間の記憶は鮮明に残っている。

そして今、テレビや新聞では「忘れない」という言葉が目につく。つまりそれは、あの日のこと。奪われた命。突きつけられた教訓。今日までの道のり。これら全てを忘れるまいと、そういった番組や広告が作られているように見える。それはきっと、いわば被災していないような、東北や北関東“以外”の人々に向けられたものだろう。

被災した人間からしたら、決して「忘れられない」ものである。忘れたくても、忘れられない。僕は内陸にいて、幸いにも家の中がめちゃくちゃになっただけ。家族はみんな生きていたし、家はしっかり持ち堪えてくれた。生まれ育ったふるさとも、もちろん傷は負っていたがそこにちゃんとあった。こんな僕でさえ忘れられないのだから、海沿いで暮らしていた方々にとって、あの日の記憶はどう刻まれているのだろう。忘れるとか忘れないとか、そんな次元の話でないことは容易に想像できる。

3月11日。きっとこれからも、あの日を鮮明に思い出すことになるのだろう。もう失ったものは、帰ってこない。でも、これから得られるものは、まだまだあるはずだ。自分たちから生み出せる可能性だって残されている。来月から宮城へUターンする僕は、あの日との距離感もしっかり測って活動していきたい。まだまだ何かできることがあれば、率先して参加していきたい。

ティガに準じて。【3月12日(土)】

そろそろnoteの毎日更新が800日を迎えようかというところで、このアカウントのフォントをゴシック体から明朝体にしてみた。変更できる機能に気づいていなかったわけではない。以前から気にはなっていたし、他の方の記事を読みながらその様子も知ることができていた。ではなぜ、このタイミングで変えるのか。それはあんまり訊かないでほしい。そう、特に理由はないからである。

明朝体に変わるだけで、なんだか“ちゃんとした”印象になるから不思議だ。急に年齢を重ねるというか、比較的落ち着いた、説得力が増したような気分になっている。つまり書き手としてはちょっとした強さを手に入れた気になっていて、とても良い気分である。無論、フォントを変えただけで僕の頭脳や文章レベルが向上することはないのだけれど。



取り留めのない話になるが、思い出してしまったから書かせてほしい。僕が幼稚園に通っていた頃、三つ上の兄とウルトラマンに夢中だった。当時は平成ウルトラマンシリーズの第一弾『ウルトラマンティガ』。伝統の赤のラインだけでなく紫もあしらわれたその戦士は、怪獣との戦闘中に胸の前で両手首を合わせる。すると身体の色が変化し、それに伴い違った特性を手に入れる特徴があった。赤く染まるとパワータイプとして力が強くなり、紫になるとスカイタイプとしてスピードや対空性能が上昇。子どもながらその斬新さに感動したことを覚えている。おもちゃやお弁当箱など、親にせがんでグッズを買ってもらっていた。



ということで、僕のゴシック→明朝という“タイプチェンジ”も、いわばティガに準ずるものではなかろうか。別に怪獣と闘っているわけではないが、これからスタイルを変えていくのだ。ちょっと大人びた感じ。しっかり地に足がついている感じ。…さっそく何を書いているのかよく分からないが、しばらく明朝体のテンションでnoteを楽しんでいきたいと思っている。

note800日連続更新を迎えて。【3月13日(日)】

昨日noteを投稿してみたら、「799日連続更新!」という表示がなされた。つまり、今日でちょうど800日目である。正直あまりれっきとした自覚はないが、どうやらそうらしい。

ふしぎなもので、その数字を増す一方、noteを書くことへの意識は反比例するように薄れてきている。自分のなかの“当たり前”となり、すっかり日常に馴染んできているのだ。書き上げたとて、そこにあるのは喜びよりも安堵の気持ち。「今日も連続更新を途切れさせずに済んだ…」と、胸を撫で下ろす日々である。

思えばこの感覚は、100日目を超えてからあまり変わっていない。それまでは積み上げられていく数字に「よし!今日も更新完了!」だなんて、まあちょっとこれは大袈裟にせよ、なにか“アガる”ものを感じられていた。ただ、その数字が3桁になってからは横ばいというか、別にアガるものは何もない。むしろ繰り返しになるが、毎回ホッとしているのである。

とはいえ、ここまで継続できていることには、それなりに満足している。もちろん継続だけなら誰にでもできるから、ここの文章に質や意義を担保しなければならないという課題はあれど、これからも楽しみだ。果たしていつまで続くのか。たとえば1000日や10000日を超えたら、どのような感覚を覚えるのか。終わりは来るのか。もし終わるのならば、どのように終わるのか。ひとつの実験ではないけれど、今後もこのある種のプロジェクトを、自分がいちばん楽しみながら取り組んでいきたい。

食事と会話と。【3月14日(月)】

今さらかもしれないが、「黙食」って面白い言葉だなあと思う。「駆け込み乗車」や「歩きスマホ」など、良くもわるくも簡単に概念を生み出してしまう、じつに日本人らしい言葉だと感じるからだ。また、どちらかというと「黙って食べましょう」より「喋って食べるな」のニュアンスの方が強く感じられるのも、なんだかこの国らしくて愛おしい。きっと喋っていたら、先生に言いつけられちゃうんだろうね。

そしてこの言葉によって、本来、食事は会話といっしょに行われていたものだったのだと気がつく。思えば学校や会社など、どのコミュニティにおいても食事を通して親睦を深めていたと思うし、たとえば男女の仲を進展させるためにも、食事が一役も二役も買っていたりする。そういえばそうだよね。なんでだろうね。

今日たまたま聴いていたラジオ番組では、一般の大学生が「コロナで友達を作れなくて、ひとりでご飯を食べられません」という“お悩みメール”を送っていた。パーソナリティは「へー俺はひとりで食べた方がラクだけどなあ」と不思議がっていたが、その学生はおそらく、会話を欲しているのだと想像する。周りの学生と同じように、誰かと楽しく、会話をしながらご飯を食べたいのだ。

僕はまあ、ひとりでも平気な方だと思っているけれど、誰かと食事をするのも好きである。飲む量は減ったけど、お酒もちゃんと好きだしね。だから「黙食」という言葉には、面白さと共にちょっぴり窮屈さを感じてもいる。「ああそんな言葉あったねえ」だなんて言える未来を願ってもいる。

過ちが許される世界。【3月15日(火)】

近年のプロサッカーの世界には、VARというシステムが導入されている。ビデオ・アシスタント・レフェリー。PKやレッドカードなど、試合の結果を左右する重大な判定に対して、ピッチ以外の場所でまた別の映像チームが確認。ピッチ上の審判と無線でやり取りをしながらその事象を検証しつつ、正しいレフェリングを目指すというものである。

2018年にはW杯の舞台にも採用され、今や日本国内でも扱われているVAR。僕はこのシステムが、結構好きである。誤審の少ない試合を楽しめるというのはもちろんのこと、なんというか、そこには「過ちが許される世界」があるような気がするからだ。

一度リアルタイムで“流れた”プレーがあったとしても、VARによって時間を“遡って”新たな判定が下されたり、あるいはそれが覆ったりすることはしばしばである。主審が宙に四角形を描くあのジェスチャーは、Jリーグに限らず、サッカーの本場ヨーロッパの舞台でも見られる。当たり前のように判定が変わり、人々はそれに一喜一憂する。そんな、いわば審判の過ちをカバーしてくれるVARの存在が、僕には人間の不完全さを表しているとも感じられているのだ。人とテクノロジーが、まさに共存している。

できないものは、仕方ない。リアルタイムで確認できないものは、映像によって検証すればよい。そんな人間の限界を受け入れてテクノロジーに委ねる姿勢を、僕は気に入っているのである。

前向きな春。【3月16日(水)】

宮城県の遠田郡美里町からメールが届いた。来月1日の「辞令交付式」なるものの案内だ。当日は朝9時から始まるようで、それ以前の集合を促されている。しっかり朝起きれるか、もうすでに不安である。

地元で地域おこし協力隊を務めることが決まってから、今日まで約2週間。そしてさらに今日から2週間後、どうやら僕は宮城で暮らしているらしい。つまり、いま暮らしている東京都足立区とも、もうすぐオサラバということだ。急転直下とまではいかないが、思いのほか一気に訪れた“別れ”に、少し戸惑う自分もいる。気づけば5年以上も過ごしていたこの街に、名残惜しさも感じられているのだ。

ただ、あくまで「前向きな春」でもある。僕は自分がやりたいことを追いかけた結果として、地元に帰るのだ。決して夢破れて途方に暮れたわけではない。サッカー元日本代表MF松井大輔さんが「チームを移籍する時に泣くヤツいるでしょ、俺ああいうのよく分かんないんだよね。行きたいから移籍するんじゃないの」だなんて飄々と話していたことを思い出した。そうだ、僕は別れを惜しむために移住するわけではないのである。

今回の決断が、どんな未来をつくっていくのか。これは人生として正解となるのか、不正解となるのか。もちろん今後の自分次第だが、とにかく今は胸を張って、まずは引越しに臨んでいきたいと思っている。

この国で生きるとは。【3月17日(木)】

きのう、東京も結構揺れたなあ。僕はちょうどnoteを書いている時で、1回目の比較的緩やかな横揺れから「遠くのほうで大きいのがあったかも」なんてテレビを点ける。すると、案の定東北のほうで震度5弱とあった。そしてそのままテレビを眺めていたら、2回目の揺れを知らせる緊急地震速報。緊張感が漂う耳障りなアラートが鳴ると、僕はダダダダダと長めの縦揺れを感じ、「これはデカいぞ」と扉を開けつつ家電を押さえていた。こちらの震度は4。ただ、宮城と福島では6強を観測していた。

即座にうちといとこの家族のグループLINEが鳴り、どうやら僕の実家の地域は停電した模様。友人とのやりとりでは、東京の一部も電気が止まったことを知る。引き続き点けていたテレビは、津波注意報の発令を知らせていた。

つい最近、あれから11年を迎えて、もうそんなに経つのかと時間の流れを感じていたけれども。いつまでも今日までの道のりというか、いわゆる復興と呼ばれる思いや願いに浸ってもいられないのだと思い知らされた。厳しい現実だが時間が経つということは、つまり再びあのようなことが起こるということだろう。僕に専門的なメカニズムは分からないが、きっとこの国で生きるとはそういうことだ。

僕は東京で揺れるなか、自分の鼓動が高まっていくことを感じた。昨日今日とSNSで生存を知らせてくれていた宮城や福島の人々にとっては、どれだけの恐怖だっただろう。昨日の僕にはひっそり見舞いを捧げることしかできなかったが、今後もこの国で生きていく上で、それ以上のことができるようにも努めたいとも思った。


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